これは七年ほど前(平成六年・1994年頃)のある雨の日に、六本木でタクシー運転手から聞いた話だ。
2ちゃんねる投稿者の百太郎氏が夜遅くまで遊んでいた際に拾ったタクシーの運転手が、自らの不思議な体験を語りだしたのだという。
彼がその日乗り込んだのは、六本木の防衛庁近くで客待ちしていたタクシーだった。時間は深夜で、横浜まで四十分ほどの長い道中になるとあって、百太郎氏は「運転手さん、怖い体験とかないですか?」と尋ねた。運転手はしばし考えた後、「お客さん、実は…」と口を開き、ある奇妙な話を始めた。
「この間のことなんですがね…」
雨模様の日、運転手は六本木の交差点近くで客待ちをしていた。その時、近くのビルから五人の男女が出てくるのが見えた。彼らは店の庇の下で雨を避けながら何やら議論している様子だったが、やがて二人が高級車に乗って去り、残りの三人がタクシーの方に歩いてきた。そのうちの一人、男性が車に乗り込むと、顔はどこか深刻で「野方まで」とだけ告げた。
走り出してしばらくして、その客が突然、「運転手さん、信じてくれるかなあ?」とぼそりと話し始めた。
その男は、某キー局の長寿番組のスタッフ仲間だったという。彼ら五人は麻布で食事を終えた後、あるスタッフの提案で、友人が経営するバーに行くことにしたのだという。店はビルの五階にあり、こじんまりとしたバーだった。病み上がりで店を再開したばかりのマスターと挨拶を交わし、奥のテーブルに着席して水割りを楽しんでいた。
しばらくすると、店内がしんと静まり返り、いつしか全員が無口になっていった。不審に思ったエヌ氏が他のメンバーに声をかけるも、みんなは口を揃えて「何でもない」とつぶやくだけだった。だが、その表情はどこか怯えた様子である。
やがて、女性スタッフが震える声で、「この店、なんかおかしい…」と漏らし始めた。誰もが同じ思いを抱いていたが、気まずくて言い出せなかったのだという。
「具体的に何が変なんです?」と尋ねると、女性スタッフは「入り口の辺りがすごく嫌な感じがするの」と言って入口付近を指差した。エヌ氏は「ただの錯覚だ」と笑い飛ばし、入り口に歩み寄って確かめてみたが、竹製のついたてが置かれているだけだった。
ついたてには、四体の和紙でできた平べったい人形が貼り付けられていた。人形はどれも目や鼻が描かれていない素朴な造りで、父母と子供二人のように見えた。
席に戻り、エヌ氏は「なんにもなかった」と伝えたが、彼らの表情はますます暗くなるばかり。彼女は「この和紙人形がただならない感じがする」と青ざめていた。
すると別の男性スタッフが「トイレに行ったときも不気味だった」と話し出し、エヌ氏は皆が怖がるのを見かねて「本当に怖がりすぎだ」と言い放ち、自分もトイレへ向かった。
トイレの中は薄暗く、エヌ氏が用を足していると、突如、両肩に重いものがのしかかる感触があったという。それは一瞬の錯覚などではなく、冷や汗が流れ出すほど明確な感覚だった。後ろを振り向いたが誰もおらず、静まり返ったトイレにはただ己の震える吐息だけが響く。逃げるようにトイレを出たエヌ氏は顔を真っ青にして戻り、「やっぱり店を出よう」と声を上げた。
店を出た五人はビルの下で雨をしのぎながら、それぞれが店で感じた不気味な違和感について口を開き始めた。それをタクシーの運転手は遠巻きに見ていたという。
運転手はひと通り話を聞き終えると、「お客さん、もしかするとあの店、危ないですよ。二度と行かないほうがいい」と忠告した。そしてこう続けた。
「実は…お客さん、いま何か連れてきてますよ。」
百太郎氏は驚き、運転手に「なにか見えたんですか?」と尋ねると、運転手は「いや、見えたというよりも…妙なんですよ」と言い出した。
そのタクシーには以前も何組か客を乗せてきたが、どんなに騒いでいても窓ガラスが曇ることはなかった。しかし、エヌ氏が乗り込んできた瞬間に、窓ガラスが一斉に曇ったのだという。それだけでなく、後部座席からただならぬ気配を感じていたと語った。剣道をたしなんでいるという運転手は、その「気配」がただの酔客によるものではないとすぐに察したのだった。
野方に着くと、運転手は車を降りるようエヌ氏に促し、何かを振り払うように手を叩き一礼した。後部座席に漂っていた重い気配は次第に薄らいでいき、ようやく運転手は胸をなでおろした。
百太郎氏はこの話を聞いて、「舞う」「踊る」といった文字の入った店の名前だったと運転手から聞き、友人とともに翌日そのビルを訪れた。ビルの看板には「舞姫」というバーがあったのだ。
友人とともにビルの五階へ上がると、どこからかお線香の香りが漂ってきた。そして薄暗いフロアの奥に、「舞姫」と書かれた扉が佇んでいた。
彼はそっと扉を開け、運転手が言っていた竹のついたてがあるかを確認した。確かにそこには、和紙人形が貼り付けられていた。驚くべきことに、その人形の顔は目が真っ赤でつり上がっており、不気味な表情を浮かべている。そして、口からは小さな牙のようなものが覗いていたという。
その瞬間、百太郎氏と友人はこの場所が「普通のバーではない」と確信し、慌てて非常階段からビルを後にした。
その後、彼は友人とともに龍土町のビルや「舞姫」についてさらに調べてみたが、出てきたのはろくでもない噂ばかりだった。どうやら、あのビルには誰も口にしないある秘密が眠っていたようだ。やがて、数年が経ち再び「舞姫」に訪れてみると、店は跡形もなく消えていた。
もはや六本木の夜にはその店の影さえも残っていない。しかし、あの和紙人形の眼光は、今も百太郎氏の記憶に鮮烈に刻み込まれているという。
(完)
参考:龍土町について
龍土町(りゅうどちょう、麻布龍土町、あざぶりゅうどちょう)は、かつて東京・麻布にあった町である。
龍土町は、江戸時代から1967年(昭和42年)まで存在した町名で、町域は現在の東京都港区六本木7丁目に含まれる。
1907年(明治40年)から1947年(昭和22年)までの期間を除いては、「麻布龍土町」という町名で当時は祭りで割と賑わう地であった。
「龍土町」の名称は、漁師が多く居住していた海に面する村・愛宕下西久保の猟人村(りょうとむら)が、元和年間に麻布領内に代地を与えられた際に「龍土」と改称したという説もある。
現在の地理では、旧防衛庁の跡地に建設された複合施設「東京ミッドタウン」外苑東通りを挟んで向かい側の通りの一画にあたる。
龍土町には、1900年(明治33年)に日本で初めてのフランス料理店として開業し、文豪らが集うことでも知られたレストラン「龍土軒」があったほか、二・二六事件を首謀した歩兵第3連隊が置かれていた。
また、江戸川乱歩の小説に登場する探偵・明智小五郎が事務所を構えているのも龍土町という設定であった。
最近の発展で飲食店もふえ、又ビルのオーナーも深夜営業するお店を多様に入れるので明け方まで営業している店が増え、治安の悪さが目立つようになってきて、朝方のひったくりや器物損壊や暴行など今までなかった傾向になってきている。