学生時代の冬休み、帰省した時のことをいまでも鮮明に思い出す。
年末の慌ただしさの中で、私はただ小銭を崩すために駅近くのコンビニへ向かった。実家のある町は、駅前こそ新しい建物が立ち並んでいるが、少し歩けば田畑が支配する風景へと変わる。夕方の冷気は刺すようで、吐く息が街灯に溶けるたび、不意に子供の頃の記憶が蘇ってくる。
店内でコーヒー缶を一つだけ買い、レジ袋も断って外に出る。空は群青に沈み、遠くで犬が吠える声がした。ちょうど飲み口に唇をあてた時、視界の端に不可解な影が揺れた。刈り取られた稲の根の中、枯れ草と土の境目にそれはいた。
最初は犬かと思った。けれど首をかしげた瞬間、違和感が走る。案山子にも似ている、しかし決定的に形が違う。次に浮かんだのは馬の姿だった。だが、その馬には下半身がなかった。前脚から胴の途中までが宙に漂い、後ろ半分はまるで切り取られたかのように消えている。輪郭は溶けるように不明瞭で、目の位置から黒い液体がだらだらと滴り落ちていた。
見間違いだと自分に言い聞かせても、何度まばたきをしても形は変わらない。寒さではなく、恐怖で手が震え、缶コーヒーを持つ指先から力が抜けた。私は飲みかけの缶を捨て、ペダルを乱暴に踏み込んで一目散に実家へ戻った。
夕飯時、母に地元の怪談について尋ねてみた。普段なら昔話をあれこれ披露してくれる母も、この夜は首をかしげるばかりで、「自殺者が出たマンション」とか「夜に近寄ってはいけない木」程度の話しかしなかった。安堵と失望が入り混じり、私は二階の自室にこもり、気を紛らわすようにゲームの画面を眺めていた。
その時だった。飼い犬が「クゥーン」と鼻を鳴らした。普段は滅多に聞かない怯え声だ。続いて遠くから和太鼓の音が響いてきた。秋祭りもとうに終わった冬の夜に、太鼓の音がするはずがない。音は次第に大きくなり、床が震えるほどの迫力で家全体に響いた。奇妙なのは、家族の誰も反応しないことだった。父も母も一階で眠っているはずなのに、物音ひとつ立てない。私だけがこの音を聞かされているのだろうか。
胸の奥がざわつき、カーテンの隙間から外を覗いた。そこで息を飲んだ。庭を紫色の光が照らし、その中心に立っていたのは、夕暮れに見た「後ろ半分のない馬」だった。黒い液体を目から垂らし、こちらを凝視している。まるで、私が気付くのを待っていたかのように。
慌ててカーテンを閉じたが、太鼓の音はさらに強まり、家の周囲をぐるぐる回るかのように響き渡った。頭が割れそうで、私は部屋の隅に蹲り、耳を塞いだ。犬は階下で鳴き続けていた。やがて意識が遠のくほど長い時間が過ぎ、太鼓の音は少しずつ遠ざかっていった。
朝になり、恐る恐る庭を見たが、光の跡も馬の痕跡もない。朝食の席で母に太鼓の音を聞かなかったか尋ねると、母は不思議そうに首を横に振った。
数日後、私は町の神社を訪れ、この出来事を神主に話した。神主は驚いた顔を見せることもなく、淡々と口を開いた。「それは尻切れ馬でしょう。この辺りに古くから伝わる妖怪です。夜に出歩く子供を攫うといわれています」
神主はしばらく考え込むようにしてから言った。「ただ、家まで追ってくるのは聞いたことがない。よほど何かに引かれたのでしょう」そう言って幣を振り、お祓いをしてくれた。
それ以来、太鼓の音を聞くこともなく、尻切れ馬を見ることもなくなった。しかし夜になると、私はいまだに窓の外を直視できない。耳を澄ませば、遠いどこかで太鼓が鳴り出す気がする。カーテンの向こう、紫の光の中にあの半身の馬がじっと立っている光景を、どうしても頭から追い払えないままなのだ。