あたり一面山だらけ。どこを見渡しても山ばかりの地方に生まれ育った。
小さい頃からお世話になったお寺に、奇妙な『鐘』があった。普通の鐘ではなかった。布と縄でぐるぐる巻きにされ、鐘を撞く丸太もついていない。私が物心ついたころには、ただ「ぐるぐる巻きの鐘」として存在していた。
アニメの『一休さん』を見て、初めて「鐘」の存在について理解した。寺の隅の屋根付きの一角に、あの鐘があるはずだと感じた。しかし、誰もその中身を見たことはなかった。小学生のころに両親に尋ねても、「詳しくは知らない」と言われた。彼らも子供の頃からその鐘を「ぐるぐる巻きの鐘」として見ていたに過ぎなかった。
年月が経ち、私は大学進学を機に実家を離れた。夏休みに帰省し、懐かしい景色を窓から眺めていると、かつては見えなかったお寺が見えるようになっていた。山が削られ、裏の里山がなくなり、視界が開けたのだ。ふと、あの頃、虫を取ったりアケビを食べたりした山ももう無くなってしまったことに寂しさを感じた。
夕飯時、私は両親に言った。「裏山がなくなって寺が見えるようになったんだね。」すると、両親は言った。お寺は数年前から無人になり、法事と祭りの時だけ他の寺から僧侶を呼んでいるという。
その夜、ふとしたことから眠れなくなった。窓の外を見ると、遠くから「ぐうん」と低い音が聞こえた。『鐘の音?』と目を凝らすが、何も見えない。月明かりの中、ただの闇が広がる。何かが気になり、昔使っていた双眼鏡を探した。ほこりを払い、レンズを覗き込むと、ぼんやりと動く人影が見えた。三人ほどの人間が、鐘撞き小屋の近くで何かしている様子だった。
懐中電灯の光がちらつき、彼らは鐘に巻きつけられた縄を引っ張り、木の棒で持ち上げようとしている。どうやら、鐘が屋根から出せないでいるようだった。思わず目を凝らすと、鐘が地面に落ちた音が聞こえ、二人が耳を押さえている。その時、「ごうん」と鳴る音が私の耳にも届いた。
音が鳴ると、家々に灯りがともり、何かが起きたことを示している。だが、視線を戻すと、三人の姿はもう消えていた。
翌朝、母から尋ねられた。「昨夜の音、聞いた?」私は適当に答え、その後、双眼鏡を取り出し、再び鐘撞き小屋を覗いてみた。今度は何人かが集まり、鐘の落ちた場所を囲んでいた。警察の検証が終わり、鐘をどうするかを話し合っているようだ。話を聞くと、村の消防団の人たちが「もう一回掛けるか?」と相談しているが、最終的にどうするかは決まらないようだった。
その中に、源太君のおばあさんの姿が見えた。源太君は小学校の時に引っ越したが、彼の祖母とは今でも交流がある。おばあさんに挨拶すると、彼女は言った。「鐘なんて売れるんですかね。」その時、私は聞いた。「ごぜさんの鐘、何か意味があるんですか?」すると、おばあさんが話してくれた。
「昔、このあたりでは、盲目の子どもが生まれると、ごぜさんに引き取られて行ったんだよ。男の子は別の所へ、女の子はごぜさんとして一生を送った。あの鐘は、もともとは普通の鐘だったが、いつの頃からか、ごぜさんを呼ぶ合図の鐘になったんだ。」
この話を聞いた時、私はその鐘が単なる道具ではなく、深い意味を持っていることに気づいた。鐘は、ただの音ではなく、過去の辛い歴史の象徴だった。
その後、両親と食卓を囲んで話をした時、父が言った。「ごぜさんの鐘って、そういう意味だったのか。」母も言った。「子供の頃、あの鐘を鳴らすと、悪いことをした子供が連れて行かれるって、脅しの言葉として聞いたものだったけど……。」
物語を聞いた両親は、過去に伝えられた「ごぜさんの鐘」の話が本当だったことを驚き、改めてその重さを感じたようだった。子どもを育てられない家庭は、鐘を鳴らしてその子を「送り出す」ことを選んだという。そして、鐘を鳴らした後、多くの子どもたちは命を落とし、寺の周りにはその亡骸が見つかった。その後、鐘の音が不吉なものとされ、鐘はぐるぐる巻きにされ、二度と鳴らないようにされたという。
その日の夕方、再び鐘撞き小屋の近くに人々が集まっていた。鐘をどうするかを決めるために話し合いが続いている。その時、源太君のおばあさんがまた言った。「あんな鐘、もう鳴らしてはいけない。あの鐘には何かある。昔の話じゃない。今でも、あの鐘が鳴ると何かが来る気がする。」
私はその時、ふと考えた。あの夜、鐘を盗もうとした者たちが鳴らした鐘の音が、過去から何かを呼び寄せたのではないかと。あの音に反応した何かが、彼らをどこかに連れて行ったのかもしれない。
警察が追跡しても、犯人は姿を消した。誰もその後の行方を知る者はない。ただ、あの鐘の音が鳴り響いた夜、確かに何かが動き出した気がした。
あの鐘が、過去の暗い歴史を再び呼び起こしたのか、それとも単なる偶然だったのか。私にはもうわからない。ただ、あの夜、確かに「ごぜさんの鐘」の音が聞こえた。