うちのじいちゃんはもう亡くなったけど、医者で太平洋戦争の時は二十四歳くらいで若かったから、軍医というわけではなかったけど、従軍して東南アジアのほうに行ったらしい。
188 :本当にあった怖い名無し :2006/12/31(日) 17:00:58 ID:51fGwKso0
もちろん、おもな仕事は兵隊の健康管理や負傷兵の治療で、「少ない医者だったから、みんな大切にしてくれたよ」らしく、鉄砲撃ったり、塹壕掘ったりはしなかったって。
終戦後は専門が皮膚科だったから最初は総合病院で勤務して、あとは地方都市で皮膚科を開業してた。
俺の記憶にあるのは、この皮膚科を開業している頃からのじいちゃんだけど、たまに警察に頼まれて、変死の検視とか行ってた。
皮膚科の医者が検視なんて変な感じがしたけど、じいちゃんに聞いたら、
「ん?戦争に行ったとき、殺されたり病気で死んだりなんていう死体は沢山見たから、じいちゃんでも大丈夫なんだ」
とか笑いながら言ってた。
俺はじいちゃんに可愛がられてたから、じいちゃんは俺に戦争の話とか、戦争に行く前の田舎での話とか、検視に行ったときの話とか、いろんな話をしてくれた。
ほとんどはローティーンを楽しませるような冒険話とか、東南アジアでの土産話みたいな話だったけど、その中にはあんまり笑えないような怖い話もあった。
じいちゃんが戦争で南方に行ったときは、もう従軍慰安婦みたいなのはあって、女の子が駐屯地に出入りしてたって。
そういう女の子の中には、
「もとからそれを商売にしているのもいたし、兵隊が来てから商売をはじめたのもいる」
ってじいちゃんは言ってた。
じいちゃんの話だと、少し前マスコミが騒いでいたような、『強制的に連れてきて、奴隷のように相手をさせる』ようなのは見たことが無いって言ってた。
「今の軍隊と違ってな、こっちだって強力な武器とか、土人を絶対に服従させるような力なんてないんだよ。本土にいるわけでもないんだし、土人と仲良くやってかなきゃ、そのうち暗闇の中、大なたでバッカりやられるんだよ」
ということらしい。
そんな感じだったようなので、兵隊の中には基地にくる女の子に熱を上げて、基地の外で会うような人もいたらしい。
じいちゃんの知り合いの兵隊でマツダっていう人も、そういう女の子に惚れた。
小柄で肉付きはあまり良くなかったけど、目が大きく、青い首飾りをした可愛い女の子だったって。
相手もまんざらじゃなく、マツダさんは「戦争が終わったら、日本に連れて行く」って本気で思ってたし、周囲にもそう話してた。
そのマツダさんが戦闘で脚に大ケガをして、じいちゃんが治療した。
傷口が化膿して一時は命も危なかったものの、一ヶ月もすると自力で歩けるまで回復した。
その間、女の子は付きっきりで看病した。
だけど、マツダさんの脚には障害が残ってしまい、このまま戦闘に参加は出来なくなった。
結局、マツダさんは内地に配転ということになった。
で、いざマツダさんが本土に帰ろうとするとき、やはり女の子のことが問題になった。
実はマツダさんには日本に奥さんがいて、とても女の子を日本に連れて帰るような状況ではなかった。
女の子は凄く怒って、悲しんで、マツダさんやじいちゃんに日本につれてってもらえるように頼んだけど、悪いのがマツダさんだったとはいえ、結局は無理な相談だった。
そんなごたごたの中、じいちゃんの助手をしてた現地人の老人がじいちゃんに、
「先生、これは秘密だけど聞いてくれ。あの女を連れて行かないのなら、マツダさんはあの女を殺すべきだ」
と言った。
じいちゃんは助手の老人がなんでそんなこと言うのか怪訝に思ったけど、老人は何故殺すべきなのかは頑として話さなかった。
じいちゃんは、『愛し合っている者の間を引き裂くということは、そのくらい酷いことなのだよ』という意味の警告だろうな、と思ったって。
マツダさんはそのまま本土に帰り、じいちゃんは引き続き駐屯地の医者をしてた。
女の子とマツダさんは、「今は違う国に生まれたけど、生まれ変わったら必ず夫婦になろう」と約束して別れたようだった。
女の子はマツダさんと付き合うようになってから、駐屯地で客は取らなくなってたけど、マツダさんが本土に帰ってからも、駐屯地にはこなかった。
じいちゃんは老人の『殺すべきだ』って話も気になって、一ヶ月くらいして、マツダさんが通ってた女の子の家まで行ってみた。
粗末な作りの家だったけど、もうそこに女の子は住んでいなく、別のそういう商売の女が住んでいた。
その女の話では、一ヶ月前、兵隊が帰ったすぐ後に女の子は自殺したとのことだった。
じいちゃんは、助手の老人が言っていたのはこのことかって思って、凄く後悔するのと、はっきり言わなかった老人への怒りがない交ぜになって、診療所に帰ると、そのことを助手の老人に問いただした。
老人はじいちゃんに何度も詫びながら、
「まさかあの娘が死ぬとは思いませんでした。私が心配したのは、マツダさんのことなのです」
と話をした。
じいちゃんはマツダが心配される理由がわからずに、老人の話を聞いた。
老人の話では、あの女の子は今で言うベトナムの山間部の出身者なのだそうだ。
首に付けていた青い首飾りは、その地方独特の物だという。
そして、その地方の娘は『一枚呑み込めば死ぬ』と言われる毒樹の葉を必ず三枚身につけていた。
二枚は自決用に、一枚は特に女性が自分を辱めた男に復讐するために使うということだった。
このことを出身が近い助手の老人はたまたま知っていた。
「だから私は、マツダさんがあの娘を連れて帰るのでなければ、殺すべきだという意味で言ったのです」
と、助手の老人はじいちゃんに説明した。
その話を聞いて、じいちゃんはあわてて日本に手紙を書いたって。
でも、終戦まで返事はこなかった。
戦争が終わって、一年位して復員した後、じいちゃんはマツダさんの所を訪ねたら、マツダさんは奥さんの所に帰る前に、九州の方の基地で終戦前に急死していた。
奥さんが同僚から聞いた話だと、マツダさんは体調を崩して、自分でもっていた薬を飲んだ後、崩れるように倒れて、そのまま亡くなったとのことだった。
じいちゃんは医者だったから、成分を抽出したわけでもない毒樹の葉でそんなに急激に人が死ぬわけない、って思ってたから、このマツダさんの死についても、偶然だってず~っと思ってたってさ。
それに、じいちゃんから見ても、あの女の子はマツダさんを欺いて、毒を渡したりするような人間には見えなかったって。
でも、ベトナム戦争の時にホーチミンが、米兵に辱めを受けそうになった時、隠し持っていた毒樹の葉で自決した少女の話を、プロパガンダとして使っているのを聞いたじいちゃんは、自分の考えに自信を持てなくなったと言っていた。
俺にこの話をして、じいちゃんは「まぁ、女の恨みは怖いってことだな」って笑って言った後、
「たとえ奥さんがいなくても、当時の日本に第三国人を入国させるなんて、マツダの階級じゃ無理だったよ。それなのにあんな約束をして……マツダは無責任だったな。でも、南方での毎日のつらさを考えたら、そうやって女の子に嘘ついて、相手を喜ばせて、自分を励まさなきゃ、マツダはやってられなかったのかもな」
って言ってた。
(了)