これは、刑事課に勤めている知人から聞いた話だ。
男は30代半ばで、やせ細った体をしていた。職場では目立たない存在だったが、ひとたびアイドル『ミコたん』の話になると表情が変わり、止めどなく語り始める。彼の生活は、月々のわずかな収入をすべて『ミコたん』に捧げることで成り立っていた。衣食住は最低限、すべては彼女の写真集やグッズのために。周囲には「ミコたんのために生きている」と公言していた。
あの日、都内のライブハウスで行われた『ミコたん』のバースデーイベントには、多くのファンが集まっていた。会場の明るい電飾、熱気、響き渡るアイドルの声。それだけで男は幸福感に包まれていた。握手待ちの列で彼を見つけたマネージャーがにこやかに話しかけてきた。
「毎回ありがとうございます。ミコたんも喜んでますよ。」
その一言は、男の胸を甘く刺激した。「自分の存在が彼女に届いている」そう確信した瞬間だった。並んだ末に迎えた握手の時間、目の前のミコたんは満面の笑みでこう言った。
「わぁ!ほんとありがとう!大好き!」
その声が、男の胸に刺さった。歓喜に震えながら握手会を後にした。
数日後、ニュースが流れた。『人気アイドル・ミコたん、自宅前で殺害』という衝撃的な見出し。複数の目撃証言と防犯カメラの映像から、犯人として男の名前が浮かび上がった。逮捕の際、男は抵抗することなく、ぼんやりと虚空を見つめていただけだった。
取り調べ室で、刑事が理由を尋ねると、男は長い沈黙の末に呟いた。
「ずっと暗かったんです。」
刑事が聞き返すと、男は虚ろな目で続けた。
「僕の中で彼女は光だった。でも、握手会のとき、光の中に大きな影を見たんです。笑顔の奥が暗くて……嘘だと思った。それで……僕が全部終わらせなきゃって……。」
その言葉を聞いた刑事は、背筋に冷たいものを感じた。どこに真実があったのか。誰にとっての光だったのか。事件の全貌は、男の歪んだ幻想の中に埋もれたままだ。
彼が手元に握りしめていた『ミコたん』の最後の写真集には、笑顔の彼女がこちらを見つめている。だが、その笑顔が、刑事にはどうしても凍りついたように見えた。
解説
プレゼント(ぬいぐるみ)の中に隠しカメラを仕込んでいた。