中二に上がる前の春休み、部活のメンバーと遊園地に行った。
俺は高所恐怖症で、絶叫マシーンは全く乗れない。皆が長い列に並んでいるあいだ、俺は外で待つ側だった。待ち時間は長かったが、退屈ではなかった。同じく絶叫マシーンが苦手だという桜井先輩が、隣にいたからだ。
桜井先輩は生活委員会の副委員長で、俺の直属の上司だった。大人しくて優しいが、表情がほとんど動かない人だった。何を考えているのか分からない。そのくせ、必要なときには相手の逃げ道を塞ぐ言い方をする。
メンバーが絶叫マシーンに並んでいるとき、桜井先輩は言った。「おばけ屋敷、行かない?」
俺は幽霊が見えることはあっても、怖くないわけではない。むしろ怖がりだ。断った。すると先輩は立ち上がり、「私がおばけ屋敷で痴漢にあったら、○○君のせいね」と言って歩き出した。
仕方なく、俺は後を追った。
そのおばけ屋敷は洋館風で、規模が大きかった。中に入ると、照明は暗く、低い音楽が流れていた。しばらく進むと、別の音が混ざった。
ひた、ひた、と裸足が床を踏むような音。
一定の間隔で、俺たちの後ろから。
演出だと思った。だが順路の壁際にスピーカーは見当たらない。曲は天井から流れているのに、足音は低く、耳元に近い位置で鳴っていた。
桜井先輩は平然としていた。
順路の後半で、先輩が急に立ち止まった。本来、立ち止まってはいけないはずの場所だった。俺も足を止める。
「四月に、生活委員長になるの」
唐突に、部活の話を始めた。
俺は「おめでとうございます」と言った。
先輩は俺をまっすぐ見た。「君は部活を辞めるつもりでしょう。でも、私は君を副委員長にするつもり。後に委員長にも指名する」
初耳だった。部活を辞めようと考えていたことは、誰にも言っていない。
「Aを後継者にしてください」と俺は言った。先輩は首を振った。「Aは嫌い。君がいい」
その間も、足音は止まらなかった。
ひた、ひた、ひた。
俺たちを中心に、円を描くように。
先輩は続けた。校長のこと、推薦のこと、俺の成績のこと。なぜそこまで知っているのか分からない。言葉は途切れず、逃げ道が一つずつ塞がれていく。
俺は圧されて、「わかりました」と言った。
その瞬間、足音が一歩、近づいた。
背後、すぐ後ろで。
俺は思わず振り返った。誰もいない。だが床の埃の上に、濡れたような足跡が一つ、俺の真後ろにあった。
「先輩、足音、聞こえませんか」
桜井先輩は眉を寄せた。「BGMはあるけど、足音なんてしてないよ」
嘘をつく人ではない。
ひた。
今度は、俺の横。
俺は先輩の腕を掴んだ。「走りましょう」
先輩は一瞬だけ俺を見たが、何も言わずに走り出した。出口まで、振り返らずに。
外に出て、明るい光の中でようやく息を整えた。俺は振り返った。入口は静かだった。足音はもうしない。
二人でジュースを買い、テーブルに座った。
「聞こえたの?」と先輩が訊いた。
「ずっと、ついてきてました」
先輩は少し考えてから言った。「あそこ、出るって有名らしいよ。だから、行ってみたかった」
俺は何も言えなかった。
先輩はストローをくわえたまま、淡々と続けた。「でも、私は何も見えなかったし、聞こえなかった。君が決めるまでは」
俺は顔を上げた。
「副委員長、やるって言ったでしょう。その後でしょ、足音が近づいたの」
喉が乾いた。
「偶然ですよ」と言ったが、声は掠れていた。
先輩は小さく笑った。「そうかもね。でもね、君は向いてるよ。ちゃんと、聞こえる人だから」
そのとき、テーブルの下で、何かが触れた。
ひた、と。
裸足の裏が、俺の足首に重なる感触。
俺は椅子を引いた。誰もいない。影もない。
桜井先輩は気づいていない。
その日から、部活を辞めるという考えは、きれいに消えた。思い出そうとすると、耳鳴りがして、あの足音が近づく。
ひた、ひた、と。
今も、生徒会室で一人になると、床を歩く音がする。
俺の机の周りを、円を描くように。
生活委員長になった桜井先輩は、来年卒業する。
その後、委員長になるのは、俺だ。
足音は、まだ止まっていない。
[出典:810 :おばけ屋敷 ◆txdQ6Z2C6o:2010/07/03(土) 00:45:30 ID:yk2rbvQ60]