小学生の頃から、うちは妙な宗教をやっていた。
名前は言えないけれど、首にかける護符のようなものを与えられ、それをぶら下げて手をかざすと病気や怪我が治る、という教義だった。
子どもながらに半信半疑だったが、親が望むので講義を受け、その護符を授かった。小六までは一度も薬を飲まずに過ごせたのは事実だ。風邪をひいても、親が掌を翳すだけで治る。そういう生活だった。
ある日、目の病気になった。手術をすすめられ、観念しかけたところで、親がいつもの儀式を目に行った。
数日後、医者が言った。「……消えてますね。ごく稀に自然に消えることもあります」
あれは何だったのか、今もわからない。自然治癒か、儀式の効果か。結局、その宗教の道場に通うのが億劫でやめてしまった。今では薬漬けだ。
大学に上がって一人暮らしを始めた頃、その宗教に似た別の団体の信者が現れた。男は同じ大学の学生を名乗り、僕の部屋に来ては「手をかざさせてほしい」と言った。何となく警戒はしつつも、同じ大学なら……と受け入れた。
数回受けるうち、体に変調が出はじめた。原因不明の発疹。常に感じる視線。閉じた窓のカーテンが、強風に吹かれるようになびく。夜、部屋の隅に人影が立つような気配。
そのことを話すと、男は笑って「悪いものが出てる証拠ですよ」と言った。気配やカーテンの件は口にしなかった。
やがて彼は、別の信者を連れて現れた。支部道場への誘い。暇だった僕は車に乗り込んだ。
車内の空気は冷たく、胸を締め付けられるような圧迫感があった。男は「入ってからいいことばかりだ」と饒舌に語った。僕は鼻で笑ったが、何かが皮膚の裏を這うような感覚があった。
やがて支部が見え、建物に入った。途端、黒い霧のようなものが天井近くを這い回るのが見えたが、一瞬で消えた。気のせいだと思い込んだ。
白い封袋を渡され「いくらでもいいから」と言われた。十円を入れようとした瞬間、受付の目が刺すように睨んだ。
その後、本を渡され、高天原云々と書かれた文を全員で唱和させられた。
帰り際、背中に何かがのしかかり、内側から凹むような感覚が走った。息が詰まるほどの圧迫が数秒続き、ふっと解けた。
二日後、体調が急速に崩れた。汗が滝のように流れ、吐き気と倦怠感で立ち上がれない。病院を四つ回っても原因不明。体重は削られ、骨が浮き出た。
それでも男は来て、掌を翳した。「すぐ良くなりますよ」
夜になると、首を絞められる感覚で目を覚ます。電気が勝手につき消えし、壁が激しく叩かれる。隣人に苦情を言うと「そちらこそ夜中に壁を叩くな」と返された。
耐えきれず、大学のサークル部屋に寝泊まりした。
実家に電話し「頭がおかしくなったのかもしれない」と言うと、親は寺に相談すると答えた。
数時間後、寺の住職から直接電話が来た。「すぐ戻りなさい。アパートには寄るな。その学生にも連絡するな。日本酒を少し飲め」
実家ではなく、まず寺へ向かえと命じられた。
数日間、寺で経を唱え続けるうちに、体調は不思議と回復していった。
友人と昼間にアパートへ戻ると、郵便受けに大量の手紙が詰まっていた。全てあの男から。
「入信おめでとう」「三万円用意しろ」「逃げるな」
背中が氷のように冷たくなった。テレビだけ持ち出し、友人の部屋に避難した。
しばらくして新居を得た僕は、大学の名簿で男を探した。しかしどこにも名前はなく、同じ学部の教授も「そんな学生はいない」と言った。
あれは、最初から存在しなかったのだろうか。
実家に戻った折、寺を訪ねると住職は言った。「妙なものを受け入れるからだ」
そして巻物のような古い紙を広げた。家系図らしきそれには、曾祖父の名に朱印が押されていた。
「次はお前の番だな、カズヒコ」
その声は笑っているようにも、泣いているようにも聞こえた。
あの男も宗教も、僕の番が来ることを知っていたのかもしれない。
もう、何を信じているのか、自分でもわからない。
(了)
[出典:906 :あなたのうしろに名無しさんが:04/02/17 21:00]