これは、俺の古くからの友人、仮にアキラと呼んでおこうか、彼が体験した、背筋が凍るような話だ。
アキラは、その頃、とあるパソコンリサイクルメーカーに勤めていた。古びたり、壊れたりして持ち主の手を離れたパソコンたちが、ベルトコンベアに乗せられて運ばれてくる。それらを解体し、まだ息のある部品を選り分け、検査し、再び誰かの役に立つようにする、そんな地道な作業が彼の日常だった。
彼が担当していたのは、パソコンの記憶装置、ハードディスクドライブ、通称HDDだ。来る日も来る日も、膨大な数のHDDと向き合い、データを消去したり、物理的に破壊したりする単調な作業の繰り返し。正直、アキラはそんな毎日にうんざりしていた。元々好奇心が旺盛で、どこか悪戯っぽいところがある男だったから、退屈は彼にとって何よりの毒だったのかもしれない。
そんなある日のことだ。いつものように流れ作業でHDDを手に取ったアキラは、ふと違和感を覚えた。そのHDDは、本来なら初期化、つまりフォーマットされているはずなのに、どうやら処理が漏れていたらしい。彼の頭の中に、悪魔の囁きが響いた。「ちょっとくらい、中身を覗いてみてもバレやしないさ」。普段なら、そんな危険な橋は渡らない彼も、その時は長らく続く単調な作業への反動と、ほんの少しのスリルを求める気持ちが勝ってしまったのだろう。彼は周囲の目を盗み、こっそりとそのHDDを検査用のPCに接続し、中身を漁り始めた。
「…うわっ」
思わず小さな声が漏れた。容量2.1GBの、今となっては時代遅れのHDD。その内部は、ほとんどが…そう、おびただしい数のエロ画像で埋め尽くされていたのだという。アキラ曰く、その種類も多岐にわたり、素人ものからプロ顔負けの凝ったものまで、まさに「宝の山」だったらしい。彼は、まるで禁断の果実を味わうかのように、それらの画像を複数枚のCD-Rに焼き、誰にも気づかれぬよう、作業着のポケットに忍ばせて持ち帰ってしまった。もちろん、会社の内規に照らせば、一発で懲戒解雇ものの重大な違反行為だ。
その夜、アキラは自室で、まるで海賊が戦利品を検分するかのように、興奮冷めやらぬ面持ちでCD-Rの画像を一枚一枚チェックしていた。アドレナリンが全身を駆け巡り、背徳感と高揚感が入り混じった奇妙な感覚に包まれていたという。そんな中、何百枚目かの画像を開いた時、彼の目が一点に釘付けになった。それは、他のいかがわしい画像とは明らかに異質な、一枚の地図らしき画像だった。
「なんだこれ…?」
それは、彼が住む町の近隣を示す、手書きのような粗末な地図だった。見慣れた地名がいくつか書き込まれている。そして、その地図の端、深い山の奥まった場所に、赤いインクで大きなバツ印が記されていた。まるで宝の隠し場所を示すかのように。
「何かある…絶対に何かあるぞ!」
アキラの好奇心に、再び火がついた。エロ画像の山の中に紛れ込んでいた、謎の地図。これはただ事ではない、と彼は直感した。彼はその週末の休みを利用し、そのバツ印の場所へ行ってみることを即座に決めた。俺も、「面白そうだから一緒に行こうぜ」と誘われたのだが、あいにくその日はどうしても外せない仕事があり、同行することは叶わなかった。今思えば、それが幸いしたのか、あるいは…。
そして週末。アキラは一人、ホームセンターで買った安物のスコップと、しわくちゃになった地図のコピーをリュックに詰め込み、薄暗い早朝から山へと分け入った。最初は整備された登山道だったが、地図が示す場所へ近づくにつれ、道は獣道のように細くなり、やがて完全に消失した。鬱蒼と茂る木々が太陽の光を遮り、湿った土と腐葉土の匂いが鼻をつく。聞こえるのは、自分の荒い息遣いと、時折響く鳥の声、そして風が木々を揺らす音だけ。道なき道を進むこと、実に2時間。汗だくになり、息も絶え絶えになった頃、ついに彼は地図のバツ印が示す場所にたどり着いた。
そこは、まるで誰かが意図して切り開いたかのように、周囲の木々が途切れ、ぽっかりと空間が空いた、ちょっとした広場のようになっていたという。アキラは、長旅の疲れも忘れ、高鳴る胸を抑えながらリュックからスコップを取り出した。彼が期待していたのは、もちろん、エロ画像の延長線上にあるものだったのだろう。隠されたエロ本の大群だとか、あるいはもっと過激な「お宝」だとか…。そんな想像を逞しくしながら、彼は一心不乱に地面を掘り始めた。
しばらく硬い土と格闘していると、カツン、とスコップの先に何かが当たる感触があった。
「あった!」
期待に目を輝かせ、慎重に土を掻き分けると、そこから現れたのは、水色のアクエリアスのロゴが入った、大きなビニール袋だった。それは土に埋まっていたとは思えないほど新しく、パンパンに膨らんでいたという。興奮は最高潮に達していた。アキラは、もはや理性を失いかけた獣のように、ビニール袋の口を乱暴に引き裂いた。
しかし、その瞬間、彼の顔から血の気が引いた。
