あらすじ
大学生の清助は、友人の伊佐夫の家に向かう途中、電車内で「アケミちゃん」と名乗る可愛らしい女性と出会う。しかし、彼女の言動や所持品に不審な点が多く、違和感を覚える。さらにアケミちゃんは中華包丁を持ち歩き、清助を執拗に追跡。伊佐夫のアパートにも現れ、物騒な行動を起こす。
警察により一時的に事態は収束するものの、アケミちゃんの正体や動機は不明のまま。後日、清助は再びアケミちゃんに遭遇し、彼女が実は人形のような存在である可能性を知る。最終的に神社に彼女の「指」を投げ込むと、アケミちゃんの姿は消え、人形の残骸が発見される。以後、清助は彼女に再会していないものの、事件の詳細は未解明のまま終わる……
2011年5月のこと。
大学に入学してしばらく経ったある日の夜、友人の伊佐夫から電話があった。
「悟志と隆典も来てるから、家に来ないか」という誘いだった。時刻は夜の9時を過ぎた頃。伊佐夫のアパートは、大学を挟んで俺の住んでいる場所の反対方向にあり、電車を乗り継いで行かなければならない距離だ。
正直、行くのは面倒だったが、特にすることもなかったし、土曜の夜で暇だったので、行くことにした。
電車を乗り継ぐ途中、乗り換え駅のホームでふと気づいた。やけに人が少ない。「土曜の夜ってこんなものだっけ?」と思いつつ、電車に乗り込むと、車内も驚くほど空いていた。乗客は酔っ払いらしい二人組だけだった。
特に気にせず席に座り、携帯をいじっていたが、次の駅で酔っ払い二人組が降りると、俺の向かいに同じくらいの年齢の女の子が乗ってきた。その子は黒髪のセミロングで、控えめで大人しそうな雰囲気を持った子だった。俺のタイプそのものだ。
最初は気にも留めず、携帯をいじっていたが、ふと顔を上げると、その女の子が目に留まった。どうしても視線が彼女に向いてしまう。気がつけば、無意識に見つめていたらしく、目が合ってしまった。
「やばい、絶対変な奴だと思われた!」慌てて目を逸らし、窓の外を見るフリをした。だが、どう考えても不自然な行動で、ますます挙動不審に見えただろう。
そんな葛藤をしていると、「クスクス」と笑い声が聞こえた。驚いて正面を見ると、彼女がこちらを見て笑っている。そして、「なんですかぁ?」と話しかけてきた。
頭が真っ白になりながらも、必死に取り繕って「いや、外を見てただけだけど」と返した。しかし彼女は笑いながら「私のこと見てたよねー」と言い、俺の隣に移動してきた。
内心大混乱しながらも、俺は観念して正直に「ごめん、見てました……」と答えた。そこから、15分ほど会話を交わした。彼女の名前は「アケミちゃん」といい、学部は違うが同じ大学に通っているという。
アケミちゃんと話しているうちに、少しだけ違和感を覚えた。彼女は最近の話題を振ったかと思えば、急に何年も前の話をし始めたり、時事ニュースには詳しいのに、「この前の地震怖かったね」という話題にはやけに反応が薄かったりする。同じ話を繰り返したり、突然無表情で黙り込んだりすることもあった。
だが、タイプの女の子と話せる喜びで舞い上がっていた俺は、その違和感を深く考えなかった。ただ一つだけ気になったのは、電車が揺れるたびに「カチ…カチ…」と、プラスチックがぶつかるような音がすることだ。
最初は気にしなかったが、音がどこから聞こえるのか気になってキョロキョロしていると、アケミちゃんに「どうしたの?」と聞かれた。だが音の出所はわからず、「いや、特に」と誤魔化した。
目的地の手前の駅に差し掛かった頃、アケミちゃんのバッグから携帯の着信音が鳴った。彼女がバッグを開けて携帯を取り出そうとしたとき、俺は中に異様なものを目にしてしまった。
ボロボロに錆びた、大きな中華包丁が二本。十代の女の子が持つには不釣り合いな物だ。アケミちゃんはすぐにバッグを閉じたが、見間違いではない。音の正体も彼女のバッグからだったのかもしれない。
