神様の仮宿になっていた話
私は首都圏の、都会でも田舎でもない普通の住宅街で育った。小学校まで徒歩2分の立地は恵まれていたが、それ以上特筆すべきことはない。小学校の裏には小さな神社があった。便宜上「神田神社」としておこう。
幼稚園時代からその神社の前を通っていたが、足を踏み入れたのは初詣やお祭りの時くらい。理由は簡単で、怖かったのだ。大鳥居や御神木、覆い茂る木々、本殿の古めかしさと清潔感――それらすべてが子供心に不気味だった。
そんな神田神社と深く関わるきっかけが訪れたのは、小学二年生のときだった。授業の一環で学校の屋上に上がる機会があり、そこから学校裏の神社を覗き込んだ。普段見えない本殿の奥には、真っ白な砂利に囲まれた狐の石像が静かに佇んでいた。その景色は、私の幼い感性に「綺麗だ」という強烈な印象を刻み込んだ。
その日以来、あの白い空間に心を奪われた。何度も見たいと願ったが、4階の教室の窓から覗いても塀が高く全貌は見えない。親や先生に尋ねても、神田神社が稲荷神社だということ以外は分からなかった。稲荷神社について図書室で調べた結果、あの狐が神様であると確信した私は、ますます興味を募らせた。
ある日、同級生の「とくちゃん」が私の熱心さに気付き、神田神社の由来を教えてくれた。昔、この地に住み着いていた狐が犬に追い詰められ傷つき、最終的に殺されたという話だった。それを哀れんだ人々が狐を祀る稲荷神社を建てたのだと。話としては筋が通っていたが、リアリティに欠ける部分もあり、私は納得しきれなかった。
そこで頼ったのが、近所に住む親友「あーちゃん」の祖母だった。神田神社を管理している大地主の家の人で、詳しい話を聞けると思ったのだ。お祖母さんは、「神田神社は狐を鎮めるために建てられた」という話をしてくれたが、肝心の白い狐の石像については「本家の人間以外は見られない」と断言された。期待は潰えたものの、神田神社への執着心は消えなかった。
やがて私は引っ越し、神田神社に行くことも少なくなった。それでも他の神社を訪れるたび、あの白い空間を思い出した。高校を卒業し一人暮らしを始めてからも、その記憶は鮮烈なままだった。
そんな中、実家に戻った際に神田神社が放火の被害に遭ったと聞いた。悲しみと怒りで胸がいっぱいになり、久しぶりに神社を訪れると、外壁が焼け落ち、隠されていた白い空間が露わになっていた。その光景に言葉を失った。あの白さは変わらず美しかったが、それを汚すような黒さが痛ましかった。
数年後、仕事で疲弊して再び実家に戻ると、私は偶然、東北の寂れた神社で神田様の気配を感じる出来事に遭遇した。その神社を管理する「小豆さん」という男性から、「君は神様の仮宿になっているかもしれない」と言われたのだ。神田様が放火で居場所を失い、私について回っていたのではないか、と。
小豆さんの話が真実かは分からない。ただ、私の生活に少しの変化があったことは確かだった。犬猫に嫌われ、実家のインコにも避けられた。けれど、特に得をしたわけでもなく、ただ日常に妙な感覚が付け加わっただけだった。
数年後、神田神社は修復され、あの白い世界は再び隠された。そして私はまた、小豆さんのところを訪れた。彼は「君のお狐さんはきっと君と旅を楽しんでいるんだろう」と笑った。それが本当かどうかは分からない。でもそう思うことで、私は少しだけ人生が豊かになった気がした。
あの白さに焦がれ、片思いし続けるような不思議な感情は、今も私の中にある。そしてそれは、きっとこれからも消えることはない。
[出典:3 :名も無き被検体774号+:2015/12/24(木) 19:29:15.57 ID:kC9vrqrV.net]