倒産手続きが終わった日、工藤は一年ぶりに深く息を吐いた。
勝ったわけではない。ただ、負けきっただけだった。債権者との交渉、従業員への説明、資産の整理。数字と謝罪に囲まれた日々がようやく終わった。
正直な気持ちは一つだけだった。何も考えずに眠りたい。
その夜、工藤は妻に言った。「少しだけ、休みたい」
妻は静かにうなずいた。「少し休んで、それから一緒に考えましょう」
その声音は穏やかで、非難の色はなかった。工藤は救われた気がした。
翌日、彼は田原のもとを訪れた。倒産後も続けていたコーチングの最終回だった。話題はこれからの再出発。田原は変わらず落ち着いた調子で問いを投げる。「あなたにとって、休むとは何ですか」
工藤は答えられなかった。ただ、休むと言った瞬間、どこかで罪悪感が芽生えていたことに気づいていた。
帰り道、携帯が震えた。妻からのメールだった。
求人雑誌を買いました。私も働きます。生活を立て直さないといけません。子どもたちの学費もあります。
あなたは昨日、休みたいと言いましたね。
これからどうなるか分からないのに。
私は、あなたを殺してやりたいと思っています。
最後の一文だけが、異様にくっきりと浮かび上がった。
工藤は足を止めた。周囲の音が遠のく。殺してやりたい。
その言葉が、脳内で反響した。
本気なのか。
冗談ではない。
比喩でもない。
文字は平板で、絵文字もなければ、感嘆符もない。
彼は踵を返し、再び田原のオフィスに戻った。「これを読んでください」
田原は画面を一瞥し、黙った。
数秒の沈黙の後、田原は言った。「奥様は、本当にあなたを殺したいと思っていますか」
工藤は答えられなかった。
本気だとは思えない。だが、冗談にしては冷たすぎる。
「感情が強いと、人は強い言葉を使います」と田原は言う。「言葉は刃物ですが、必ずしも殺意を意味しません」
理屈としては理解できた。
恐れ。焦燥。将来不安。
その裏返しだと。
数日後、夫婦は同席した。妻は涙を流しながら言った。「本当に殺したいわけじゃない。ただ、怖かったの」
その場は収まった。
工藤も、納得した。
あれは比喩だ。感情の暴発だ。
理屈は整った。
だが、その夜、工藤は眠れなかった。
「殺してやりたい」という文面を、もう一度確認したくなった。携帯を開く。
メールは確かにそこにある。だが、読み返すたびに、文の温度が変わる気がした。
私は、あなたを殺してやりたいと思っています。
“思っています”。
現在進行形。
工藤は、あることに気づいた。
あのメールには、感情の説明がない。恐怖も、不安も、謝罪もない。ただ事実だけが並び、最後にその一文が置かれている。
あの日、妻は取り乱していなかった。
声も荒げていない。
泣いてもいない。
穏やかだった。
工藤は突然、別の可能性を考えた。
もし、あれが感情の暴発ではなく、冷静な意思表示だったら。
翌朝、妻はいつも通り朝食を用意していた。
味噌汁の湯気が静かに立ち上る。
「今日、ハローワークに行ってくるね」と言う。
穏やかな顔だった。
工藤は頷きながら、ふと考える。
自分は、何を休もうとしているのだろう。
仕事か。
責任か。
それとも。
殺してやりたい。
あの言葉は、彼の中で意味を変え始めていた。
肉体を殺すことではないのかもしれない。
父親としての自分。
夫としての自分。
社会的役割としての自分。
“あなた”とは、どの自分なのか。
田原は言った。「人は、相手を通して自分の一部を殺そうとすることがあります」
その意味を、工藤は今になって理解し始めていた。
休みたいと言った瞬間、彼は“家族を支える存在”という自分を降ろそうとした。
妻は、その自分を殺されたくなかったのではないか。
では、どちらが先に殺意を抱いたのか。
工藤は携帯を閉じる。
メールは削除していない。
ときどき確認する。
あの一文が消えていないかどうか。
消えていたら、怖い。
残っていても、怖い。
彼はまだ、休めていない。
(了)