そこで俺は急に冷静になった。「そもそも、こんな可愛い子が目が合っただけで話しかけてくるなんて、あり得るのか?そんな都合のいい話があるわけない。この子、ヤバいんじゃないか?」という疑念が浮かんだ。
目的地の駅で降りるのはまずいと感じた俺は、次の駅で降りることを決意。ただし、普通に降りるとついて来られる可能性がある。そこで、電車が停まり、発車直前にドアが閉まる寸前で飛び降りる作戦をとった。
電車が次の駅に到着し、俺は「ごめん、ここで降りるわ」とだけ言って、ダッシュで電車を降りた。案の定、アケミちゃんは反応できず、そのまま電車は発車していった。
難を逃れたと思った俺は、タクシーを使って伊佐夫のアパートに向かうことにした。伊佐夫に電話をして住所を聞き、タクシーで到着。事情を話すと、伊佐夫も悟志も隆典も「嘘くせえ」と笑って信じてくれなかった。
そのとき、インターフォンが鳴った。時刻は夜11時近く。こんな時間に来客があるはずがない。冗談半分で悟志が「アケミちゃんじゃね?」と言うと、部屋の雰囲気が凍りついた。
伊佐夫がドアスコープを覗きに行き、戻ってきて「すげー可愛い子がニコニコしながら立ってるんだけど」と告げた。俺は血の気が引き、「やっぱりつけられてたのか……」と動揺した。
ひそひそと相談した結果、俺がクローゼットに隠れ、伊佐夫が応対することにした。ただ、武器を持った相手にドアを開けるのは危険すぎる。相談している間もアケミちゃんの声が聞こえる。「清助くーん、いるよね?なんで逃げるの?ちゃんと話してよ」と言いながらドアの向こうで動いている様子。
やがて外から金属が擦れる不快な音が聞こえた。伊佐夫が再び覗きに行き、「包丁でドアを引っ掻いてる」と報告してきた。すると、隣の部屋の住人が怒鳴り声をあげたが、その後「うわっ!なんだこいつ!」という声と共にドアが閉まる音がした。どうやら隣人にも危害を加えたらしい。
その後、外が静かになるとパトカーの光が見えた。警察が駆けつけたようで、伊佐夫がドアを開けて状況を説明。アケミちゃんは警官を突き飛ばして逃げたとのことだった。
警察はアケミちゃんの身元を調べたが、大学に該当する学生はいないとのことだった。身元の特定もできず、情報は何も得られないまま、事件はひとまず収束。俺はしばらく警察の巡回を受けながら生活することになった。
しかし、その警戒も時間とともに薄れ、6月末には警察も「何かあれば連絡を」と言うだけになっていた。俺も「もう大丈夫だろう」と油断していた。
その日、夜10時半ごろ、小腹が空いた俺は駅前のコンビニへ買い物に出た。帰り道、公園の近くを通ると、ベンチに誰かが座っているのが見えた。薄暗い街灯の下、相手が誰かまではわからない。
何気なく公園を通り過ぎようとすると、ベンチに座っていた人影がこちらに気づき、駆け寄ってきた。近づいてきたのは、ニコニコ笑顔のアケミちゃんだった。
バッグを持ち、明らかに中には中華包丁が入っていると思われる。彼女は「やっと会えたね」と嬉しそうに言った。
俺はパニックに陥りながらも、逃げることを考えた。距離はまだ数メートルあり、彼女の靴はヒール付きで走りづらそう。俺は全力で自宅と反対方向へ走り出した。
逃げながら、警察に連絡しようとポケットを探ったが、携帯は家に置きっぱなしだったことに気づいた。どうしようもなく、さらに走り続けた。1キロほど走っただろうか。周囲に人影はなく、車が数台通り過ぎるだけだった。
追いかけてくる足音は聞こえない。もう安全だと思い、公園の近くまで戻ることにした。理由は、公園に電話ボックスがあることを思い出したからだ。
慎重に公園周辺を確認し、人影がないことを確かめてから電話ボックスへ向かった。だが、扉を開けた瞬間、肩を叩かれた。
振り向くと、そこにはまたしてもニコニコ笑顔のアケミちゃんがいた。「私、清助君のポケットにいるから、どこにいてもわかるよ」と彼女は言う。
混乱する俺に、彼女は「お尻の右のポケットだよ」と示唆した。言われるがままにポケットを探ると、そこにはマネキンの指のようなものが入っていた。
