あの音を、いまも耳の奥で聞いている。
低い階から立ちのぼる響き。誰にとってもただのピアノの音色だったのだろう。だが、わたしにとっては、骨の髄まで染み入る毒にしか聞こえなかった。
昭和四十九年、八月の終わり。夏の湿気が皮膚にへばりつく季節。わたしは県営横内団地の四階にいた。あの頃の自分を振り返ると、もうすでに何かが壊れていたように思う。頭の奥が鈍く響き、わずかな物音が針のように鼓膜を突いた。鳥の声も、人の足音も、障子の開閉すらも耐えられなかった。
だが、階下の家族の音は格別だった。
最初は日曜大工の金槌の音。金属と木材がぶつかるたびに、頭の内側で世界が裂けるような痛みを感じた。そのうちに、ピアノが置かれた。八歳の娘が指を動かすたび、部屋の壁が震え、わたしの頭の奥の血管がじりじりと膨らむ。音は止まらなかった。昼も夜も、時間の区切りをわきまえない。
最初のうちは言ったのだ。
「すこし静かにしてくれ」
だが彼らは笑っていた。いや、そう見えただけかもしれない。わたしには笑っているように見えたのだ。挨拶をしない、目を合わせない、それだけで敵意の証拠に思えた。わたしを馬鹿にし、嫌がらせに音を鳴らしているのだと。
その頃には妻も逃げ出していた。罵声と暴力に疲れ、実家へ帰った。残された部屋には、わたしと音だけが残った。眠れない夜、壁に耳を押しつけると、下の部屋から子どもの笑い声が滲んできた。あれがわたしを嘲笑っているように思えた。
一度、夢を見た。
階段を下りていくと、ピアノが勝手に鳴っている。蓋の奥からは誰も座っていないのに音が響いてくる。次の瞬間、黒い手が鍵盤の隙間から伸び、わたしの耳を鷲掴みにした。そこから覚めた時には、すでに決心していた。
包丁を買ったのは八月一日のことだ。茅ヶ崎の街で、魚を捌くための刺身包丁。長い刃を指で撫でると、冷たい金属の感触がぞっとするほど心地よかった。さらに布を巻き、首を絞めるためのさらしを用意した。電話線を切るためにペンチも。
その準備を終えた夜から、音はさらに大きくなった。幻聴かもしれない。だが、壁が震え、天井が脈打ち、耳の奥で誰かがわたしを呼んでいた。
そして八月二十八日の朝。
まだ七時を回ったばかりなのに、ピアノが鳴った。低い階から立ち上る旋律。あの瞬間、頭の中で何かがはじけた。怒りや恐怖というより、機械的な衝動だった。わたしは袋を持ち、階段を降りた。
玄関の電話線を切ったとき、あたりは静まり返っていた。だが耳の中ではまだピアノが鳴り続けていた。
戸を開けると、小さな娘がひとり、鍵盤に向かっていた。白い鍵盤に血のような赤い影が映ったように見えた。気づけば刃を振り下ろしていた。
記憶は途切れ途切れだ。布団に覆われた小さな身体。母親が子の名を呼んで飛び込んでくる姿。刃が肉を裂き、喉を切り裂き、赤い液体が畳に広がる。息の根を止めるたび、耳鳴りが一瞬だけやむのだ。だが次の瞬間、また別の旋律が甦る。
ふすまに鉛筆で書いた言葉は、誰に向けたものだったのか。「迷惑をかけるんだからスミマセンの一言くらい言え」――震える手で残した文字は、わたし自身への呪詛だったのかもしれない。
終わったあと、静寂が訪れた。
初めて味わう安堵。けれど、耳の奥ではまだピアノが鳴っていた。死んだはずの子どもの指が、どこかで鍵盤を叩き続けている。
逃げるように団地を出た。バイクで川沿いを走り、背広や包丁を捨てた。だが音は追ってきた。電車に乗っても、夜の野宿でも、遠くから旋律が流れてくる。風に混じり、川のせせらぎに混じり、わたしを呼びつづける。
やがて自首した。もう耐えられなかった。
警察に捕まり、裁判を受け、死刑を言い渡された。だが、それから何十年も経っても、まだ生きている。望んだ死は与えられず、鉄格子の中で耳を塞いでも、あの音は鳴り続けている。
壁の向こうからピアノが響いてくる。
子どもの笑い声が重なり、母親の呼ぶ声が響き、血に濡れた鍵盤が闇の底から浮かび上がる。
死刑を望んだのは静寂を得るためだった。だが、どうやら静寂は永遠に訪れない。
今も夜が来ると、あの旋律が聞こえてくる。
鍵盤を叩く小さな指先の音。
誰もいない牢獄の中で、わたしだけのために。
(了)
[出典:ピアノ騒音殺人事件:音に敏感は死ぬよりつらい]