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二十三分間の祈り r+2,461

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……あの日の教室の匂いを、いまでも思い出せる。

窓から吹き込む、八月の朝の空気は生温く、どこか鉄の匂いがしていた。鉛筆と汗と……あと、血のような。いや、本当に血があったわけじゃない。けれど、あれはもう、教室じゃなかった。ぼくたちの「居場所」は、たった二三分で、まるきり別のものに変わってしまった。

最初に泣いていたのは、見慣れた先生だった。三学期の途中から担任になった、地味でやさしい女の先生。ぼくらの名前も、きちんと呼んでくれていた人だ。目の前でしゃくり上げるように泣いて、机を叩いて、「この子たちに罪はないんです」と叫んでいた。白目を剥いていたのが印象的で、あれが人が本気で泣く顔なんだなって、思った。

時報が鳴った。ぴしり、と空気が縫い直されたみたいだった。音に合わせて扉が開いた。入ってきたのは、別の女の人だった。制服のような、軍服のような服を着ていて、足音をひとつも立てずに前へ出た。最初の先生は、泣きながらその人に肩を掴まれ、引きずられるように教室を出て行った。

ぼくたちは、ぽかんと見ていた。

「みなさん、おはようございます」

その人は、まるで初日の先生みたいに微笑んだ。ぼくの名前を言った。次に、隣の子の名前。運動が得意だと続けて、今度は前の席の子の好きな給食メニューまで当てた。たしかに三日で覚えたらしい。誰が犬を飼っていて、誰が作文コンクールで金賞を取ったかも知っていた。

ぼくらは、怖いというより、ただ呆れていた。

「ここに書かれている言葉の意味を知ってる人はいる?」

新しい教師は、黒板の上に掛けられた額を指差した。そこには、大きく三つの言葉が書かれていた。

――平等、自由、平和

誰も手を挙げなかった。でも、わかってた。教科書で習ったし、社会見学でも見た。だからこそ、黙っていたのかもしれない。あれが、ただの飾りになってしまったことを、子どもながらに感じていたんだ。

「その服……変わってる」

そう言ったのは、後ろの席の女の子だった。たぶん、ただの好奇心だった。

「そう?でも、気に入ってくれて嬉しいわ。じゃあ、明日からみんなでこれを着ましょう。同じ服なら、朝、迷わなくて済むもの。これが平等ってことよ」

ぽかんとした空気を、ぼくが破った。

「ちがうよ、それって平等じゃなくて、ただ命令してるだけだ」

教室が静まりかえった。新しい教師は、にっこり笑ったまま、こう言った。

「そうね。好きな服を着るのも自由。あなたの言う通り。でもね……自由には、責任が伴うの」

ぼくの父さんは、二日前に“呼び出された”。「再教育」だと母さんが言っていた。大人でも学校に行くんだって。だから帰ってくるのは少し先だろうって。けど、ぼくは知ってた。帰ってこないって。

「先生、これ……!」

ぼくは机の中から、新聞の切り抜きを出した。隠していたやつ。大人の世界では、クーデターが起きていた。日本の憲法が、ある日を境に書き換えられた。どこにも、テレビでは報道されなかったけれど。

「憲法って、国の決まりでしょ?勝手に変えちゃっていいの?」

教師は、そのときだけ少し眉をひそめて、でもすぐに戻した。

「間違った決まりなら、変えなきゃいけないわ。ねえ、間違ってるって誰が決めるの?」

その言葉の意味は、わからなかった。でも、怖かった。

教師は笑って「明日からお泊まりよ」と言った。「ご飯もおいしくて、きれいな部屋もある」って。子どもたちは歓声を上げた。ぼく以外は、みんな。

「食べたいもの、ある?」

カレー、オムライス、プリン、いろんな声が飛んだ。

「じゃあ、みんなで目を閉じてお祈りしましょう。神様、お菓子をください……」

くすくす笑いながら、目をつぶる子どもたち。ぼくは、ほんの少しだけ、まぶたを開けていた。そしたら見えた。教師が一人ひとりの机に、お菓子を置いて回っていた。

「『指導者様』にお願いしたら、出てくるかしら?」

子どもたちが目を開けたとき、机には本当にお菓子があった。歓声が上がった。でも、ぼくは叫んだ。

「置いたのは、指導者様じゃなくて、先生だ!」

教師は笑った。

「そう、置いたのは私。でもね、指導者様の命令で私は動いているのよ。だから、みんなのお菓子は、指導者様の愛ってことになるわ」

子どもたちが拍手した。ぼくの声は、かき消された。

気づいたときには、みんながぼくを見ていた。ほめてくれていた。賢い、すごい、立派だって。

「新しいクラス委員、あなたにお願いしようかしら?」

ぼくは頷いた。

「じゃあ、クラス委員の最初の仕事よ。あの額縁を外して、いらないから」

ひとりの女の子が不安そうに言った。

「でも、それって大切なものじゃ……」

「本当に大切なのは、中に書かれた言葉でしょう?それは、みんなの心の中にあればいいの」

ぼくは額を外して、窓から投げた。下のアスファルトで、木枠がばきんと砕けた。歓声。笑顔。拍手。

ぼくの手のひらには、なぜかささくれができていて、血がにじんでいた。

時計を見た。二三分が過ぎていた。

教師は、新しい教科書と制服を取り出した。

「古い教科書を破った人から、取りに来てください」

一番に立ち上がったのは、ぼくだった。

……あれから、十年が経った。
いまではぼくが、新任教師として教室に立つ側だ。制服も、教科書も、当たり前のように配られている。最初は、みんな目を伏せている。でも、大丈夫。二三分あれば、みんな笑ってくれる。

みんな、祈るのが好きだ。
目を閉じて、差し出されたものに、無邪気に感謝する。
誰の手から出たのかも、何のために与えられたのかも、気づかずに。

この国には、祈るだけで満たされる、幸せな子どもたちが育っている。
二三分間の祈りは、未来をつくる魔法だ。

[出典:514 :1:2009/06/15(月) 02:32:02.65 ID:fkjTQUvs0]

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