大学時代、俺にはたまに幽霊を見る癖があった。
部屋の隅に立っている人影。
夜道の向こうで、車のライトを抜けても消えない女。
見えても、関わらなければ問題はない。
そうやって距離を取ってきた。
例外が一人だけいた。
中学からの友人、Aだ。あいつも“見える”側だった。代々そういう家系で、距離の取り方を知っているやつだった。
大学で再会してからも、俺たちは踏み込まないまま続いていた。
あの夜までは。
深夜一時過ぎ。
スマホが震えた。Cからだった。
大学で知り合った女友達。
浮かれやすく、楽しそうに街を消費するやつだった。
「先輩とドライブしてるの。トンネル行くんだって」
名前を聞いた瞬間、嫌な感触が背中を撫でた。
地元で有名な場所だった。長くて、暗くて、入ったら何かを連れて帰ると言われているトンネル。
「帰れよ」と言った。
Cは笑った。
そのとき、通話の向こうで音がした。
「ォォォオオオオオ……」
風のようで、違った。
空洞の奥で、何かが擦れている音。
自分の部屋の窓を開けた。
無風だった。
「そっち、風強いか?」
「え?ぜんぜん」
音は続いていた。
Cの笑い声に重なって、ずっと。
やがて、それは声になった。
「あ゛ああ゛ああああああ……」
喉の奥が裂けたような、潰れた叫び。
Cは気づいていなかった。
通話は続き、笑い、途切れた。
翌日、Cは普通に講義に出てきた。
少し眠そうだっただけだ。
「何もなかったよ」と言った。
その日の夜、俺は通話履歴を確認した。
なかった。
Cからの着信が、ない。
発信も、ない。
時刻も、空白のまま。
スクリーンショットを撮ろうとした瞬間、
通知が一件来た。
【不在着信 A】
着信時刻は、あの通話中だった時間と重なっていた。
Aに電話をかけた。
「お前、昨日かけてきたか?」
沈黙。
「……何時だ」
時刻を言うと、Aは低く息を吐いた。
「出なくてよかったな」
「何が」
「その時間、俺はかけてない」
背中が冷えた。
その瞬間、スマホのスピーカーから、あの音が流れた。
「ォォォオオオ……」
通話はしていない。
スピーカーもオンにしていない。
それでも、音は鳴った。
俺は動けなかった。
音の奥で、声が混ざる。
「……く……」
誰の声か分からない。
「……ず……く……」
喉が詰まる。
「……○○……」
俺の名前だった。
Aが向こうで何か言っている。
聞き取れない。
スマホの画面には、通話中の表示がない。
それでも音は続く。
俺はようやく気づいた。
あの夜、Cは一度も自分の名前を言っていない。
俺も、呼んでいない。
なのに、あの声は知っていた。
Cの本名も。
俺の名前も。
そして、さっきから、もうひとつ混ざっている。
小さく、はっきりと。
今、これを読んでいる人の名前を。
スピーカーは、どこにありますか。
[出典:805 :幽霊トンネル ◆txdQ6Z2C6o:2010/07/03(土) 00:38:45 ID:yk2rbvQ60]