小学校五年生の頃の話だ。
私たちは探検に夢中だった。秘密基地という言葉だけで胸が高鳴った。放課後、第2公園に集まり、学校裏の山へ入る。私とA君とB君。その三人で何度も同じ山に足を踏み入れていた。
あの日も水曜日だったはずだ。
授業が終わり、一度家に帰ってから公園へ向かった。ブランコの横でA君とB君が待っていた。私は少し遅れて到着し、「今日は奥まで行くぞ」と声をかけた。二人は笑い、私たちはいつもの山道ではなく、初めて見る獣道へ入った。
手入れされていない山は薄暗く、午後なのに夕方のようだった。湿った土の匂いが濃く、足元は落ち葉で滑りやすい。十分ほど進んだ頃、木々の隙間に黒ずんだ影が見えた。近づくと、それは崩れかけた廃屋だった。
あんな場所に建物があるとは思わなかった。屋根は落ち、壁は傾き、窓は割れている。誰も住んでいないのは明らかだった。
中に入ると、腐った水と古い木材の匂いが鼻を刺した。息を止めながら奥へ進むと、畳の残骸の向こうに額縁が立てかけてあった。白黒の写真。細い目をした老人が、正面を向いて写っている。笑っているのかどうか分からない顔だった。
そのとき、耳元で低い声がした。
「ぉぃ……」
振り向いた瞬間、全身の血が引いた。誰もいない。私は反射的に頭を下げた。「すみません、勝手に入りました」と口走った。静寂だけが残った。
ゆっくり顔を上げると、目の前に足があった。裸足だった。視線を上げると、写真と同じ目をした老人が立っていた。
「危ないよ。こんな所に入っちゃいけない」
柔らかい声だった。怒っている様子はない。私は震えながら「三人で探検していて……」と振り返った。
誰もいなかった。
さっきまで後ろにいたはずのA君とB君の姿がない。足音も気配もない。廃屋は静まり返っている。
「三人?」老人が首を傾げた。「あんた一人で、獣道をずっと歩いてきたよ」
意味が分からなかった。老人は、私が山に入るところから見ていたと言った。危ないから追いかけてきた、と。
廃屋を出たとき、私は確かに一人だった。老人はいつの間にかいなくなっていた。振り返っても姿はない。あの写真も、あったはずの額縁も、目に入らなかった。
翌日、A君とB君に昨日のことを聞いた。
二人は怪訝な顔をした。「昨日は塾だったよ」「水曜は習字だろ」。約束などしていないと言う。水曜と金曜は遊ばない。それは事実だった。
私は何も言えなかった。
数日後、どうしても確かめたくなり、一人で山へ入った。同じ獣道を進んだが、廃屋は見つからなかった。何度歩いても、あるのは木と土だけだった。
それでも、あの写真の老人の顔だけははっきり覚えている。
最近になって気づいたことがある。
あの老人は、「危ないから入るな」とは言っていなかった。
「入っちゃいけない」とも言っていない。
ただ、「危ないよ」と言っただけだ。
何が危ないのか、説明はなかった。
そしてもう一つ、もっと奇妙なことがある。
当時のクラス写真を見返したとき、私は息が止まった。私の隣に、見覚えのない二人の男子が写っていた。名前は空欄になっている。卒業アルバムの名簿にも、その番号は飛んでいる。
顔を見ても思い出せない。だが、どこかで見た輪郭だった。
目が細い。
写真を見ていると、耳元で低い声がした気がした。
「みんなで?」
私は今も、水曜日の放課後になると山の方角を見てしまう。あの日が水曜だったのかどうか、それすら曖昧になっている。
もしかすると、私は今も一人で獣道を歩いているのかもしれない。
振り返らないようにしているだけで。

[出典:809 :本当にあった怖い名無し:2021/07/07(水) 11:13:00.18 ID:GoFby9dg0.net]