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短編 ヒトコワ・ほんとに怖いのは人間

手帳 r+10,304

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知り合いに中途半端な歳で上京してきたフリーターの坂本という男がいる。

年齢は三十を越えていたはずだが、職歴に一貫性はなく、今は都内の派遣会社を転々としている。何がしたいのかよくわからない、頼りない奴だと周囲からは思われていたが、本人はそれを気にもしていない様子だった。

あれは数人で宅飲みをしていた夜のことだ。誰かがふと「そういやさ、坂本ってどうして上京してきたの?」と訊いた。別に悪気があったわけじゃない。ただの興味本位だ。だが訊かれた坂本の顔が露骨に強張った。明らかに触れてほしくない話題だという空気が漂った。

しつこく尋ねたのは、場の空気を読めない奴だった。何度かはぐらかそうとした坂本だったが、酔いが回っていたせいか、やがて観念したように一息ついて言った。

「絶対、引くなよ」

それだけ言ってから、重たい過去を語り始めた。

地元の国立大学を出て、県内の中小企業に就職。通勤は自転車で十分な距離、両親と同居の実家暮らしで、特に不満もなかった。生活に波風はなかったが、面白味もなかった。

あの日は金曜だった。珍しく早く仕事が終わり、まだ陽が残るうちに帰路についていた。道沿いの住宅街には、夕飯の支度を知らせるような匂いが漂っていた。

前方から女がひとり、こちらに向かってくる。年の頃は同じくらい、背が低くて、紺色のワンピースに薄手のカーディガン。顔は陰になっていてよく見えなかった。だが女は坂本の姿を見るなり、急に駆け寄ってきた。

「坂本さん、久しぶり! 元気だった?」

笑顔だった。明るく、屈託がないように見えた。でも、坂本にはその女にまったく覚えがない。どこかで会った気がするような気もするが、それは「誰かに似てる」程度の既視感でしかなかった。

だが、「あんた誰?」などと訊くわけにもいかず、とりあえず適当に相槌を打った。

「久しぶり……元気だったよ、そっちは?」

女はにこにこと微笑みながら、鞄から一冊の小さな手帳を取り出した。皮製の紺色、よく磨かれている。差し出された表紙には、金色の文字が並んでいた。

――障害者手帳

一瞬、意味が掴めなかった。ただ、何かとんでもないものを見せられているという直感だけが先に来た。

「え、それ……どうしたの?」

言い終わるか終わらないうちに、女は手帳を開いた。中には証明写真、記載された氏名、そして精神障害者二級の文字。

その名前を見た瞬間、体の奥が凍りついた。

道代。

忘れていたわけではない。思い出したくなかっただけだ。坂本は中学時代、道代という女子をいじめていた。陰湿なやり口だった。筆箱を捨てた、机に悪口を書いた、全員で無視をした。教師も見て見ぬふりだった。あれは、ただの悪ふざけじゃない。人格を壊すような、計画的な破壊だった。

目の前の女は、その道代だった。

「坂本さん、私のこと、覚えてなかったんでしょう? 寂しいなあ。私はこの十年、一日もあなたのこと忘れたことなかったのに」

その声は、感情を込めるでもなく、淡々としていた。笑顔を浮かべているのに、目だけがまるで別人のように冷たく、底なしの黒だった。

「でも、大丈夫。この手帳が、今は私を守ってくれる。たとえ私が人を殺しても、報道は規制されると思うの。きっと、『病気だったから仕方ない』って、情状酌量の余地があるって思ってもらえると思う」

坂本は、寒気と共に尿意を感じていた。動けなかった。自分が何をされるか、それとも何もされないか、どちらにしても全身が強張った。

「でも今日は無理ね。刃物も紐も持ってないの。あなた、私よりずっと大きいし、素手じゃ返り討ちにされて、私が保護室に連れてかれちゃう。……またの機会にね」

道代は手を振った。子どもが友達に別れを告げるように、無邪気な仕草で。それから振り返ることなく、住宅街の角を曲がって消えた。

坂本はその場にへたり込んだ。

「笑ってたんだけど、目は本当に……獣みたいだった。あの時ナイフでも持ってたら、殺されてたと思う」

それ以降、坂本は完全に怯えるようになった。道代がいつ家を訪ねてくるか分からない。あの女は本当にやる。そういう顔だった。

思い立てば道代は、包丁一本持って、たった徒歩十五分の距離を歩いて来られる。住所も顔も知っている。昔の級友が住む町で、たった一人の復讐対象に会いに来るには、十分すぎる距離。

坂本は夜も眠れなくなった。幻聴のような足音、インターホンの空鳴り、鏡の中に誰か立っているような錯覚。

精神が擦り切れ、やがて逃げるように上京した。

住民票も移さなかった。両親にも、新しい住所は知らせなかった。親しい友人にも「誰が来ても俺の居場所は教えるな」と念を押した。

その後の坂本は、都内の狭いアパートに潜むように暮らしている。外出は最低限、同郷の知人とは距離を置き、常に周囲に警戒しながら生きている。

「道代のこと、警察に言えばいいじゃん」と誰かが言ったが、坂本は答えなかった。ただ、乾いた笑いを漏らしただけだった。

あの目を見た者にはわかる。

あの女は、まだ終わっていない。

――報復は、始まってすらいない。

坂本が壊したものは、時間と距離ではもうどうにもならないところにあった。そして彼の現在は、その代償の一部でしかないのかもしれない。

いや、本当の恐怖はこれからだろう。なぜなら、道代の「またの機会」は、まだ訪れていないのだから。

[出典:http://toro.2ch.sc/test/read.cgi/occult/1442606421/]

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