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短編 奇妙な話・不思議な話・怪異譚 n+2025

精霊灯を返された日 n+

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まだ小学校に上がる前、祖父母の家に預けられていた頃のことだ。

どうして自分がそこにいたのか、両親は今でも理由を言えないらしい。あの沈黙を思い返すと、聞き返す気にもなれなかった。

祖父母の家は山の裾にへばりつくように建っていた。朝は白い靄が垂れ込み、夕方になると風が裏山から冷えて降りてくる。湿った木の匂いが、指先まで染みつくような毎日だった。
幼い私は、祖父母以外の人をほとんど見なかった。庭に出ても、聞こえるのは風音と、鶏の羽ばたき、遠くの沢のざわめきばかりで、声らしい声がない。
そんな静けさの中に長くいると、自分の呼吸が少しずつ周囲に溶けていくような、変な感覚があった。

ある日、退屈に耐えきれなくなった私は、敷地の端にある蔵へ向かった。
引き戸の下部は土で膨らみ、手で押してもわずかに軋むだけ。肩で体重をかけると、湿った木の繊維がぬるりと動いて、隙間ができた。
中は薄暗く、天井の板がところどころ腐っていて、小さな穴から光が漏れていた。埃が光の筋の中でぎらつき、空気だけがゆっくり動いている。

その光の溜まり場――蔵のいちばん奥。
私の足が吸い寄せられたように進むと、そこに“何か”がいた。
三十センチほど。背を丸め、しわが寄った皮膚が乾いた小豆色をしている。水木先生の絵本で見た小豆洗いに似ているのに、小豆は洗っていない。
ただ、両手をちまちまと動かし、指先で何かを撫で回すような仕草をしていた。

名前は、なぜか最初から「ヒノジイ」と分かった。
文字として読んだわけではなく、頭の奥に薄く光る線が描かれ、その線が形になるような感覚だった。言葉というより、輪郭だけが直に流れ込んでくる。

ヒノジイはゆっくり顔を上げた。目のような凹みが光に濡れている。
次の瞬間、私の頭の中に“音のない声”が入った。
「……あつめる」「……つなぐ」
そんな断片。
意味は分かるのに、実際には聞こえていない不思議な質感だった。

ヒノジイの足元には、掌に乗るほどの灯りが置かれていた。
「精霊灯」――そう呼ばれていることも、やはり直観のように理解できた。
小さな壺のような形で、口の部分だけが薄く光っている。光は揺れず、火でも電気でもない、湿り気を帯びた淡いものだった。

毎日のように私は蔵へ行き、ヒノジイの手元を眺めた。
ヒノジイは山の精霊の欠片を集め、それを灯に仕立てている……そんな説明も、音のない声で頭に滲み込んだ。
欠片は、時折ふっと光の粒として現れ、ヒノジイがそれをつまんで壺に入れると、息を吸うようにしずかに沈みこんだ。

私はその作業を眺めるたび、肩の力が抜け、胸の奥が温かくなるような感覚に包まれた。
祖父母の家での寂しさも、言葉を持たない不安も、不思議と薄らいだ。

……なのに、小学校へ上がる年になり町へ戻ったあと、ヒノジイのことは完全に忘れてしまっていた。
今日、年賀状の話をしている最中に、突然あの蔵の匂いや、光の筋の埃の揺れを思い出した。
どうして今まで忘れていたのか、自分でも気味が悪いほどだった。

祖父母の家には、今年のうちに行くつもりだ。
蔵を、もう一度だけ確かめてみるつもりでいる。

祖父母の家へ向かう日が近づくにつれ、胸の内側にじわじわと湿った重さが溜まっていった。

理由を説明しようとすると、喉の奥にざらついた膜が張りつき、言葉が形をなさない。
幼いころの記憶を取り戻したはずなのに、蔵の奥に踏み入ろうとする自分を想像すると、足首のあたりがじんと冷える。
まるで、誰かに触れられたような残像が残る。

町を離れ、山あいの風景が増えてくると、不思議なことに瞼の裏が重くなり、子供の頃の感覚が断片的によみがえった。
夕方の光が山肌に吸われるときだけ、空気の粒子がざわめき、耳鳴りのような静電音が走る。
その音が蔵の中の光の筋と重なり、胸の中の鼓動がひとつぶずれる。
記憶が戻るというより、向こう側が勝手に近づいてくるような感じだった。

