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返してはいけない挨拶 rw+1,718-0527

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うちから歩いて十分ほどのところに、古い鉄道用のトンネルがある。

今はもう使われていない。入口はコンクリートでふさがれ、線路も残っていない。地元では、昔から少し名の知れた心霊スポットだった。

建設中に崩落事故があったとか、開通してからも不審な死亡事故が続いたとか、そういう話はいくつもある。どれが本当で、どこから尾ひれがついたのかは分からない。ただ、近くに慰霊の鳥居が立っているのは事実だった。

父が子どもの頃、そのトンネルはまだ塞がれていなかった。

立ち入り禁止の看板もなく、柵もなく、ただ山の斜面に黒い口を開けていたという。夏の夜になると、近所の子どもたちはよく肝試しに行ったらしい。父も小学生の頃、友人たちと一度だけそこへ入った。

八時を少し回ったころだった。

昼間の熱がまだ地面に残っていて、草むらでは虫がしつこく鳴いていた。懐中電灯を持った数人の子どもが、ふざけながらトンネルの入口へ向かった。横に立つ鳥居を見て、誰かが大げさに手を合わせ、別の誰かが笑った。

中は真っ暗だった。

懐中電灯の光は、思ったほど遠くまで届かなかった。濡れたようなコンクリートの壁に丸い光が貼りつき、足音だけが奥へ奥へと響いていく。空気は外より冷たかったが、父は怖いというより、ただ早く終わらせたいと思っていたそうだ。

何かが見えたわけではない。

声が聞こえたわけでもない。

奥まで行ったのか、途中で引き返したのか、そのあたりは父の記憶も曖昧だった。ただ、最後尾を歩いていた友人が急に黙り込み、そのあと誰かが「もう出よう」と言った。

すると全員が、示し合わせたように走り出した。

外へ出ると、みんな息を切らしていた。笑ってごまかす者もいたが、最後尾の友人だけは顔色が悪かった。問い詰めると、そいつは小さな声で「背中を触られた」と言った。

氷みたいに冷たい手だった、と。

それ以上は何も起きなかった。

家に帰っても熱を出す者はいない。夢に何かが出たという話もない。父は拍子抜けしたらしい。怖い場所に行ったのに、結局、何も見なかった。子ども心には、そこが少し不満だったという。

おかしな話を聞いたのは、その翌朝だった。

祖父が夜中に帰ってきたと知った父は、何気なく理由を聞いた。職場の飲み会で終電を逃し、歩いて帰ってきたのだという。

父はそこで少し驚いた。

祖父は、あのトンネルを通って帰ってきたらしかった。

「怖くないの?」

父がそう聞くと、祖父はけろりとしていた。

「何がだ。」

「あのトンネル。」

「ああ。別に怖くないだろ。明かりもついてるしな。」

父は、最初、祖父が別の道のことを言っているのだと思った。

けれど違った。祖父はたしかに、あのトンネルを通ったと言った。しかも中には作業員がいたという。

「作業員?」

「いるだろ、いつも。夜でもやってるぞ。こっちが『お疲れさまです』って言うと、向こうも返してくれる。」

父は黙った。

昨夜、自分たちが入ったとき、トンネルの中に明かりなどなかった。作業員もいなかった。人の気配さえなかった。

「でも、あそこ、もう使ってないんだろ。」

父がそう言うと、祖父は首を傾げた。

「何言ってんだ。昨日もいたぞ。」

「誰が。」

「作業服の連中だよ。顔を真っ黒にしてな。ずいぶん遅くまでやってるもんだと思ったけどな。」

父が何も言えずにいると、祖父は笑った。

「お前、幽霊が挨拶返すと思ってるのか。」

その言い方があまりにも普通だったので、父はそれ以上聞けなかった。

祖父にとって、あの人たちは怪しいものではなかったのだ。夜中の廃トンネルに明かりがつき、顔を汚した作業員がいて、挨拶を返してくる。それで十分だった。

それからも祖父は、何度かそのトンネルを通ったらしい。

ただ、毎回ではなかった。

明かりがついている日と、ついていない日がある。人がいる日と、誰もいない日がある。祖父はそれを「今日は休みだったんだろう」くらいに考えていた。

あるとき父が、作業員はいつも同じ顔なのかと聞いた。

祖父は少し考えてから言った。

「いや、そうでもないな。顔ぶれは変わる。」

「知ってる人はいるの?」

「いない。けど、向こうは俺を知ってるみたいだったな。」

「なんで。」

「俺が入ると、先に頭を下げるやつがいる。」

父は、その話を聞いてから、二度とあのトンネルに近づかなかった。

祖父は最後まで、あそこを怖がらなかった。むしろ父のほうを臆病者のように笑っていたという。幽霊なんかいるわけがない。あれは作業員だ。ちゃんと働いている。ちゃんと挨拶もする。そう言っていた。

今、そのトンネルは完全に塞がれている。

入口は厚いコンクリートの壁になり、隙間らしい隙間もない。昔の鳥居だけが、少し離れた場所に残っている。草に埋もれかけ、朱色もほとんど剥げてしまった。

私は、そこへ行ったことがない。

子どもの頃から父に止められていたし、自分でも行く気になれなかった。道として使う必要もない。近くを通るだけなら、いくらでも避けられる。

それでも、夜になると、たまに思い出す。

父は何も見なかった。

友人は、背中を触られただけだった。

祖父だけが、明かりのついたトンネルを歩き、作業員たちと挨拶を交わしていた。

どちらが安全だったのか、今でも分からない。

見えなかった父たちが守られていたのか。

見えていた祖父が受け入れられていたのか。

それとも、あそこでは最初から、挨拶を返した人間だけが客ではなくなるのか。

数年前、夜遅くに近くの道を通ったことがある。

トンネルへ続く細い道の奥に、白っぽい光がにじんでいた。街灯ではない。車のライトでもない。ふさがれたコンクリートの向こう側から、薄く漏れているように見えた。

私は足を止めなかった。

ただ、そのとき、風に混じって声のようなものが聞こえた気がした。

「お疲れさまです。」

振り向かなかった。

返事もしなかった。

けれど、そのあとからずっと引っかかっている。

あの声は、こちらに向けられたものだったのか。

それとも、私の後ろを通った誰かに向けられたものだったのか。

最近、あの道の近くを通るとき、少しだけ気になることがある。

コンクリートで塞がれたトンネルの前に、人が立っていることがあるのだ。

作業服を着ている。

顔はよく見えない。

こちらが見ていることに気づくと、その人はゆっくり頭を下げる。

私はまだ、一度も返していない。

でも、たぶん向こうは、もう私の顔を覚えている。

[出典:308 :本当にあった怖い名無し:2022/01/23(日) 17:24:38.71 ID:uhA1MO9x0.net]

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