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ここじゃない rw+3,430-0212

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十一時半頃、玄関のチャイムが鳴った。

甲高い音が、休日の静まり返った廊下に不自然に反響した。足音を殺して覗き窓に目を寄せる。紺色のジャンパーを揃いで着た三人組が、玄関灯の下に立っていた。胸板の厚い体格。無精髭。営業の笑みはなく、ただ立っているだけで空気が重い。

声をかける前に、三人のうち一人が隣のチャイムを押した。

「……ここじゃないな」

低い声が漏れた。三人はそのまま二〇一号室の前へ移動し、何事もなかったかのように扉を叩いた。

胸の奥で何かが引っかかった。だが理由は分からない。ただ、「間違えた」と言いながら最初に押されたのは、確かに私の部屋のチャイムだった。

気配に押されるように、ドアを細く開けた。

「あの、何か……」

帽子を被った男が軽く会釈をした。

「山越警察です」

手帳を開いたが、こちらに向けたのは一瞬だけだった。すぐ閉じる。

「隣の部屋を確認します」

確認、という言い方に違和感を覚えた。だが三人はすでに二〇一号室へ吸い込まれていた。

隣人は物静かな中年男だ。挨拶程度しか交わさない。表札はない。郵便受けにも名前はない。それでも、いつの間にかそこに住んでいた。

三人が入ってから、廊下は妙に静かだった。物音がほとんどしない。捜査というより、待機のようだった。

三十分後、再びチャイムが鳴る。

今度は一人だけだ。

「昨夜、何か聞きませんでしたか」

叫び声や助けを求める声、と言った。私は何も聞いていない、と答えた。だが自分の声がわずかに裏返ったのを覚えている。

「隣の方、最近変わった様子は」

変わった様子。何を基準に変わったと言うのか。私は曖昧に首を振った。

刑事は少し間を置いてから、こちらを見た。

「……本当に、何も?」

その視線が長かった。私の後ろの部屋の奥まで測るような目だった。

やがて彼は引き上げた。二〇一号室の扉は閉じられたままだった。

午後、近所のクリーニング屋から電話があった。

「あんたんとこ、警察来とったやろ」

隣人は常連だったという。だが名乗る名前が一定しなかったらしい。ある日は違う苗字。別の日も違う。伝票の筆跡も微妙に変わる、と。

「今朝な、刑事と一緒に来てな……」

声がひそめられた。

「自分の預けたもんは誰にも渡すな、って繰り返してたんよ。レシート握りしめて。なんか、刑事のほうが困っとるみたいで」

刑事のほうが困っている。

その言い回しが頭に残った。

さらに彼女は言った。

「右手、変やった。指、足りへんみたいやった」

私は受話器を握ったまま、言葉を失った。欠けた指の数までは聞かなかった。聞いてしまえば、形が固まってしまう気がした。

最後に彼女が付け加えた。

「でもな、刑事さん、その人のこと名前で呼んでへんかった。『アニキ』って」

受話器の向こうで、沈黙が重なった。

夜になると、壁の向こうが静かすぎることに気づいた。

二〇一号室からは何も聞こえない。人の気配が、まるで消えている。

午前二時頃、金属の擦れる音がした。玄関の近く。チェーンを引くような音。

覗き窓に目を近づける。

蛍光灯の下、白い手が浮かんでいた。

右手。指が欠けているように見える。だが光が強く、輪郭は曖昧だった。

その手は、ゆっくりと私のドアノブに触れた。

コン、と軽い音。

私は息を止めた。チェーンはかかっている。鍵も閉めたはずだ。

手はしばらくそこにあった。やがて、すっと消えた。足音はしなかった。

翌朝、管理人に尋ねた。

「二〇一の人、昨日警察が」

管理人は怪訝な顔をした。

「二〇一は空室やで」

言葉が喉で止まった。

「先月出ていった。今は鍵も替えてある」

私は何も言えなかった。

「警察?来とらんよ」

その返答が、あまりにも自然だった。

部屋に戻る途中、廊下の掲示板に目が止まった。

住人一覧。私の部屋番号はある。だが二〇一の欄は空白だった。以前から空白だったかどうか、思い出せない。

玄関に入る。チェーンを確認する。

金具が、わずかに歪んでいた。

内側から引っ張られたように。

夜。

またチャイムが鳴った。

十一時半。

あの日と同じ時間。

覗き窓をのぞく。

誰もいない。

だが、すぐ隣、二〇一号室の前に三人が立っている。

紺色のジャンパー。帽子。

一人がこちらを振り向いた。

目が合った気がした。

口が動く。

「……ここじゃない」

私は瞬きをした。

三人は私のドアの前に立っていた。

音もなく。

帽子の男が、軽く会釈する。

「山越警察です」

その言葉に、既視感が走る。

私はドアを開けていない。なのに、男の顔がやけに近い。

「確認します」

何を、と聞こうとして、気づく。

背後の部屋が、妙に広い。

見慣れた家具の配置が、微妙に違う。

壁の向こうから、ノックが三度。

コン、コン、コン。

それは内側からの音だった。

私の部屋の奥から。

帽子の男が、ゆっくりと私の肩越しに中を覗き込む。

「……ここだな」

その声が、確信を帯びていた。

私は振り返る。

部屋の奥、廊下の突き当たりに、白い手が浮かんでいる。

欠けた指が、真っ直ぐこちらを指している。

それが私なのか、部屋なのか、分からない。

次の瞬間、背後でチェーンが外れる音がした。

自分で外した覚えはない。

朝、目を覚ますと、玄関は静かだった。

住人一覧をもう一度見に行く。

私の部屋番号の横が、空白になっていた。

二〇一の欄には、小さく紙が貼られている。

「山越警察 立入禁止」

私は立ち尽くす。

ここがどの部屋なのか、分からない。

耳の奥で、声が繰り返す。

「ここじゃない」

探されているのは隣人なのか。

それとも、最初から、私だったのか。

(了)

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