祖父母の家の玄関に入ると、古い畳の匂いが肺に広がった。
祖母がいつもより少しだけ黙りがちで、私の顔をまじまじと見たあと、手を合わせるように胸の前で指を組んだ。
問いかけても返事は曖昧で、目の奥に濁った揺れがある。
その動きが、私の記憶と何かしらつながる気配だけを残した。

翌朝、蔵へ向かうと、空気がやけに冷たく、地面の湿気が指先まで吸い上がってくる。
引き戸に触れた瞬間、手のひらが薄く痺れた。
昔と同じく、木は膨らんでいて重い。それでも肩で押すと、わずかに隙間ができ、外の光が線となって中に流れ込んだ。
匂いはほとんど覚えていなかったはずなのに、鼻先に触れた途端、胸の奥がゆっくり沈んでいく。

蔵の中央は思ったより広く、天井の穴は以前より大きくなっていた。
そこから落ちる光の筋が、床の埃に淡い揺らぎを作り、私の影を波のように歪めた。
奥をのぞくと、かすかなざわめきが耳の奥で動いた。
風なのか、虫なのか、それとも……と判断する間もなく、足が勝手に奥へ進んだ。

そして、光の溜まり場に立ったとき――
胸の下あたりが一度だけ跳ね、呼吸が細くなるのを感じた。
そこには、何もいなかった。
ただ、乾いた床に丸い跡がひとつ残っている。掌ほどの大きさで、中心が少し焦げ茶に変色していた。
踏んだり擦ったりしても取れず、四方に伸びる細い筋だけが薄く光るように見えた。

かがみ込んだ瞬間、頭の奥に淡い波紋が走った。
音ではない、言葉でもない、しかし、確かに「向こう」から反応が返ってきた。
幼い頃に感じたあの文字のような気配――それが一瞬、脳裏に浮かんでは形にならず、すぐ途切れた。
私は咄嗟に後ずさりしたが、足元の板がぎしりと鳴り、埃がふわりと舞い上がった。

その舞い上がる埃の中で、ひとつだけ光る粒があった。
粒は私の目の前を通り、ふらつくように漂ったあと、跡の中央へ吸い込まれるように消えた。
息を止めたまま見つめると、跡の縁が微かに脈打ち、床板全体が呼吸しているみたいに見えた。
私は気づけば手を伸ばしていた。触れようとしたわけではない。ただ、腕が勝手に引かれた。

そのとき、背後でかすかな音がした。
ふり返ると、蔵の入口の暗がりに、祖父が立っていた。
祖父は何も言わず、入口に影として佇んでいたが、目の奥は正常な光を保っていなかった。
その視線が、床の跡ではなく――私の肩口あたりを凝視している。
まるで、そこに“誰か”が寄り添っているかのような目つきだった。

祖父のかすれた声が、蔵の空気をひび割らせるように響いた。
「……もう、ええ」
その語尾は震えていて、安堵とも諦めともつかない重さが混じっていた。
私は何も言えず、ただ祖父を見返した。
その瞬間、祖父の視線がふっとずれ、私の背後へわずかに動いた。
誰もいないはずなのに、その空間がゆっくり沈んだ気がした。

祖父は続けた。
「思い出したんなら……もう、戻らんでええ」
言葉の意味がつかめないまま、私はその場に立ち尽くした。
祖父の声は震えているのに、言葉だけは妙に静かで、どこにも逃げ場がなかった。
それを聞いた瞬間、胸の底に冷たいものがじわり広がり、幼い頃に覚えた“あの感覚”が背中を撫でた。

私は祖父を避けるように横をすり抜け、外の光へと急いだ。
戸を出る寸前、蔵の奥からごく小さな気配が背中を押すように動いた。
振り返ろうとしたが、首が固まったみたいに重い。
そのまま私は蔵を離れ、祖父母の家の縁側へ座り込んだ。
呼吸が落ち着くまでの間、背中にまとわりつくような暖かさが、なかなか消えなかった。

しかし、後になってもっと不思議だったのは――
蔵から出る直前、祖父の視線が見ていた場所。
あの高さ。
あの距離。
祖父が凝視していたのは、三十センチほどの……子供でもない、大人でもない……ある“背丈”だった。

ヒノジイの、頭の位置と同じ高さだった。

夕方、祖母が台所で包丁を動かす音を聞きながら、私は縁側に座っていた。
山の向こうに沈む光が畑の湿った土を照らし、細い影を伸ばしている。
静けさが濃くなってくるにつれ、背中にまとわりついていた“あの暖かさ”が、ゆっくりと淡くなり、代わりに空気が沈むように重くなった。

