親戚に《みちかさん》と呼ばれている人がいる。
本名ではない。あだ名のようなものだが、本人は気に入っているらしい。《身近》《未知か》《道か》──意味が重なっているのだと、昔笑っていた。
北海道の紋別に住んでいて、年は四十五になる。東京で不動産会社の事務をしていた時期があったが、ある日突然辞めた。理由は今も聞かされていない。結婚もその頃に終わり、子どもは向こうに残った。
最初に話したのは、僕が小四のときだ。父の故郷に帰省し、親戚一同で集まった席だった。初対面同然の彼女が、いきなり僕を見て言った。
「お墓のある公園、あんたの家の近くにあるでしょ?」
息が詰まった。確かに、家から歩いて十分ほどの場所に古い公園があり、遊具の奥に小さな墓があった。友達とふざけて手を合わせ、「拝んだら霊が見える」と言い合っていた。でも、誰にも話していない。
「むやみに拝んだらだめだよ。霊がついてくるから」
それ以来、あの公園では遊ばなくなった。
中一のとき、祖父の葬式で再会した。焼香の列で並んでいると、みちかさんがこちらを見て言った。
「苦労するよ。でも、おばあちゃんが守ってる。あんたの父親もね、同じだった」
祖母は僕が幼い頃に亡くなっている。可愛がってくれたという話は、両親から何度も聞かされていた。
三度目は祖父の法事だった。視線が合い、なぜか逃げられなかった。
「元気?」
その一言が妙に普通で、逆に怖かった。
思い切って訊いた。
「霊能者なんですか」
「頼まれたときだけ。自分からは言わないよ。あんたは特別だけど」
特別という言葉に、嫌な引っかかりが残った。
「霊って、どんなものなんですか」
「人の思念の残り。強すぎた感情が形になったもの。でもね、たまに私でも触れちゃいけないのがある」
彼女は、ある十四歳の少年の話をしてくれた。原因不明の胸痛を訴え、病院でも分からなかった子だという。赤い三角屋根の、ごく普通の家。
「入った瞬間、胸が潰される感じがした。少年の部屋で見たのは、黒い影。顔は父親だった」
血のつながらない父。再婚して二年。症状が出始めた時期と一致していた。
「生霊だった。私を睨んで、胸を両手で締めてきた。息ができなくなって、外に出してもらった」
除霊はしなかった。家庭を壊す判断はできなかったと言う。その後、夫婦は離婚し、少年の胸の痛みは消えた。
帰り際、知人が見たという光景が、一番気味が悪かった。
「居間で正座して、机を叩いてたんだって。目を見開いたまま、無言で」
話を聞き終えたあと、僕はしばらく言葉が出なかった。
数年後、田中さんの家を訪ねた帰り、みちかさんがぽつりと呟いた。
「あの家、空気がよどんでるね」
そのときは何も感じなかった。だが後日、娘が問題を起こし、夫婦仲が崩れ、離婚話に発展したと聞いた。事前に知れる情報ではなかった。
「心配なんだよ。あんたは境界にいるから」
境界。その言葉の意味を、僕は掴めないまま大人になった。
最後に聞いたのは、団地に住む老婆の話だ。毎晩、誰かに焼かれる夢を見るという。

「昔、火事を起こしてない?」
その一言で、老婆は泣き崩れた。夜中一時、騒ぎになり、その日は中止。翌朝、老婆は亡くなっていた。燃える夢の通り、助けを求める姿で。
「霊ってね、他人を呪うものばかりじゃない。自分を焼き続けた思いが、最後に形になることもある」
その言葉が、不思議と腑に落ちた。
別れ際、みちかさんは僕の顔をじっと見て言った。
「昨日の夜、あんた夢見たでしょ。公園で、手を合わせてた」
言葉が出なかった。昨夜、確かに見た。あの墓の前で、誰かと並んで立っている夢を。
「もう拝がなくていいから」
そう言って、彼女は目を伏せた。
今も、あの公園の前を通ると、理由もなく足が止まりそうになる。
境界が、どこにあるのか分からないまま。
(了)
[出典:947 :みちかさん:04/02/07 07:29]