「今日は外で食え」
その一言が、すべてのきっかけだった。
あの日は、十一月にしてはずいぶんと暖かく、昼前から陽が射し込んでいた。いつもなら社内の食堂や自席で弁当を広げるのが常だけれど、社長が突然、「今日は温かいし晴れてるから、みんな外で昼食え」と言い出した。冗談でもなく、本気でそう言ったんだ。
社員たちは一瞬ぽかんとした空気になったが、外食派の連中は「まあ、もともと外行くつもりだったし」みたいな顔でさっさとビルから出ていった。
問題は、俺みたいな弁当派だ。今日はコンビニで買った焼き鳥丼弁当を手にしてたが、食う場所なんてあてもない。なにしろ、会社のある町には土地勘がないのだ。
それでもどうにかなるだろうと、弁当を提げて歩き出した。ビル街を抜け、車の通りの少ない路地を越えたあたりで、ようやくそれらしい場所が見つかった。住宅街の端っこ、あきらかに空き地に毛が生えた程度の小さな公園だった。
新しいのか、きちんと整備されているのか、やたらと清潔で、パーゴラの下にテーブルとイス、反対側にはブランコやすべり台がある遊具スペース。小さい子を連れた母親たちが、遊具の方で和やかにお喋りしていた。幼児たちはブランコで揺れたり、砂場で遊んだりしていて、空気は穏やかだった。
ここならいいか。そう思って、パーゴラの下のテーブルに座り、焼き鳥丼のフィルムを外した。
最初のひと口は、甘辛いタレの味が強くて少し胸焼けした。でも、外の空気と陽射しがそれを和らげてくれるような気がして、妙にうまかった。あんなに晴れた日の昼飯なんて、ここ数年なかった気がする。しばらく咀嚼して、箸を止めたときだった。
「外でお弁当ですか?いいですね」
――爺さんのような、くぐもった声が真後ろから聞こえた。
ドクンと心臓が跳ねた。
咄嗟に振り返ったが、誰もいない。
左右にも、背後にも、人影はなかった。
あわてて立ち上がって周囲をぐるりと見渡す。だが……そこにあったはずの母親たちも、子供たちもいなかった。
おかしい。たしかに、数分前まで、声や笑い声が聞こえていたはずだ。
風のせいで音が飛んだのかと耳を澄ましたが、どこからも声などしない。
視線を戻して……ようやく気づいた。
――何もかもが、変わっていた。
まず、ブランコ。赤いペンキが褪せ、鎖は茶色く錆びていた。砂場には使われた形跡がなく、猫の糞のようなものが散乱している。芝生だと思っていた部分は、よく見ると伸び放題の雑草だ。パーゴラの天井には、乾ききった蔓が絡み、枯れ葉が音もなく落ちてくる。
テーブル……俺が弁当を広げたその天板は、黒いシミと無数のひっかき傷で覆われていた。白く乾いた鳥糞も乗っている。さっきまでの、あの清潔な公園はどこに消えたのか。あれは……幻だったのか。
混乱して、その場に立ち尽くしていた。
携帯を確認しようとポケットをまさぐったが、なぜか震える指がうまく画面に触れられない。
そのとき。
遊具のほうから……聞こえた。
ガサッ……ガサッ……
――乾いた、足音のようなものが、こちらへ向かってくる。
子どもでも、大人でもない。草を踏む重さが、異様だった。だが、姿は見えない。
何かが近づいてくる。だが、そこには誰もいない。
見えない何かが……そこにいる。そう確信できるほど、空気が、歪んでいた。
俺は咄嗟に弁当を放り出し、全速力で公園を後にした。
会社まで走った。息が切れて、吐きそうになりながらビルに入った。
受付の前で膝をついていたら、ちょうど社長が通りかかって、「どうした?顔色悪いぞ」と声をかけてきた。
あまりに情けなかったが、あったことをすべて話した。息を整えるより先に、とにかく聞いてもらいたかった。途中、声が上ずって、何度も言葉を噛んだ。
社長は黙って聞いていたが、話し終えると、やけに静かな声で言った。
「ああ、あの辺か……。昔は墓地だったんだよ、あそこ」
「墓地……ですか?」
「人が増えて、住宅地にするために更地にして、骨はどこかに移した。だが、あの辺の家、長く住む人がいない。不動産屋もあそこは勧めないし、空き家も多い。まあ……そういう場所なんだ」
言いようのない悪寒が背筋を這った。
じゃあ……あの日見た家族連れも、あの整備された公園も……何だったんだ。
俺はたしかに、焼き鳥の弁当を食べていた。味を覚えている。あの陽射しも、風も、現実だった。
だが、あの声の後で……すべてが崩れた。
それ以来、あの公園には近づいていない。
スマホの地図アプリに記録された位置情報を消そうとしたが、なぜかその場所のピンだけは削除できなかった。
あの日置いてきた弁当のゴミがどうなったのかは、ずっと気がかりだ。だが、回収しに戻る気にはなれない。
なにより……あのとき、背後で聞こえたあの声が、今でも耳の奥に残っている。
「外でお弁当ですか?いいですね」
どこか、うらやましそうで……
どこか、悔しそうで……
どこか、憎しみの混じった、声だった。
[出典:361 :本当にあった怖い名無し 警備員[Lv.3][新芽]:2024/11/21(木) 14:32:23.71ID:eh7nSX310]