小学三年のとき、あの村にひとりの少女が越してきた。
名前はミキ。よく笑い、よく走り、いつもクラスの中心にいる子だった。
最初から、どこか違っていた。
彼女はときどき、誰もいない場所に向かって手を振ったり、空を見上げて小さく頷いたりした。先生に注意されても、首をかしげて「だいじょうぶだよ」と言うだけだった。
ある日、ミキはポラロイドカメラを持ってきた。
見せてあげる、と言って机に三枚の写真を並べた。
木の根元に座り込む中年の男。
顔の輪郭が崩れ、甲冑の形だけが残った人影。
画面いっぱいに押しつぶされたような、口を開いた顔。
誰かが悲鳴を上げ、誰かが泣いた。
作り物ではなかった。写り方が、あまりにも現実に寄りすぎていた。
それから、ミキの周りには距離が生まれた。
男子は興味本位で近づき、女子は静かに離れていった。
ミキは変わらなかった。ただ、放課後になると必ず急いで帰った。
ミキの家は、村外れにあった。
一軒だけ、ぽつんと。
周囲には草がなく、土と石だけが露出していた。
金網が張り巡らされ、一本道以外は入れない。
どうしてこんなところに住んでるの。
そう聞いたとき、ミキは少し困った顔をして言った。
「ここじゃないと、いけないんだって」
それ以上は何も言わなかった。
ある日、俺たちは勝手にあの家へ向かった。
ミキには内緒で、放課後に。
金網を越えた瞬間、空気が変わった気がした。
音が遠くなり、足音だけがやけに大きく響いた。
途中でひとりが叫んで走り出した。
理由はわからない。ただ、戻ってきた顔は真っ青で、泣いていた。
翌日、ミキは俺たちを怒鳴った。
教室で、初めて見る表情だった。
連れて行かれたのは、金網からかなり手前の場所だった。
そこから先へは行くな、と言われ、俺たちは待たされた。
やがて、大人の女性が現れた。
ミキの母親だと名乗り、穏やかな声で大丈夫だからねと言った。
その日、家のほうから何かが行われているのを感じた。
音はない。ただ、空気だけが重く、息がしづらかった。
何があったのか、詳しくは知らされなかった。
俺たちは「もう近づくな」とだけ言われて帰された。
それからしばらくして、ミキは転校した。
二〇一一年の春、母から電話が来た。
理由は言われず、日付だけを告げられた。
連れて行かれた場所を見て、思い出した。
あの家があった土地だ。
高い塀に囲まれ、鉄線が張られ、警告の看板が立っていた。
中に入ると、建物は何もなかった。
土と石だけの地面が、昔のままだった。
白装束の女性が三人立っていた。
そのひとりが、俺の名前を呼んだ。
ミキだった。
俺は何も言えず、その場に座り込んだ。
彼女は何も説明しなかった。ただ、ここまで来たことだけを確認するように、何度か頷いた。
祈りのような時間が過ぎた。
風が止み、空気が軽くなった気がした。
終わった、と誰かが言った。
本当にそうなのかは、誰にもわからなかった。
帰り際、ミキが小さく言った。
「もう大丈夫だと思う。でもね……」
言葉はそこで途切れた。
視線は、塀の向こうを見ていた。
あれから、俺は何度か夢を見る。
草の生えない地面を歩き、誰かに呼ばれる夢だ。
目を覚ますと、足の裏がひどく冷えている。
今も、理由はわからない。
(了)