祖父は縁側に来ず、仏間の戸を少しだけ開けたまま、中でじっと座っていた。
視線を交わさないようにしているのが分かる。
それでも、私が蔵から戻った後、祖母と短く何か話していた声がかすかに残っていた。
言葉は聞き取れず、ただ、祖母の返事の間にひとつだけ深い溜息が混じっていた。

夜気が満ちてくると、畑から霧が這い出してきた。
湿った空気が足元を包み、脛のあたりがじんわり冷えていく。
その冷たさの中に、妙な錯覚が混じる。
足首に細い指が触れたような、昔、蔵で光の筋の中に座り込んでいたときに感じた、あの“吸われるような感覚”が蘇る。

少し怖くなって立ち上がると、裏山の方から、ごく小さな光がひとつだけ揺れながら降りてきた。
蛍にしては動きが遅く、色が冷たい。
その光は私の胸元あたりまで来ると、ふっと止まり、輪郭が形を変えたように見えた。
目を凝らした瞬間、頭の奥にかすかな波紋が走る。
幼い頃に毎日のように聞こえた“音のない声”が、その波紋の端に触れた。

──「……つづける」
──「……あずけた」

声はその二語だけだった。
意味を理解するより先に、胸の奥が締めつけられ、手のひらに汗がじわりと浮いた。
光の粒はそのまま私の足元へ落ち、土の表面でほつれるように散って消えた。
まるで、私の中にある“どこか”を叩いたあと、沈んでいったようだった。

その瞬間、背後から祖母の声がした。
「……また、来よったんやね」
振り返ると、祖母は窓越しに私を見つめていた。
ただ、その目は私ではなく、私の後ろ――肩のすぐ上あたりを見ていた。

祖母は続けた。
「たまに戻ってくるんよ、あの子は。山のもんを灯にして……連れてきてしまうんや」
言いながら、顔を伏せた。
その仕草は、叱責でも恐怖でもなく、長いあいだ受け入れようとせず押し込めてきた何かが、形になって滲んだように見えた。

私は言葉を失ったまま、庭の暗がりへ目を向けた。
霧が濃くなり、畑と山の境目が曖昧になる。
その境で、ふわりと小さな影がひとつ揺れた。
三十センチほど。
背を丸め、指先を胸の前で動かす、あの形。
ただし、幼い頃に見たときよりも、影が薄い。
輪郭そのものが、光に透けるように揺れている。

影はゆっくりこちらを向いた。
音はしないのに、頭の奥に一瞬だけ文字のような光が走った。

──「かえす」

その言葉が浮かんだとき、ふいに理解した。
私が長い間ヒノジイを忘れていたのではなく、ヒノジイが“離していた”のだと。
幼い私のなかにあった何かを、一時的に蔵に預けていた。
だから私は、町で普通に過ごせた。
祖父母が理由を言えなかったのは、その“預けられたもの”をどう扱えばいいか分からなかったからだ。

影は一度だけ手を挙げ、胸の位置で輪を描いた。
それが、山々の精霊の欠片を集める仕草に見えた瞬間、胸の奥で何かが柔らかく震えた。
暖かい、小さな灯。
私の内側から、長い眠りを破るように淡く光った。
影はそれを見ると、ふっと姿を薄め、霧の向こうへ消えていった。

気づけば胸の鼓動は落ち着き、呼吸がゆっくり整っていた。
祖母が心配そうに玄関から出てきたが、私は黙って首を振った。
説明できることなど何もないし、説明したところで、きっと意味が違ってしまう。
ただ一つだけ、確かに分かったことがある。

ヒノジイは、もう私には必要ない。
でも、預けたものは返された。
その灯は、これから先も消えずに残る。
私は長く忘れていただけで、蔵に置いてきたのは“見える子供”ではなく――
もっと小さくて、もっと古い、山の呼吸のような感覚だったのだ。

夜風が吹き、胸の奥の灯がかすかに揺れた気がした。
けれど、それはもう怖くない。
あの蔵の暗がりで初めて見た微かな光と同じ、ひどく静かな暖かさだった。

そして、ふと気づく。
胸の内に灯るこの光の色は――
ヒノジイの精霊灯と、同じ淡さだった。

[出典:756 :本当にあった怖い名無し:2008/11/29(土) 20:24:44 ID:ar/RLiWLO]

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