中から雪崩のように出てきたのは、彼が夢想したような「お宝」ではなかった。それは、おびただしい数のお札だった。だが、それらは決して金銭的な価値を持つものではない。和紙のような、ざらついた手触りの紙片。その一枚一枚に、赤黒いインクで、見たこともないような、おぞましい記号や、歪んだ人型のようなものがびっしりと書き込まれていたのだ。ぱっと見ただけでも、おそらく数千枚は下らないであろう、そのお札の山。アキラ曰く、その記号や絵柄は、言葉では表現できないほどに禍々しく、見ているだけで吐き気を催すような代物だったという。
もはや、そこにエロ本への期待など微塵も残っていなかった。ただ、得体の知れない恐怖だけが、彼の全身を支配した。アキラは、慌てて掘り起こした土をお札の山に被せると、スコップもそのままに、文字通り脱兎のごとくその場から逃げ出した。背後から、何者かの冷たい視線を感じたような気がした、と彼は後に語った。
翌日。昨夜の恐怖で一睡もできなかったアキラは、重い体を引きずって出社した。しかし、会社に着くと、そこは異様な雰囲気に包まれていた。社員たちが右往左往し、何やら騒然としている。
「どうしたんですか?」
近くにいた先輩社員に尋ねると、衝撃的な答えが返ってきた。
「泥棒だよ!昨日の夜、保管庫に泥棒が入ったらしいんだ!」
保管庫には、再生利用される予定のメモリやマザーボードといった部品が厳重に保管されていた。それらがごっそりと盗まれたというのだ。そして、アキラの心臓を鷲掴みにするような一言が続いた。
「例の、データ消去前のHDDもいくつかやられたみたいだぞ」
その言葉を聞いた瞬間、アキラの全身から血の気が引いた。まさか、あのHDDも…? 偶然であってくれ、と彼は心の中で必死に祈った。しかし、その祈りは虚しく、事態は最悪の方向へと転がり始める。
警察が到着し、社内は騒然としていた。現場検証のため、社員は一時的に待機を命じられた。アキラは、昨日の山での出来事と、この盗難事件が奇妙にリンクしているような、嫌な予感を拭えなかった。あまりの恐怖と混乱に、誰かに話を聞いてほしいという衝動に駆られ、隣にいた同僚に昨日の出来事を打ち明けようとした、まさにその時だった。
「キャァァァァァッ!」
甲高い悲鳴がフロアに響き渡った。声の主は、経理の若い女子社員だった。彼女は顔面蒼白で、震える指を窓の外に向け、アキラの方へと駆け寄ってきた。
「アキラさんの車! アキラさんの車に、変なものが貼られてるんです!」
「え…?」
アキラは、訳が分からないまま、女子社員が指さす駐車場へと目を向けた。そして、自分の愛車を見た瞬間、彼は言葉を失った。助手席側の窓ガラス。そこに、昨日山で見た、あの禍々しいお札が、一枚、ぴたりと貼り付けられていたのだ。
「そんな…バカな…」
今朝、家を出る時には、間違いなく何も貼られていなかった。そもそも、あのお札は一枚たりとも持ち帰ってはいないはずだ。山に埋め戻してきた、あの忌まわしい記憶。それが、なぜここに? 恐怖が、じわじわと彼の心を蝕んでいく。
その日を境に、アキラの日常は一変した。悪夢は、まだ始まったばかりだったのだ。
翌朝、彼が恐る恐る駐車場へ向かうと、そこにはまた、昨日と同じお札が、今度は運転席側の窓に貼られていた。そして次の日にはリアウィンドウに、その次の日にはボンネットに…。お札は毎日、必ず一枚ずつ増えていく。まるで、誰かが彼の行動を監視し、嘲笑うかのように。
アキラは憔悴しきっていた。警察にも相談し、自宅周辺のパトロールを強化してもらった。しかし、それでもお札は毎朝、彼の車に律儀に届けられた。まるで、警察の存在など意にも介さないかのように。誰が、いつ、どのようにして貼っているのか、全く見当がつかない。それは、人間業とは思えないほど巧妙で、不気味だった。
「なあ、隠しカメラでも設置して、誰がやってるか突き止めたらどうだ?」
見かねた俺がそう提案すると、アキラは顔を青くして、ガタガタと震えながらこう言った。
「そんなことしたら…そんなことしたら、絶対に殺される…!」
彼の目には、純粋な恐怖が宿っていた。長い付き合いだったが、彼がここまで怯えている姿を見るのは初めてだった。普段のお調子者の面影はどこにもなく、まるで何かに追われる小動物のように、常に周囲を警戒し、些細な物音にもビクッと反応するようになっていた。
そして、その出来事が始まってから半年ほどが過ぎた頃、アキラは突如として会社を辞め、誰にも行き先を告げずに、どこかへ引っ越してしまった。あまりにも突然のことで、俺たち友人にも連絡先を伝える余裕すらなかったようだ。まるで、何かから逃げるように、忽然と姿を消した。
今でも時々、アキラのことを思い出す。彼は今、どこで何をしているのだろうか。そして、あの忌まわしいお札は、今も彼の元へ届けられ続けているのだろうか…? それを考えると、俺はいつも、言いようのない不安と恐怖に襲われるのだ。