京都の三条にある飲み屋で聞いた話。
語ってくれたのは、会社の同期会で幹事を任されたという三十代の男性だった。
その夜のために彼が選んだのは、かつて母と訪れたことのある小さなイタリアン。思い出の味に仲間を誘おうと、彼は迷いなく電話をかけた。
受話器の向こうから現れたのは若い男の声。しかし、会話は妙に途切れ途切れで、ノイズが入り込むたびに「もしもし」と言い直さねばならない。雑音の中には、高い女の声が混じる瞬間があり、まるで電話線に誰かが割り込んでいるかのようだったという。結局、予約確認にかかったのは十分近く。落ち着かない感覚を覚えつつも、彼は通話を終えた。
当日。九階にあるはずのその店を目指し、仲間たちとビルのエレベーターに乗り込む。だが一階の看板には、店の名がどこにもない。不審に思いながらも、ネットの情報を頼りに九階へと昇った。
エレベーターの中の表示には確かに店名が刻まれていた。胸を撫で下ろし扉を開けると、そこに広がっていたのは闇と空虚だった。
照明は落ち、フロア一面にはテーブルも椅子もなく、ただ埃っぽい匂いだけが漂っていた。人気の気配など一片もなく、まるで長年放置された廃墟の一角のように。九階で間違いないと何度も確かめながら、彼らは急ぎ足で一階に戻った。
冷や汗を流しながら再び検索したところ、そこには「閉店、移転の確認が取れないため情報更新を停止」とだけ書かれていた。最終の更新は半年前。電話をかけ直しても、もはや呼び出し音すら鳴らなかった。
その夜、彼らは別の店で酒を酌み交わしたが、彼だけは飲みの席で浮かない顔をしていたという。幹事の責任感からではない。あの十数分の通話で耳にした声が、どうしても忘れられなかったからだ。
若い男の声に紛れて響いた、甲高い女の声。ハウリングではなかった。むしろ、隣で囁くようにはっきりとした人間の声だった。
その後、母に「店は潰れていた」と伝えたあと、彼は履歴からその番号を消し去った。理由を尋ねると、彼は苦笑いしてこう言った。
「また鳴ったら、誰が出るのか考えるのも嫌でね」
それ以来、三条のそのビルを訪れた者はいない。だが、今も夜更けにあの番号を回せば、同じ声が応答するのかもしれない。
——予約の取れない店というものは多いが、ここまで「取ってはいけない店」は珍しい。
[出典:862 :本当にあった怖い名無し:2016/04/20(水) 23:31:53.94 ID:gllPnNPa0.net]