近所の人たちが、やたらと食べ物を持ってくるようになったのは、一通の手紙が原因だった。
最初はよくある近所付き合いだと思っていた。「作りすぎたから」「実家から届いたから」と、煮物や野菜や菓子折りが届く。こちらも器にお菓子を入れて返すと、「そんな気を遣わなくていいのよ」と言われる。どこか遠慮がちで、少しだけ心配そうな顔をしていた。
違和感を覚えたのは、給食のパンを渡されたときだった。「子どもが休んでね、友達が届けてくれたの。給食の物で悪いけど、よかったら」。さすがにおかしいと思った。
母と二人で首をかしげていると、近所の一人が意を決したように切り出した。「……もしかして、生活が大変なんじゃない?」
話を聞いて、事態を知った。
半月ほど前、周囲二十軒ほどの家のポストに、筆で書かれた立派な和紙の手紙が投函されていたという。差出人は「坂内」と名乗り、「家族を支える身でありながら職を失った」「破産手続きを進めている」「車を手放す予定だ」と、家ごとに微妙に違う事情を綴っていた。最後は必ず、「子どもたちの食事だけでも分けていただければ」と結ばれていた。
もちろん、うちの父は失業していない。破産もしていない。車もある。
近所の間で手紙のコピーが回収され、二十通以上が確認された。文面はすべて達筆で、家族構成まで正確だった。投函は朝刊を取りに出る時間帯に集中していたという。
警察に相談したが、被害は金銭的なものではない。実害が曖昧なため、捜査は進まなかった。
やがて、食べ物の差し入れは減っていった。ただ、完全には止まらなかった。月に一度ほど、思い出したように野菜や菓子が届く。差し出す側は決まって、「無理しないでね」と小声で言う。
数か月後、県庁のトイレに現金と達筆な手紙が置かれていたというニュースが流れた。困窮する家族への寄付だと書かれていたらしい。筆跡は公開されなかった。
あの手紙を書いた人物の目的は、いまだにわからない。金を集めるでもなく、直接的な被害もない。ただ、二十軒の家に「困っている一家」という物語を植えつけただけだ。
噂は消えない。
今でも時折、近所の誰かが言う。「あのときは本当に大変だったでしょう」。
うちは、あのときも今も、何一つ変わっていない。
それでも、あの手紙の存在だけが、近所の記憶の中で事実として残っている。
誰が書いたのかはわからない。
だが、善意は一度生まれると、簡単には消えない。
[出典:316 :2007/10/15(月) 01:29:20 ID:O6xioJ6X]