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あの夏の階段、母が消えた日 r+5,634

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幼い頃の私は、ひどい喘息持ちで体が弱い子供でした。

まだ言葉もろくに話せないうちから、高熱にうなされ、止まらない咳に苦しみ泣いていた記憶がおぼろげながら残っています。

私が三歳になった夏、母のお腹は新しい命を宿し、とても大きくなっていました。八月の暑い日、母と二人で買い物に出かけた帰り道のことです。私は上機嫌でスキップしながら、母としっかりと手を繋いでいました。いつもの長い階段に差し掛かり、母を見上げた、まさにその瞬間でした。隣にいたはずの母が、まるで何かに弾かれたように、ふっと消えたのです。

母は私の手を離し、階段を転げ落ちていきました。そして、お腹の赤ちゃんは……亡くなってしまいました。私は声も出せず、何が起きたのか全く理解できないまま、ただ呆然と立ち尽くしていました。感情が追いつかないとは、まさにこのことだったのでしょう。その感覚は今でも鮮明です。

偶然、その場に近所に住む三歳年上の女の子、たーちゃんがいました。たーちゃんは一部始終を見ていたと証言し、こう言ったのです。「あの子(私)がおばさん(母)を突き落とした」と。

母は意識不明のまま生死の境をさまよいました。周囲の大人たちは、病弱で母親に甘えてばかりだった私が、生まれてくる弟か妹に嫉妬し、母を突き落としたのだと考えたようでした。私は何度も何度も「お母さんを押したの?」と厳しい口調で問い詰められました。最初は「わからない」と答えていましたが、執拗な詰問に、いつしか「私がお母さんを押して殺してしまったんだ」と確信するようになっていました。

母は三ヶ月ほどして奇跡的に目を覚ましましたが、意識は戻りませんでした。話しかければ目を開け、動くものを目で追い、音がした方に顔を向ける。そんな基本的な反応はあっても、話すことも、ましてや私を認識することもできませんでした。

そんな状態が半年、一年、二年と過ぎ、母が本当に「目覚めた」と聞かされたのは、事故から三年が経った頃でした。私が「聞いた」というのは、母を突き落としたとされる私は、いわゆるサイコパスのような扱いを受け、子供の情緒を育てるための特殊な病院に入れられており、母に会わせてもらえなかったからです。動かない母を私が再び傷つけることを恐れられたのか、あるいは母に会わせてショックを受けさせないための配慮だったのか、今となってはわかりません。意識が戻った後も、すぐには母に会えませんでした。

手紙を書くことだけは許されたので、病院で色紙にクレヨンで一生懸命書きました。「おかあさん ごめんなさい」「おして ごめんなさい」。謝罪の言葉ばかりが並んだ手紙でした。

時が流れ、私の小学校入学が目前に迫り、周囲の大人たちが「普通の小学校は無理だろう」と話し合っていた頃、車椅子に乗り、すっかり痩せてしまった母が、私を訪ねてきてくれました。母は私の姿を見るなり、わんわんと声を上げて泣き、「無事で良かった」と何度も何度も繰り返しました。

大きくなってから母に聞いた話で、全ての真相が明らかになりました。
あの日、母を突き落としたのは、近所のたーちゃんだったのです。母は誰かに背中を強く押され、とっさの判断で私の手を離したのだと。転がり落ちる間、全てがスローモーションのように見え、階段の上では、たーちゃんが両手を突き出した格好で立っていたこと、そして彼女がそのまま私の背後に立ったので、私も突き落とされるかもしれないと思ったことを話してくれました。

父から聞いた話では、私が病院へ行ってから、たーちゃんは家のハムスターを殺すなど、問題行動を繰り返していたそうです。母の意識が戻ってから、たーちゃんと話す機会が設けられたらしく、なぜ母を押したのかと聞くと、彼女は「押して転んだら、中から何が出てくるのかなと思った」と答えたといいます。私が普通の小学校に通い始めたのと入れ違いで、たーちゃんは病院に通うようになったそうです。

しかし、たーちゃんの両親は私たち親子を逆恨みし、一時期はひどい嫌がらせを受けました。その頃の私はまだ事件の真相を知らなかったので、「人を殺した私には当然の天罰なんだ」と、幼心に絶望的な気持ちで受け止めており、まさに修羅場でした。母も、まさか私が自分を犯人だと思い込んでいるとは夢にも思っておらず、その事実を知った時は言葉を失い、声もなく泣き崩れたそうです。

たーちゃんの親についてですが、私の記憶では四歳頃までしか接触がありませんでした。母親は、子供を見ていると言いながらいつも携帯電話ばかり触っていて、メール依存症のようでした。子供が何かしても携帯しか見ておらず、私の母がよく怒っていたのを覚えています。父親は地元の会社社長で、お客さんに対しては「ハエみたい」と母が評するほど横柄で、私は彼が汚い言葉で怒鳴り散らす姿しか知りません。公園でゴムボールで遊んでいて、たまたまタバコを吸っていた彼の足元にボールが転がっていっただけで、「ぶっ殺すぞクソガキ!ボール遊びするな!」と怒鳴られ、公園を追い出されたことがあります。その時、たーちゃんは私を見てニヤニヤしていました。

実は、たーちゃんには、私が何も理解していないのをいいことに、いじめられていた記憶もあります。母のお腹が大きくなり、私から目が離れがちになった三歳になったばかりの頃です。よくおもちゃを盗られ、「返して欲しかったら服を脱げ」と下着姿にされました。今思い返せば、下着姿で鉄の棒に股を擦り付けろと言われたり、家の玄関で遊んでいたら無理やり連れ出され、裸にされて家まで帰らされたりもしました。当時は羞恥心というものを知らなかったので何の疑問も感じませんでしたが、今なら何をされたのかはっきりと理解できます。

私にとって、たーちゃんという名前以外、彼女に繋がる情報は何も覚えていません。もう、いるかいないかもわからない宇宙人のような存在です。生きている限り二度と関わりたくないし、むしろ、彼女にされたことを考えると、私の黒歴史そのものです。

[出典:208: 名無しさん@おーぷん 2016/11/02(水)23:58:01 ID:Lqm]

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