バイト先の仲間や上司と肝試しをすることになった。
常連のお客様一人とそのご友人二人、僕とユウキ(源氏名)、そしてナンバー1のガクトさんの計六人。
女二人、男三人、そして性別が不明な一人という構成だ。
今回の肝試しは、名目上お客様へのアフターサービス。だが、実際には急激に下がった売上を取り戻すための接待だ。
特にガクトさんが目当てのお客様たちに向けた「豪華なおまけ」――そんな色合いが濃い。
「ほら、リョウ。それお姉ちゃんマンションだろ?」
焚き火越しにガクトさんが僕を呼ぶ。彫りの深い顔が炎の照り返しでマネキンのように見える。
「さすがです! 僕の地元ネタだから勝算あったんですけど……本当に何でも知ってますね」
僕がそう言うと、お客様の一人が甲高い声を上げる。マスカラで彩られた目がギラギラとガクトさんに注がれている。
どうやらすっかりお気に入りのようだ。
焚き火を囲む輪は、外面は和気あいあい。だが内面では、全員が各々の目的を虎視眈々と追っていた。
ガクトさんが怖い話を次々と披露する中、ユウキがぽつりと切り出した。
「じゃあ、ガクトさん。四角い部屋って知ってますか?」
ガクトさんは眉をひそめた。
「何だよ、それ。部屋なんて大概四角だろ?」
「いや、完全に四角い部屋なんです。エレベーター直結で、最上階にあるらしいですよ」
ユウキは得意げだが、ガクトさんはピンとこない様子だった。
どうやらガクトさんも知らないらしい。百物語は、次第に「ガクトさんが知らない怪談探しゲーム」に変わっていった。
百物語が終わるころ、廃ホテルへ向かう話が持ち上がったが、ユウキが突然こう言い出した。
「なあ、四角い部屋。試してみないか?」
「おいおい、あんなのただの作り話だろ」
僕が呆れると、ユウキは真剣な顔で続ける。
「いや、俺さ。この辺のビルに四角い部屋があるって話を聞いたことあるんだよ。試してみようぜ」
僕は渋ったが、結局ユウキに引きずられる形で目的のマンションへと向かった。
薄汚れた十階建てのマンション。外見はごく普通だが、どこか不気味さを漂わせている。
「これがそのエレベーターだ」
ボタンを押すと、扉が開いた。中の蛍光灯がチカチカと瞬く。
「まずは一階から十階までのボタンを全部押す」
ユウキがボタンを押し始めるが、最初の一階のランプが点かない。
「ほら、最初っから無理なんだよ」
僕がそう言うと、ユウキは悔しそうに唇を噛んだ。
「……でも、途中で全部点灯したら、四角い部屋に行けるんだよ」
そう言って、ユウキは懸命にボタンを押し続ける。
「なあ、俺思うんだけど……」
ユウキの熱意に水を差すのも悪いが、僕は核心をついた。
「これ、最初からできない設定になってるんじゃないか?」
ユウキは黙っていたが、その目は真剣そのものだった。
「いや、それでも俺はやる。だって……シュンさんが行ったんだ」
「シュンさん?」
僕の脳裏に、かつての同僚の顔が浮かんだ。確かに「シュン」という人物はいた。だが、今はもう名前を聞かない。
「いや、あの人なら辞めただろ? 派閥争いで揉めて」
僕の言葉に、ユウキが鋭く否定する。
「違う! シュンさんは四角い部屋に行ったんだよ! そして消えた!」
その言葉に、僕は背筋が寒くなった。
「待て、どういうことだ?」
「お前、本当に覚えてないのか? 四月にガクト派とマキ派でノルマ調整の会議があっただろ? そのときシュンさんが四角い部屋の話をしたんだよ!」
確かにその会議の記憶はある。だが、四角い部屋の話をしたのは誰だったのか――思い出せない。
ユウキはついに最上階のボタンを押し、静かに笑った。
「よし、点いた。次は非常ボタンだ」
「おい! やめろ!」
僕の制止も聞かず、ユウキは非常ボタンを押した。
エレベーターが停止する。ユウキが振り返り、意味深に微笑んだ。
「リョウ、俺がシュンさんを連れ戻す。行ってくるわ」
その瞬間、エレベーターの中が暗闇に包まれた。
「おい! ユウキ!」
必死に呼びかけるが、返事はない。代わりに、通信音だけが不気味に響く。
気づけば、僕は一階にいた。エレベーターの中は無人だった。
後日、ガクトさんにユウキのことを聞いたが、彼は首をかしげるだけだった。
「ユウキ? 誰それ?」
シュンの話を振ってみても同じだ。
「誰だよ、それ。変なこと言ってないで、早く仕事戻れ」
四角い部屋――あの怪談は、一体何だったのか。
答えを知る術は、もう誰にもない。
(了)
解説
この話は、表面上は普通の肝試しや仲間同士のやり取りを描いていますが、実際には「四角い部屋」という不気味な存在が物語の核となり、徐々に現実が歪んでいく恐怖を描いています。
1. 四角い部屋の正体
四角い部屋は「完全に四角い」という形容が繰り返されますが、その意味は最後まで明示されません。しかし、ユウキが四角い部屋に到達した瞬間に「完全ってこういうことかよ」という言葉を残し、何か重大な事実に気づいた様子が描かれます。
この「完全」さは、物理的な四角というよりも、人間関係や記憶の「矛盾が存在しない」状態。四角い部屋に行った者は、記憶や存在が「完全に消される」ことを暗示しています。
2. 存在が消える仕組み
物語後半でユウキの存在が消える描写があります。彼に関する記憶や記録(電話履歴、メールなど)が物理的に消失し、まるで彼が最初からいなかったかのように振る舞われます。
この消失は、四角い部屋に行ったことで引き起こされたものであり、物語中の「シュン」という登場人物の謎もここに繋がっています。シュンもかつて四角い部屋に行き、その存在が完全に消されたため、誰も彼のことを覚えていません。
3. ガクト派への移行
ユウキがガクト派になった理由や経緯が不明確であり、その点が物語の矛盾を生み出しています。この矛盾もまた、四角い部屋による現実の改変の一環だと考えられます。ユウキは本来シュン派であったが、シュンが四角い部屋に行き消えたため、自然とガクト派に「組み込まれた」のです。
4. 意味が分かると怖い点
表面的にはただの都市伝説的な肝試しの話ですが、以下の事実が分かると一気に恐怖が増します。
- 四角い部屋は「完全な消失」を意味する場所であり、一度入った者は存在すら消える。
- 誰もその人を思い出すことができなくなるため、消えた人物に関する疑問すら残らない。
- ユウキが消えた後、リョウは彼を助ける手段も失い、存在しない者の話をしている奇妙な状態に陥る。
「完全に四角い」というのは、物語における「何も残らない完全な消失」のメタファー。
この話の怖さは、「存在そのものが消される」ことにあります。通常の怪談のように幽霊や怪異が実体化して脅威を与えるわけではなく、むしろ存在が「完全に消去される」という点が恐怖の本質です。リョウがガクトに「四角い部屋」を尋ねても軽く流される描写は、彼もまたこの異常な状況に飲み込まれつつあることを示唆しています。
四角い部屋に隠されたメッセージは、「誰もが簡単にこの世界から完全に消される危険性を秘めている」という普遍的な恐怖を描き出しているのです。