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短編 r+ 土着信仰

魔除けを直した rw+10,260-0427

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俺の生まれ育った村には、女の葬式の前の晩だけに行う決まりがあった。

死んだ女の遺体が家へ戻ると、村の男を十人集める。血縁の濃い者、隣組の者、若い者、年寄り。その家に縁のある男たちが、日が暮れてから夜明けまで座敷に詰める。

線香とろうそくを絶やしてはいけない。火が弱くなればすぐに替える。酒は飲んでいい。ただし酔い潰れてはいけない。

子供の頃は、女の葬式にかこつけた酒盛りのように思っていた。だが、そうではないと知ったのは十六のときだった。

その晩、家は外から見ると、いつもの家ではなくなる。

戸はすべて閉める。雨戸も閉める。窓には古い布で作った魔除けを吊るす。井戸、風呂場、台所、便所、洗面所には塩を撒く。水のある場所は念入りにやる。

そして、日が沈んでから夜が明けるまで、誰も家へ入れてはいけない。

家人でもだ。

泣いている子供でも、忘れ物をした親戚でも、近所の者でも、戸を叩かれても開けてはいけない。

理由を聞くと、大人たちは決まってこう言った。

「キャッシャが来る」

キャッシャ。

漢字があるのか、どんなものなのか、誰もはっきりとは言わなかった。昔は火車と書いたと聞いたこともあるが、村でそう書く者はいなかった。猫だという者もいれば、黒い煙だという者もいた。女の魂を盗るものだと言う者もいた。

ただ、姿を見たという話だけはなかった。

見た者は、そのあと何も言わなくなるからだと聞かされていた。

十六の年、俺は初めてその夜番に選ばれた。

死んだのは近所に嫁いできた若い女だった。二十代半ばだったと思う。体が弱かったらしい。俺とはほとんど話したことがない。ただ、朝の道で会うと、こちらが挨拶する前に軽く頭を下げるような人だった。

昼過ぎ、爺さんに呼ばれて納屋へ行くと、白いろうそくが並んでいた。

普通のろうそくではない。太く、長く、ところどころに刀の跡が入っている。

「削れ」

爺さんはそう言って、小刀を渡した。

俺は言われるまま、ろうそくを削った。形は見本を真似た。顔のようなもの。腕のようなもの。角にも見えるし、膝を抱えた人にも見える。うまく削ろうとすると、かえって気味が悪くなった。

「これは何なんだ」

そう聞くと、爺さんは少し黙ってから言った。

「火を見せるためのものだ」

誰に、とは言わなかった。

日が落ちる頃、女の家へ行った。

座敷には布団が敷かれ、白い顔をした女が寝かされていた。枕元に花が置かれていたが、匂いは線香に負けていた。家族の女たちは、日暮れ前に奥の部屋へ移された。夜番が始まると、男たちだけが座敷に残る。

兄貴もいた。

兄貴は俺より五つ上で、すでに何度か夜番を経験していた。俺が硬くなっているのを見て、小声で笑った。

「大したことない。火を見て、酒飲んで、朝まで起きてるだけや」

けれど、兄貴の顔も笑ってはいなかった。

ろうそくに火が入ると、部屋の空気が変わった。

明るいのに、暗かった。

火は何本も灯っているのに、部屋の隅だけがやけに沈んで見えた。線香の煙が天井近くで薄く広がり、襖の木目が人の指のように浮いていた。

年寄りたちは無言で酒を飲んでいた。酔うためというより、口を閉じているために飲んでいるようだった。俺は酒を許されず、缶ジュースを持たされていたが、甘さが喉に残って気持ち悪かった。

夜が更けるにつれ、音が消えていった。

外の虫の声も、遠くの犬の声も、いつの間にか聞こえなくなった。座敷の中では、線香の燃える小さな音だけがしていた。ときどき、遺体の近くに置かれたろうそくが、誰かの息を受けたように細く揺れた。

