山仲間が体験した話です。
北海道の大雪山を厳冬期、単独で登山していた時の話だそうです。
その日は、早朝からとても天気がよく、登山には絶好の日だったそうです。
しかし、そこは冬の山の天気です。みるみるうちに雲行きが怪しくなり、ついには激しい吹雪になってきました。
引き返すにしてはもうかなり深いところまで来ており、逆に危険すぎる。
避難小屋まであと少しの所まで来ているはずだが、このホワイトアウトの状態では自分の位置すらつかめない。
「*ビバークか?」
(※Bivouac shelter 緊急的に野営すること・不時泊)
実際それも覚悟していたのだそうです。
しかし山に関しては経験豊富な男でしたので、この寒いときのビバーグはしんどいなー、などと呑気に考えていると、少しだけ天気が回復してきました。
周りの展望もしこし開けてきてあとは目標物が見えれば何とかなりそうです。
うっすらと山々が見え始め自分の位置を迅速且つ正確につかむと、
「よし!行ける!」
避難小屋に行くことを決断しました。
行程二時間、回復した天気も一瞬でまたもとの猛吹雪となり、雪に埋まった避難小屋を発見できるか、不安が胸を過ります。
しかしそんな不安をよそに意外と簡単に見つけることができました。
と言うのも先行者がいたらしく、入り口部分の雪がよけてあったのです。
彼は深く安堵し、避難小屋の中に入ると先行者は二人のパーティーらしく奥のほうで早々とシュラフに潜り込み寝息を立てて寝ています。
気を使いながら静かに夕食を済ませると、彼も寝ることにしました。
何時間か経ったころか、それとも数分か、ぼそぼそ話す声で目が覚めました。
先行者の話し声のようです。
耳を澄ませば男女の声が聞こえます。
この厳冬期に女の人は珍しいと思ったのだそうです。
今後の行程のこと、明日の天気のことを話しているらしく時折押し殺した笑い声も聞こえてきて、なんだか楽しそうです。
明日の朝目が覚めたら話しかけてみよう。
目標が一緒だったら同行してもいい。
そんな事を考えながら深い眠りに落ちていきました。
次の日の朝、彼は物々しい雰囲気の中目覚めました。
十人ほどの男達が避難小屋の中にどやどやと入ってきたのです。
彼が目を覚まし体を起こすと、その場が凍りついたそうです。
「あっ、あんた生きている人か!?」
何のことか分からずポカンとしていると、
「ほれ、あそこの二人」
一人が先行者をあごで示すと、
「あれオロクだ」
つまり遭難死した人だったのです。
事の顛末を聞くと、救助の要請がこの二人から無線により入ったのが三日前で、折り悪く悪天候のためヘリも飛ばすことができずようやく陸路で遭難現場にたどり着いたのが二日前、無線で励ましたのも空しく、発見したときはすでに凍り付いていたそうです。
遺体を収容し下に下ろそうとしたのだが天候が急変し、二重遭難を恐れ一時避難小屋に遺体を安置し、救助隊は引き上げ今日改めて収容し下山。
……そんな話でした。
彼は、事の事態が掴めずにいた。
だとすれば、昨日避難小屋に着いたとき聞こえてきた安らかな寝息は?
昨夜の楽しげな話し声は?
厳冬期には幻覚や幻聴も珍しくない。あれは、やはりそれ?
しかし確かめなければならないことがあった。
「あのオロクは男女のカップルですか?」
救助隊の一人は無言で深く頷き
「新婚旅行だったんだと」
沈んだ表情でそう答えたのだそうです。
救助隊の中に彼の事を知っている人がいたらしく(彼は、ちょっと名の知れたアルピニストです)
「あんただったら心配はないけど、今日は日が悪いからさっさと下山した方が良いですよ」
と助言してくれたらしい。
しかし彼は予定の全工程をこなし無事下山しました。
この話をしてくれたとき、彼は最後にこう言っていました。
「いやー、あん時は流石に気味が悪くてサー、山下りようかとも思ったんだけどサー、でもあの夜聞こえてきた話し声がサ、とても幸せそうに聞こえたワケ、だから山はいいなー、そんなことを思ったんだヨ」
そんな彼も、数年前アルプスの山に抱かれ姿を消しました。
たぶん彼も永遠に、山はいいなーと感じているに違いありません。
そう思うと気が晴れるような気がします。
250 :星烏:2004/09/02 00:55 ID:O2DZlD1u
(了)