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短編 r+ ヒトコワ・ほんとに怖いのは人間

来ていない女 rw+10,940-0123

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知り合いに、坂本という男がいる。

三十を少し過ぎた年齢で上京してきたが、職歴に芯はなく、派遣会社を転々としている。何者にもなれていない感じの男で、本人もそれを取り繕おうとしない。周囲からは頼りない、腰の定まらない奴と見られていた。

あれは数人で宅飲みをしていた夜のことだ。酒が回り、話題が尽きかけた頃、誰かが何気なく口にした。

「そういや坂本って、なんで上京してきたんだっけ」

悪意はなかった。ただの世間話だ。だが、その瞬間、坂本の表情が固まった。笑みが消え、視線が宙に泳いだ。場の空気がわずかに沈む。触れてはいけない話題だと、誰もが察した。

空気を読まない一人が、軽く重ねた。

「地元でなんかあったんだろ」

坂本は最初、曖昧に笑ってはぐらかした。だが酔いが進むにつれ、その笑いは乾き、やがて観念したように深く息を吐いた。

「……絶対、引くなよ」

そう前置きして、ぽつぽつと語り始めた。

地元の国立大学を出て、県内の中小企業に就職した。通勤は自転車で十分。実家暮らしで、親とも特別仲が悪いわけじゃない。刺激はないが、破綻もない生活だった。

あの日は金曜で、珍しく仕事が早く終わった。まだ陽が残る時間帯、住宅街を抜ける道を一人歩いていた。夕飯の支度の匂いが、家々の窓から滲み出てくる時間だ。

そのとき、前方から女が歩いてきた。

背は低く、紺色のワンピースに薄いカーディガン。年齢は同じくらいに見えた。顔は逆光でよく分からない。すれ違うだけの距離まで近づいた瞬間、女がぱっと表情を明るくして駆け寄ってきた。

「坂本さん。久しぶり。元気だった」

迷いのない声だった。旧知の相手に向ける、ためらいのない呼び方。だが坂本には、女に心当たりがなかった。どこかで見たような気もするが、誰かに似ている程度の感覚だ。

「久しぶり……だね」

そう返すしかなかった。

女は鞄から、小さな手帳を取り出した。紺色の革張りで、よく手入れされている。差し出された表紙に、金色の文字があった。

障害者手帳。

意味を理解するより先に、背中に冷たいものが走った。女は何も言わず、手帳を開いた。証明写真。氏名。等級欄。

精神障害者二級。

その名前を見た瞬間、坂本の呼吸が止まった。

道代。

忘れていたわけではない。ただ、思い出さないようにしていた。中学時代、坂本は道代をいじめていた。物を隠す。机に落書きをする。無視を広める。教師が見て見ぬふりをすることを、皆で学習していた。

ただの悪ふざけではなかった。人を壊すやり方だった。

目の前の女は、その道代だった。

「覚えてなかったでしょう」

道代は笑った。穏やかで、感情の起伏がない。だが視線だけが、異様に冷えていた。

「私はね、一日も忘れたことなかった」

坂本は声が出なかった。喉が貼りついたように動かない。

「この手帳、便利なの」

道代は手帳を閉じ、指で軽く叩いた。

「守ってくれる。私が何をしても、きっと理由を探してもらえる。病気だから。仕方ないって」

語調は淡々としていた。自慢でも、脅しでもない。ただ事実を並べているようだった。

坂本の足元が揺れた。膝が笑い、視界の端が暗くなる。

「今日は無理だけど」

道代は首を傾げた。

「何も持ってないし。あなた、大きいでしょう。変なことになったら、私が連れていかれる」

それから、柔らかく手を振った。

「またね」

その仕草は、あまりに日常的だった。買い物帰りに近所の知人と別れるような、無邪気さだった。

道代は振り返らず、住宅街の角を曲がって消えた。

坂本はその場にしゃがみ込み、しばらく動けなかった。

「笑ってた。でも……目だけが違った」

宅飲みの席で、坂本はそこまで語った。誰も口を挟めなかった。

それ以降、坂本は眠れなくなった。夜になると、足音が聞こえる気がした。インターホンが鳴っていないのに、鳴ったと思い込む。鏡に映る自分の背後に、人影を探す癖がついた。

道代が来たわけではない。ただ、来ていない理由も分からなかった。

家と家の距離は、徒歩十五分。包丁一本あれば、十分すぎる距離だ。住所も顔も、覚えられている。

ある夜、坂本は玄関の鍵を確認しながら、ふと気づいた。

もし道代が来るなら、チャイムは鳴らさないだろう。

それから間もなく、坂本は上京した。住民票は移さなかった。両親にも住所を教えなかった。共通の知人には、誰が訪ねてきても居場所を教えるなと念を押した。

今も、坂本は都内の狭いアパートで暮らしている。外出は最低限。窓は常に閉め、郵便受けを開けるときも周囲を確認する。

「警察に言えばいいじゃん」

誰かがそう言ったとき、坂本は笑った。

「何を言うんだよ」

それだけだった。

道代は、何もしていない。だから、何も終わっていない。

彼女が現れない時間だけが、坂本の生活を少しずつ削っている。

壊されたものは、距離では逃げられない場所に残っている。

坂本は今も、誰かに見られている気がしている。

それが道代なのか、それとも自分自身なのか、もう区別はついていない。

[出典:http://toro.2ch.sc/test/read.cgi/occult/1442606421/]

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