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短編 r+ ほんのり怖い話

いただく側 rw+2,255

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かつて私が勤めていた訪問販売の会社では、契約のことを「取る」とは言わなかった。

「いただく」と言え、と教えられていた。

誰から、何をいただくのか。
そこまでは、誰も口にしなかった。

私たちは数人一組で動く。車両長が営業エリアを決め、営業マンを集合住宅に降ろす。話をまとめるのは営業、最後に判をもらうのは車両長。役割は単純だった。

あの件があるまでは。

本社にAという若い男がいた。数字は常に上位。迷いなくインターフォンを押し、迷いなく家に上がり、迷いなく了承を取る。取る、ではない。いただく、だ。

その日も、Aは新築のファミリー向けマンションに降ろされた。契約が決まりやすい物件だった。私は別の棟を回っていたが、あとで車両長のGから聞いた。

最後の一室で、若い女が応対したという。

すんなりと室内に招かれた。リビングに通され、説明を始めたとき、Aは天井を見た。

赤ん坊の写真が、隙間なく貼られていた。

笑っているもの、泣いているもの、眠っているもの。大きさも角度もばらばらだが、すべて天井に向いている。こちらではなく、下を見ている。

Aは視線を逸らした。契約が先だ。天井は関係ない。

女はよく頷き、よく笑い、何度も「いいですね」と言った。

了承は早かった。

Gが部屋に上がり、捺印の説明を始めたとき、隣の和室から声がした。

低い、押し殺した声。

「うう……うう……」

Gは言葉を止めた。Aも、女も、動かなかった。

声は続いた。苦しんでいるようにも、笑っているようにも聞こえる。

女の表情が消えた。

ただ、Aを見ていた。

「印鑑を」

女はそう言った。

口元だけが動いた。声は少し遅れて届いた。

「いいいいい……ん、かん……」

和室の声が、突然、引き裂かれたような絶叫に変わった。

Aは逃げた。Gも逃げた。女は追わなかった。

玄関を出るとき、Aは振り返った。

女は正座していた。背後の襖が、指一本分だけ開いていた。

暗闇の奥で、何かがこちらを見ていた気がした、とAは言った。

翌日、Aは機器を忘れたことに気づいた。

会社の備品だ。取りに行かないわけにはいかない。

私も同行した。

問題の部屋の前で、Aは足を止めた。ガスメーターに黄色い札がついていた。空室の印だった。電気も止まっている。

インターフォンは鳴らない。

管理会社を呼び、鍵を開けてもらった。

部屋は、空だった。

天井は白い。何も貼られていない。家具もない。

ただ、部屋の中央に、Aの機器が置かれていた。

昨日、確かに使った位置に。

管理会社の担当は首を傾げた。この部屋は竣工以来、まだ一度も入居していないと言った。

Aはそれから休んだ。

ひと月後、条件付きで復帰した。新築物件には行かない。例のエリアにも近づかない。

しかし、一週間後。

Gの携帯にAから電話が入った。

「もう決まりました」と言うはずの時間だった。

無言が続き、やがて物が倒れる音、息を詰めたような声が混じった。

「また……出たんです」

女は、別の古びたマンションにいたという。

普通の部屋。普通の応対。普通の了承。

電話をかけようとした瞬間、目の前の女の顔が、ゆっくりと変わった。

粘土のように歪み、あの日の女になった。

そして言った。

「また会ったね」

Aはそのまま辞めた。

失踪したと聞いている。

ただ、辞表は受理されている。

誰が持ってきたのか、私は知らない。

それから数年後。

私も車両長になった。

若い営業を、新築マンションに降ろすことが増えた。

昨日、ある部屋で契約がまとまったと連絡があった。

優秀な新人だった。声が少し震えていた。

「すぐ来てください」と。

部屋に入ると、天井に写真はなかった。

白い天井。

女は笑っていた。

どこかで見た顔だと思った。

捺印の説明をしていると、隣の和室から声がした。

低い、押し殺した声。

「うう……」

新人が、私を見た。

その目は、どこか懐かしかった。

女が言った。

「印鑑を」

私は鞄から印鑑を出した。

なぜ自分のものを持ってきているのか、そのとき疑問に思わなかった。

女は、私を見ていた。

「また会ったね」

そう言われた気がした。

誰に向けて言ったのかは、わからない。

帰社後、契約書を確認すると、署名欄に私の名前があった。

顧客名の欄にも、同じ名前が書かれていた。

写真は貼られていない。

ただ、書類の白い余白が、天井のように広かった。

最近、新人がよく育つ。

呼び鈴を押すのを、ためらわない子が多い。

今度、あなたも来るだろう。

そのときは、上を見ないほうがいい。

見ると、覚えられるから。

[出典:34 :営業会社の話(1/3):2011/01/19(水) 21:09:13 ID:iumaAo9x0]

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