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昔話だと思ってくれていい。そうやって笑ってくれたほうが、たぶん安全だ。

だが、これはじいちゃんの話であり、そして今は、俺の番の話だ。

じいちゃんは山で生きていた。遊びではなく、生活として山に入っていた。獣道の位置、茸の出る湿り、鳥の通り道。山の機嫌を読むことが、呼吸と同じだったらしい。

俺はその話を、ずっと武勇伝だと思っていた。

あの夏の話を聞くまでは。

じいちゃんがまだ子供だった頃。東海の山間の集落。六人兄弟の末っ子で、食い扶持を減らさないために山に入っていた。

その日、じいちゃんはいつもより奥へ入った。理由はない。ただ、今日は違う場所へ行こうと思っただけだと言っていた。

獣道を外れ、湿った草をかき分け、踏まれていない土を踏んだ。山は静かだった。風もなく、虫も鳴いていなかったという。

後ろで草が鳴った。

振り返ると、一羽の鶏がいた。

白く、妙に整った鶏だった。羽に泥がついていない。目だけが濡れているように光っていた。

鳴かない。

羽音も立てない。

ただ、首を傾けてじいちゃんを見る。

その奥に、屋敷があった。

二階建ての大きな家。門が開いている。庭に牛と馬が十頭ずつ並び、五羽の鶏が門前に立っている。

すべて黙っていた。

匂いがなかった。土の湿りも、獣の体臭も、糞も、花の甘さも。

音もなかった。

屋敷は、そこに“置かれている”ようだった。山の中に建っているのではなく、後からはめ込まれたように。

じいちゃんが一歩踏み出したとき、玄関が開いた。

音はしなかった。

内側は暗く、光を吸い込んでいた。

その瞬間、じいちゃんは理解したと言っていた。

「見つかった」と。

走った。獣に追われるより速く。だが、進むほどに下っていく。屋敷は背後のはずなのに、足は麓へ向かっていた。

気づいたら、山の入口に立っていた。

家に駆け込んで話すと、ひいばあちゃんの顔色が変わった。

「挨拶せんかったな」

その言葉だけだった。

すぐに神社へ連れていかれた。山の麓の、小さな社。

「黙って謝れ」

じいちゃんは頭を下げた。

それ以来、屋敷は見えなかった。

見えなかっただけだ。

俺は笑っていた。

だが先週、母ちゃんが言った。

昭和の終わり頃、家族で故郷に帰ったときの話だ。じいちゃんは突然、山へ登りはじめたという。

あの場所へ。

開けた草地で、じいちゃんは膝をついた。

「すまんかった……わしは出来なんだ……」

何を。

何が。

それを、母ちゃんは知らない。

だが、そのとき母ちゃんは見たと言った。

草が風もないのに揺れた。

白いものが、奥で動いた。

屋敷はなかった。

けれど、門だけがあった。

母ちゃんの話を聞いた夜、夢を見た。

山道を歩いていた。

俺は知っているはずの道を外れていた。

草の奥に、白い鶏がいる。

鳴かない。

目だけが濡れている。

その向こうに、門がある。

屋敷は見えない。

門だけがある。

門の内側から、声がした。

謝りに来たのか。

目が覚めた。

朝、玄関の外に泥が落ちていた。

山の土だった。

俺は山に入っていない。

入っていないはずだ。

じいちゃんは「出来なんだ」と言った。

何を出来なかったのか。

挨拶か。

連れて行かれることか。

それとも、誰かを渡すことか。

サイ〇〇サマ。

名前は曖昧なままでいい。

あれは呼ぶための音ではなく、こちらを区別するための音だったのかもしれない。

屋敷は消えていない。

見えないだけだ。

門はある。

あの山は、今もそこにある。

俺はまだ、挨拶をしていない。

次に山へ入るのは、俺だ。

そしてもし、お前があの辺りの山に入るなら。

門を見ても、近づくな。

挨拶を求められても、返事をするな。

あれは、見つけた側が選ばれるのではない。

見た側が、数に入る。

[出典:313 :本当にあった怖い名無し :2009/04/29(水) 17:53:45 ID:NX8Hv8u50]

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