前にどこかで読んだ話だ。誰が書いたのかも、どこに載っていたのかも思い出せない。ただ、山に入るたびに、必ず頭の片隅に浮かぶ。
山菜目当てで山をうろついていた男がいた。
春先で、まだ人の入りも少ない時期だったという。登山道から外れ、獣道を辿るような場所で、不意に声をかけられた。
いかにも地元の村からやってきたという風情の老婆だった。腰は曲がっているが、足腰はしっかりしている。背負い籠には、すでに何かが入っているらしく、乾いた葉擦れの音がした。
峠の土産物屋を家族でやっていると言い、山菜の時期は忙しくてねえと、世間話のように語った。観光客が勝手に入って迷うことも多いから、声をかけているのだとも言った。
話をしているうちに、老婆はこう切り出した。
このあたりで一番いいゼンマイとワラビの場所がある。地元じゃ有名だが、知らない人間はまず辿り着けない。よければ案内しよう、と。
男は少し警戒したが、老婆の言葉遣いは自然で、押しつけがましさもなかった。もしかすると、観光客向けに山菜を採らせて、そのまま自分の店で調理する商売なのかもしれないと思った。だが、それならそれで悪くはない。山菜の場所を探し回る手間が省ける。
二人で山の奥へと入っていった。
老婆の足取りは驚くほど軽かった。細い斜面を迷いなく進み、倒木もひらりと越える。男は遅れまいとして必死についていったが、息が上がり、何度か立ち止まりそうになった。
その途中、老婆は何度か立ち止まり、周囲を見渡しては言った。
ここは昔から人が集まる場所でね。
山は嘘をつかないから、置いたものは必ず残る。
逃げようとしても、根が絡む。
男は意味がよく分からず、適当に相槌を打った。年寄りの独り言のようなものだと思った。
やがて、視界が急に開けた。日当たりの良い斜面一帯に、ゼンマイとワラビがびっしりと生えていた。確かに、これほどの群生は滅多に見ない。踏み込むのをためらうほど、密度が濃かった。
老婆は満足そうに頷いた。
ほら、ここだ。
こっちにゼンマイ。
ほれ、あっちがワラビ。
男が礼を言いながら近づくと、地面は妙に柔らかかった。腐葉土にしては湿り気がなく、踏むと微かに軋む感触がある。それでも山ではよくあることだと自分に言い聞かせた。
老婆は斜面の端を指さした。
こっちの隅から取れ。
奥は踏み荒らすとよくないからね。
言われるままに屈み込み、ゼンマイを摘み始めた。指に絡む産毛の感触は確かに新鮮で、太さも申し分ない。夢中になって数本を籠に入れた。
ややあって、背後から老婆の声がした。
じゃ、頼んだよ。
頼んだ、とは何をだろう。山菜のことか、店のことか。男はそう思いながら、顔を上げようとした。
その瞬間、視界に入ったのは老婆の顔ではなかった。
地面から突き出した頭蓋骨だった。土に半ば埋もれ、乾いた色をしている。眼窩は空洞のはずなのに、なぜかこちらを見上げているように感じられた。
そして、その眼窩から一本、太く伸びたゼンマイ。
男は声を上げようとしたが、喉が詰まった。視線をずらそうとした先にも、別の頭蓋骨が見えた。さらにその奥、草に隠れるように、白いものがいくつも転がっている。
足元の柔らかさの正体に気づいたとき、膝が震えた。腐葉土ではない。積もった年数の違う骨と、崩れた肉と、根が絡み合ったものだ。
振り返っても、老婆の姿はなかった。
代わりに、斜面のあちこちから、ゼンマイが不自然な角度で伸びているのが見えた。どれも、何かの隙間から生えている。
耳元で、あの声がした気がした。
逃げようとしても、根が絡む。
その後、その男がどうなったのかは書かれていなかった。
ただ、その話を読んでから、ゼンマイやワラビを見るとき、どうしても一本一本を数えてしまう。
人の数と、合わないかどうかを。
[出典:110 :全裸隊 ◆CH99uyNUDE :05/02/12 17:59:48 ID:8twxrfC+0]