関西に住んでいた頃のことだ。もう十三、四年も前になる。
当時の私はろくな職にも就けず、日銭を稼ぐため港湾でコンテナの荷降ろしをしていた。
コンテナといっても、あの海を渡ってやってくる鉄の箱だ。二トン、四トンと、まるで人間を押し潰すような重量の荷が詰め込まれている。荷物はフォークリフトで倉庫に運ばれるが、その最初の「人力で降ろす」工程だけはどうしても人間の手が必要になる。ひたすら汗を流し、重い段ボールを受け取り、積み替えていく作業。炎天下で洗剤粉にまみれる日など、喉の奥まで泡立つようで吐き気を催した。
ただ肉体的にきついだけでなく、雰囲気も濁っていた。そこはかつて山〇組の労働者派遣が根を張っていた場所で、まだその名残を引きずる連中がいた。元極道を名乗る男も混じっていて、休憩所ではいつも荒んだ笑い声とタバコの煙が漂っていた。
ある日、昼の休憩を終えて午後の荷降ろしに向かうと、倉庫の主任が妙な顔をしてコンテナの奥を覗いていた。横にはフォークリフトの運転手、田平さん。二人とも黙り込み、顔色が冴えない。私は近寄り「何かあったんですか」と尋ねかけたが、主任は目を逸らして小声で言った。
「……おるな。あかんわ、コレ」
その声に田平さんもうなずいた。
目の前のコンテナは天井すれすれまで荷が詰まり、扉口までパンパンになっていた。そこに一体、何が「おる」のか。けれど二人の表情から、それを軽く聞き返す気にはなれなかった。結局、何の説明もされぬまま扉は閉められ、その日の作業は中止になった。
腑に落ちないまま数日が過ぎ、別の倉庫で働いていた小薗さんに事情を尋ねた。酒が入っていたせいか、彼は肩をすくめてこう言った。
「田平さんな、あのときコンテナ開けた瞬間、天井の隙間から覗いたらしいんや。ほんなら奥で、荷物に挟まれるみたいに横たわった顔が見えたって」
私は思わず笑い飛ばそうとしたが、その顔が人間のものらしく、しかも歪んでいたと聞かされて声が出なかった。
「動物とか、犬か何かじゃないんですか」
そう訊ねると、小薗さんはゆっくり首を振った。
「ちゃう。ほんま、たまにあるんや。俺も見たことあるで。空のコンテナから、片足しかないサラリーマンがピョンピョン飛び出してきよった。そんでフッと消えたんや」
背筋に冷たいものが走った。
コンテナには必ずシーリングという封印が施されている。金属のリベットのようなもので、開けるときは大きなニッパーで切断する。つまり、誰かが中に紛れ込むことなど本来あり得ない。しかもそれらは海外で積み込まれた時点で封印されるのだから、中の顔や片足の男がどこから来たのか、説明できるはずもなかった。
私は仕事を続けながら、奇妙な体験をいくつもした。
荷降ろしの後の掃き掃除で、見たことのない色の花びらが落ちていた。赤とも紫ともつかない、油膜のように光る花弁。触れると手に染みが残り、一日中落ちなかったことがある。
ある時は、コンテナの隅から甲虫のような虫が這い出した。翅を広げた瞬間、羽音ではなく人間の笑い声に似た音が響いた。周囲の誰もが顔をしかめながら見なかったことにした。
それでも最も忘れられないのは、あの日の出来事だ。
夕方、仕事を終えて帰ろうとしたとき、倉庫の隅に放置されたコンテナがあった。錆びついた扉にシーリングが光っていた。誰も近づこうとしない。ふと耳を澄ますと、中から「ガン! ガン!」と二度、鉄板を叩く音が響いた。異様に重く、胸の奥まで響くような音だった。
その場にいた全員が凍りついた。誰一人、声を上げなかった。目だけが互いを確かめ合い、足は床に縫いつけられたように動かない。扉は閉ざされたまま、ただ冷たい鉄板が静かに沈黙を取り戻した。
その日を境に、私は港湾の仕事を辞めた。理由を問われても「合わなかった」としか言えなかった。だが本当の理由はあの音だった。あの叩く音は人間の「助けを求める」ような響きでありながら、どこか嬉々としているようにも聞こえた。
もしあの扉を開けてしまっていたら、何が飛び出してきただろうか。
片足のサラリーマンか。押し潰された顔か。あるいは花とも虫ともつかぬ、海の向こうの「どこか」から紛れ込んだものか。
未だに夢に見ることがある。汗だくで荷を降ろしていると、奥から誰かの顔がこちらを見ている。ゆがんだ口が開いて、笑う。そこから先は、決まって目が覚める。
だから今でもコンテナを見ると胸がざわつく。駅の貨物車両に積まれたそれ、港に並んだそれ。何百何千とあるうちの、いくつかには確かに「いる」のだ。
封印をされたまま、海を渡り続ける何かが。
そして――もしかするとあれらは、降ろしてはいけない荷物だったのかもしれない。
(了)
[出典:853 本当にあった怖い名無し 2013/04/12(金) 13:50:17.34 ID:G64AGWrG0]