これは、震災のあった年にT県で出向勤務をしていたという男性から聞いた話だ。
その年の夏は異様に暑く、仕事終わりの夕暮れには道路に立ちこめる熱気が目に見えるようだったという。
駅前の広場で声をかけられたのは、偶然にも高校時代の友人、Aだった。
痩せてはいたが、間違いなく同じ部活で汗を流したあのAだった。地元を離れた土地で懐かしい顔に出会う喜びから、思わず「飲みに行こう」と誘ったが、「今、酒はちょっと」と遠慮されたため、近くの喫茶店に足を運ぶことになった。
喫茶店では、互いの近況を語り合った。Aは結婚して子供もいると言い、少し誇らしげに笑っていた。だが、その笑顔の中にはどこか影があり、「最近、病気で痩せたせいか自動ドアが反応しなくてさ」などと妙に現実離れした話を笑い話のように語っていた。電話の相手に声が届かないことも多いと言っていたが、それも軽く流されてしまった。
別れ際、次に地元で会おうと約束した。その時、Aの飲んでいたコーヒーのカップがほとんど手つかずだったことが気になったが、深く考えず店を後にした。
その後、日常に追われ、その出来事は記憶の隅に追いやられていたが、昨年、高校時代の部活の同窓会で再びAの名前が話題に上った。誰かが「Aはどうして来てない?」と聞いた瞬間、場が一瞬沈黙した。
「Aは震災の年に亡くなったよ。ガンで長い入院生活の末だった」
その言葉に凍りついた。あの日、確かに会話を交わし、目の前にいたA。そのAが「亡くなっていた」という事実。
友人に「いや、震災の年の夏、俺はT県でAと会ってる」と告げたが、「それはありえない。あの年の夏、Aはもう……」と断言される。
目の前が暗くなり、あの日の出来事がフラッシュバックする。コーヒーに手をつけていなかったA、誰もいない自動ドアをじっと見つめる彼の横顔。そして、「声が届かない」と笑っていたこと。
Aがあの街にいた理由はわからない。もしかすると病院を抜け出してきたのかもしれない。だが、あれが本当にAだったのか。もしくは――すでにこの世を去った彼の影だったのか。
いまだに答えは出ない。ただ、あの日のAは確かに「自分の存在が薄い」と笑っていたのだ。それが、この世とあの世の境目を示唆していたのかもしれない。
[出典:617 :本当にあった怖い名無し:2015/06/17(水) 11:51:53.43 ID:cFVIfff60.net]