友人の松田が大学生だったころのお話です。
名古屋の大学に合格した松田は、一人住まいをしようと市内で下宿を探していました。
ところが条件が良い物件はことごとく契約済みで、大学よりかなり離れたところにようやく一件見つけることができました。
とても古い木造アパートで台所やトイレなどすべて共同なのですが、家賃がとても安いため松田は二つ返事で契約を交わしました。
引っ越しを済ませて実際住み始めてみるととても静かで、なかなか居心地のよい部屋での生活に松田は次第に満足するようになったそうです。
そんなある晩のこと、松田の部屋に彼女が遊びに来ました。
二人で楽しくお酒を飲んでいると、急に彼女が「帰る」と言い出しました。
部屋を出ると、彼女は
「気を悪くしないで聞いてほしいんだけど、この部屋、なにか気味が悪いわ」
と松田に告げました。
彼女によると、お酒を飲んでいる間、部屋の中に嫌な気配が漂っているのをずっと感じていて、一向に酔うことができなかったというのです。
気を付けたほうがいいよ、という心配そうな彼女の言葉を松田は一笑に付しました。
もともとその手の話を全く信用しない松田は、そっちこそ気を付けて帰れよ、と彼女を見送ってあげたそうです。
しかし、結果的にこのときの彼女の言葉は取り越し苦労でも何でもなく、その部屋はやはりおかしかったのです。
このころから、松田は体にとてつもない疲れを覚えるようになりました。
別段アルバイトがきついというわけでもないのに、部屋に帰ると立ち上がれないぐらいに力が抜けてしまいます。
また、夜中寝ている間に誰かが首を絞めているような感覚に襲われ、突然飛び起きたりしたこともありました。
そのせいで松田は食欲も落ち、げっそりと痩せてしまいました。
きっと病気だろうと医者に診てもらいましたが、原因は分からずじまいでした。
心配した彼女は、「やはりあの部屋に原因がある」と松田に引っ越しを勧めましたが、あいにくそのような費用もなく、松田は取り合おうともしませんでした。
そして、そのまま二週間ほど経ったある晩のことです。
その日、松田はバイトで大失敗をしてしまい、いつにもましてぐったりとしながら夜遅く部屋に帰り、そのまま眠ってしまいました。
真夜中、ものすごい圧迫感を感じて急に目を覚ましましたが、体は金縛りのため身動き一つとれません。
ふと頭上の押入れの襖に目をやりました。
すると、閉まっている襖がひとりでにするする……と数センチほど開いたかと思うと、次の瞬間、ぬーっと真っ白い手が伸びてきて松田の方へ伸びてきたそうです。
松田は心の中で(助けて……)と叫ぶと、その手はするするとまた隙間へと戻っていきました。
しかしほっとしたのもつかの間、今度は襖の隙間から真っ白い女の人の顔が松田をじっと見つめているのを見てしまったそうです。
松田は一睡もできないまま朝を迎えました。
やがて体が動くようになり、松田は部屋を飛び出しました。
そして彼女をアパート近くのファミレスに呼び出し、どうしようか、と二人で途方に暮れていたそうです。
ちょうどそのとき、少し離れた席に一人のお坊さんが座っていました。
そのお坊さんは先ほどより二人のことをじっと見ていたのですが、いきなり近づいてきたかと思うと松田に向かって
「あんた、そんなものどこで拾ってきた!」と一喝したそうです。
松田が驚きながらも尋ねると、松田の背中に強い念が憑いておりこのままでは大変なことになると言うのです。
松田は今までの出来事をすべて話しました。
するとお坊さんは、自分をすぐにその部屋に連れて行くようにと言ったそうです。
部屋に入ると、お坊さんはすぐに押入れの前に立ち止まり、しばらくの間その前から動こうとしません。
そして突然印を切るといきなり襖を外し始め、その一枚を裏返して二人の方へ向けました。
その瞬間、松田は腰を抜かしそうになったと言います。
そこには、なんとも色鮮やかな花魁の絵が描かれていました。
舞を舞っているその姿はまるで生きているようで、心なしか松田の方をじっと見つめているように感じたそうです。
お坊さんは、
「どんないきさつがあったかは私には分からないが、この絵にはとても強い怨念が込められていて、君の生気を吸って次第に実体化しつつあり、もう少しで本当に取り殺されるところだった……」
と告げたそうです。
お坊さんは、襖の花魁の絵の周りに結界を張ると、
「すぐ家主に了解を得て、明日自分の寺にこの襖絵を持ってきなさい」
と言い残し、立ち去りました。
次の日、彼女とともにお寺に赴きました。
そして、その襖絵は護摩とともに焼かれ、供養されたということです。
(了)