一時を回った頃、急に眠気が来た。

俺は立ち上がり、洗面所へ行った。顔を洗えば少しは目が覚めると思ったのだ。

廊下は冷えていた。足の裏に板の冷たさが貼りついた。洗面所の小さな電球はついていたが、明かりが古く、鏡の中の自分の顔が黄色く見えた。

水を出して顔を洗い、息を吐いた。

顔を上げたとき、小窓の魔除けが目に入った。

布が斜めになっていた。

白と赤の古い布をねじったようなものが、小窓の上に結ばれている。その結び目が少しずれて、布の先が片方だけ下がっていた。

俺はしばらく見ていた。

本当なら、年長者を呼ぶべきだった。そう教えられていた。魔除けには触るな。歪んでいても、落ちていても、若い者が勝手に直すな。

だが、そのときは面倒だった。

騒ぎにすれば、誰かが怒られる。洗面所の見回りは兄貴の役目だった。兄貴が叱られるのも嫌だった。

俺は布に手を伸ばした。

指先が布に触れた瞬間、妙に湿っていると思った。水場だから湿っているだけだ、と自分に言い聞かせた。布をまっすぐにして、結び目を締め直した。

それだけだった。

座敷へ戻ると、兄貴がちらりと俺を見た。

「長かったな」

「顔、洗ってただけや」

俺はそう答えて座った。

しばらくして、玄関が鳴った。

最初は風かと思った。

次に、はっきりと叩く音がした。

ガン、ガン、ガン。

誰も動かなかった。

音は続いた。拳ではないような硬い音だった。戸そのものではなく、戸の奥にある柱を叩いているように響いた。

年寄りの一人が目だけで兄貴を見た。

兄貴は立ち上がった。俺もついていった。もう一人、近所の先輩が後ろに来た。

玄関には鍵が掛かっていた。兄貴が内側から戸を細く開けると、隣家の親父が立っていた。

隣家の親父は、女の家のすぐ隣に住む男だった。普段から声が大きく、祭りのときには太鼓を叩いていた。俺も何度も見ている。

その親父が、玄関先に立っていた。

顔が赤かった。息は荒い。着物の前が少し乱れていた。

「キャッシャが出たぞ」

親父はそう言った。

兄貴が何か言う前に、親父は続けた。

「屋根の上を通った。うちの塀づたいに、こっちへ入った。見たんや。今、入った」

先輩が息を呑んだ。

兄貴は振り返り、座敷のほうへ声をかけようとした。そのとき、親父が一歩、敷居へ足をかけた。

兄貴が腕を出して止めた。

「決まりです。中には入れません」

親父の顔が変わった。

怒った、という感じではなかった。表情の位置だけが変わったように見えた。眉だけが吊り上がり、口だけが大きく開いた。目は動いていなかった。

「入れろ」

低い声だった。

兄貴は首を振った。

「夜明けまでは駄目です」

「魔除けが歪んでる」

その言葉で、俺の背中が冷えた。

親父は玄関の奥を見ていなかった。洗面所の小窓など、ここから見えるはずがない。なのに、はっきりと言った。

「魔除けが歪んでる。水のとこや。早う直せ。早う。早う」

俺は何も言えなかった。

兄貴が俺のほうを見た。たぶん、顔に出ていたのだと思う。

親父はまた敷居を越えようとした。兄貴と先輩が押し返した。

「入れろ」

親父は言った。

「入れろ」

同じ声だった。

「入れろ」

声だけが強くなっていった。体はほとんど動いていない。腕を振るわけでもなく、暴れるわけでもない。ただ、立ったまま、口だけが動いていた。

「入れろおおおおお」

声が伸びた。

人間の喉から出ているはずなのに、途中から玄関の外ではなく、家の奥で響いているように聞こえた。

座敷のほうが騒がしくなった。

年寄りたちが家中を見回り始めたらしい。襖の開く音、足音、誰かが塩を持って走る音がした。

親父は急に黙った。

そして、笑った。

笑ったと言っても、顔は笑っていなかった。口角だけが少し上がった。目は相変わらず、俺たちのどこも見ていない。

「もうええ」

親父はそう言った。

その声は、隣家の親父の声ではなかった。

そう思ったが、何の声かは分からなかった。

戸が閉められた。親父は外へ消えた。兄貴がすぐに鍵を掛けた。鍵を掛ける手が震えていた。

その直後、爺さんが廊下の奥から戻ってきた。

顔色がなかった。

「洗面所の魔除けが変わっとる」

俺は何も言えなかった。

爺さんは俺を見た。兄貴も俺を見た。先輩も見た。

「触ったか」

爺さんの声は低かった。

俺はうなずいた。

「斜めになってたから、直した」

そう言った途端、爺さんは俺の頬を殴った。

痛みより、音のほうが大きかった。

「誰が直せと言った」

爺さんは怒鳴らなかった。怒鳴らなかったから、余計に怖かった。

「誰が、その向きが間違いやと言った」

俺はそのとき、初めて分からなくなった。

俺は魔除けを直したつもりだった。

だが、あれは本当に歪んでいたのか。

それとも、そうしておくものだったのか。

夜明けまで、誰も酒を飲まなかった。

座敷に戻ると、遺体の顔に掛けられていた白い布が、少しだけずれていた。誰かが直した。誰もそれについて何も言わなかった。

ろうそくは何度も替えられた。線香も絶やさなかった。戸には鍵を三つ掛け、玄関の前には塩を盛った。けれど、そのあともずっと、廊下のどこかで湿った布が擦れるような音がしていた。

朝になり、外が白くなった。

鶏の声がして、雨戸の隙間から光が入った。夜番が終わると、女たちが奥の部屋から戻ってきた。誰も昨日のようには泣かなかった。泣いてはいけないと言われていたのかもしれない。

隣家へ人が行った。

昼前に話が戻ってきた。

隣家の親父は、その晩ずっと寝込んでいたという。熱が高く、奥さんがそばで看病していた。夜中に起き上がったことも、外へ出たこともなかった。

奥さんは言ったそうだ。

「夜中に、玄関のほうで誰かが夫の声を出していた。でも夫は布団の中にいた」

その話を聞いたとき、兄貴は何も言わなかった。

爺さんも、それ以上は話さなかった。

ただ、女の葬式が終わったあと、洗面所の小窓に吊ってあった魔除けだけが外され、庭の端で燃やされた。俺が触った布だった。

燃えるとき、布はなかなか火をつけなかった。

乾いた布のはずなのに、黒い水のようなものを垂らしながら縮んでいった。爺さんは最後まで見ていた。

それから何年も経った。

村はもう、昔のような村ではない。若い者は外へ出て、葬式も簡単になった。夜番を十人でやる家も減ったと聞く。キャッシャの名を口にする者も、ほとんどいない。

兄貴は都会へ出た。俺も村を離れた。

だが、俺は今でも火を消せない。

眠るときは必ず常夜灯をつける。出張先のホテルでも、真っ暗にはできない。停電になったときは、いい大人がライターを握って朝まで起きていた。

火があれば安心する。

そう思っていた。

けれど最近、少し違う気がしている。

真っ暗なときには、あの声は聞こえない。

火をつけたときだけ、聞こえる。

豆電球をつけた直後。仏壇の線香に火を移したとき。コンロの青い火が立ったとき。

遠くの玄関から、隣家の親父の声で、低く聞こえる。

「もうええ」

その声がしたあと、いつも水場のほうで、何か濡れた布がゆっくり向きを変える音がする。

(了)

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