数年前、友人に付き合って大きな古本屋へ行った。
漫画から写真集まで何でも置いてあるチェーン店で、神保町の古書店のような気配はない。友人は段ボール一箱分の漫画を持ち込み、査定に時間がかかると言うので、俺は一人で店内をぶらつくことにした。
特に目的もなく棚を眺め、超常現象や怪談のコーナーで足が止まった。その棚の奥に、背表紙を内側に向けて差し込まれている一冊があった。意図的に隠されているようにも見えて、引き抜いてみた。
子供向けの本だった。文字は大きく、挿絵が多い。落語の噺を集めたもので、『じゅげむ』や『饅頭こわい』が並んでいる。その中に『地獄のそうべえ』があった。
ページを開いた瞬間、余白の走り書きに目がいった。
赤いペンで「困っています。よろしくお願いします」と書かれている。本文中の「じごく」という言葉に丸がつけられていた。そのすぐ下に、鉛筆で書いたような掠れた文字で「リョウカイ」。さらに下に「オワリ」。最後にまた赤で「有難うございます」。
子供の落書きにしては、やけに形式ばっている。気味が悪くなりつつも、ページをめくった。
別のページにも同じようなやりとりがあった。
「お願いします」
「リョウカイ」
「オワリ」
「感謝致します」
赤い文字の筆跡は毎回違う。太いもの、震えたもの、達筆なもの。だが「リョウカイ」と「オワリ」だけは、どのページも同じ掠れ方をしていた。書いた人物が同じだと直感した。
「頼みます」
「リョウカイ」
「オワリ」
その繰り返しが、噺の途中から終わりまで続いている。
物語の最後のページを閉じようとしたとき、一枚の紙が挟まっているのに気づいた。黄ばんだ写真だった。学生服を着た少年が、正面を見ていない。口元が少し歪んでいる。写真の下には名前らしき文字が印刷されていたが、読み取れなかった。
写真を戻し、最後の余白に目をやる。
赤い文字で「お願いします」。
「じごく」に丸がついている。
だが、その下には何も書かれていなかった。「リョウカイ」も、「オワリ」も。
そのとき、友人から査定が終わったという連絡が入った。俺は写真を挟んだまま本を閉じ、元あった棚に戻した。
背表紙を内側に向けて。
それ以来、あの店には行っていない。
(了)