投げ捨てようとすると、アケミちゃんが拾い上げてポケットに戻し、「次に私を捨てたら殺すから」と囁いた。その言葉の意味を理解する間もなく、彼女は俺をアパートへ連れて行こうと強引に腕を引っ張り始めた。
アケミちゃんの腕力は信じられないほど強かった。抵抗する間もなく、自宅アパートに連れ込まれ、部屋の中を物色される。「散らかってるね」と言いながら片付けを始めた彼女の動きに、俺は気が気ではなかった。
そして、彼女が髪をかき上げた瞬間、首筋に不自然な線が入っているのが見えた。その線はうなじから後頭部に続いており、欠けている部分が「カチカチ」という音を立てている。
さらに、棚から本が落ちて彼女の頭に当たると、首が明らかにズレた。その後、自分で首を直した彼女の姿を見て、俺は恐怖で震えた。目の前にいるのは、人間ではない何かだった。
このままでは命の危険があると感じた俺は、部屋に置いてあった湯沸しポットを手に取り、彼女の頭を全力で殴りつけた。アケミちゃんは吹き飛び、倒れた。だが、次の瞬間、彼女は起き上がり、「痛い、何するの?」と微笑む。
その顔は、上半分が剥がれ落ち、下半分だけになっていた。俺は恐怖でポットを投げつけ、玄関から全力で逃げ出した。
外に飛び出した俺は、アパートの方を振り返った。すると、アケミちゃんが二階の窓から身を乗り出し、片手に中華包丁、もう一方の手に自分の頭のパーツを掴み、俺を見ながら下に飛び降りるところだった。
涙目で恐怖に駆られた俺は、とにかく走り続けた。後ろからは「カチカチカチカチ……」という音が迫ってくる。音が追いかけてくるだけで、俺の心臓は張り裂けそうだった。
走りながら彼女の言葉を思い出した。「私を捨てたら殺すから」。この「私」が何を指すのかはわからないが、指のことではないかという仮説を立てた。しかし、捨てるべきか捨てないべきか判断がつかないまま、俺は街の大通りに出た。
100メートルほど先には神社が見えた。理由も根拠もないが、「ここなら」と思い、鳥居をくぐった。そして、ポケットからマネキンの指を取り出し、拝殿に向かって思い切り投げ込んだ。
その瞬間、背後から「キィィィィィィィィィ!」という叫び声が響き渡り、続けて「ドン!」という衝突音が聞こえた。振り返ると、道路の向こうで車が停まっており、運転手が電話している。どうやらアケミちゃんが車に轢かれたらしい。
道路に近づくと、運転手が「あれ?人を轢いたはずなんだけど……いないんだよ」と困惑していた。辺りを見回すと、道路の端に人形のような残骸が転がっているのを見つけた。
恐る恐る近づいて確認すると、それはアケミちゃんの服を着た人形のパーツだった。しかし、俺が目にしてきた「彼女」は質感も表情も完全に人間だった。それが今、安っぽい人形の破片として転がっている。どういうことなのか全く理解できなかった。
その場に警察が到着。俺も一部始終を説明したが、当然信じてもらえない。運転手も「人を轢いたと思ったけど、人形?なんで?」と困惑していた。
さらに不可解だったのは、人形に関節がなく、どうやって人の形を保っていたのか説明がつかないという点だ。結局、その残骸は警察に回収され、その後どうなったのかは知らされなかった。
俺がアパートに戻ると、部屋には警察が来ていた。どうやら騒ぎを通報され、現場確認に来たようだ。アケミちゃんのバッグが証拠品として回収されたが、中には身元がわかるものは何も入っていなかった。
後日、警察から「彼女の携帯は数年前に解約されたもので、通話可能な状態ではなかった」と聞かされた。事件はこれで幕を閉じた。
その後、俺の周囲でアケミちゃんが現れることはなくなった。だが、人気のない場所や、不意に人が少なくなる状況に出くわすと、今でも恐怖心がよみがえる。
人形の正体や事件の真相については、考えたくもない。これを読んでいる人が、どう解釈するかに委ねたいと思う。
(了)