オフロードバイクに乗るようになってから、ひとりで遠くへ行くのが癖になっていた。
泥と埃まみれになる林道、誰も通らない尾根道、そういう「地図にない道」を走ることで、自分の輪郭がはっきりするような気がするのだ。
今年の盆休み、四日間あれば九州の南端くらいまでは行けるだろうと、福岡の友人の家を起点に南下ルートを計画した。
もちろん、ただ高速を突っ走って目的地に着くだけじゃ意味がない。
途中にある絶景ポイント、未舗装路、峠道、できるだけ「無駄」を挟んで走るのが、俺にとっての正しいツーリングだ。
一日目は特に問題なし。エンジンは快調、ブレる前輪も「生きてる」感があるとさえ思えた。
二日目。温泉にも浸かり、阿蘇の外輪山をなぞるように写真を撮りながら走ったが、思った以上に時間を食っていたらしい。
太陽が山にかかり始めた頃、熊本と宮崎のちょうど真ん中あたりの峠道にいた。
まだ鹿児島には入っていない。本来なら今日はもう指宿のあたりにいるはずだった。
だが俺は迷わず寄り道を選んだ。スーパー林道。今回のツーリングで最も楽しみにしていたステージだ。
やっぱり走る。走らずに通り過ぎたら後悔する。
アクセルを開けた。
しばらくは最高だった。右に傾け、左へカウンターを当て、砂利を巻き上げながら森の中をすり抜ける。
ああ、これだ。この感覚のために日々働いている。
……と思った次の瞬間。カーブを見誤った。リアが滑り、バイクが真横を向いた。
必死に体を戻すも、もう遅い。跳ねたフロントが路面を噛み、バイクは俺を空に放り出した。
視界の端に、逆さになった愛車が回転しながら飛んできた。次の瞬間、激痛。
――意識を失ってはいなかった。
起き上がると、体中がじんじんと痛んだ。骨は折れていない。
バイクまで這うように歩き、エンジンをキックしてみたが、反応はなし。メーターは砕け、フロントフォークが歪み、前輪を噛み込んでいた。
携帯の電波は死んでいる。空はすっかり暮れていた。
バイクを道の端に引きずって、ハンドルにジャケットを引っ掛けた。リュックを背負い、懐中電灯を手に山道を歩き始めた。
二時間、三時間……足元が朧げにしか見えない。月は雲に隠れ、谷底がどこかわからない。
なぜまだ着かない? あの神社の橋を渡った地点から入った道なのだから、戻るだけでいいはずなのに。
右手にはずっと川の音。左手は山の斜面。それなのに、いつまで経っても景色が変わらない。
おかしい。
疲労と恐怖で手足の感覚が曖昧になる頃、道が突然開けた。
そこに村があった。
いや、正確には「かつて村だった場所」。
街灯はない。家々は朽ち、屋根は落ち、ガラスは割れ、扉には錆が浮いている。
懐中電灯で照らして確認すると、五〜六軒の木造家屋が斜面に沿って点在していた。
集落の中心には、コケの生えた石段と、閉じられた井戸。給水塔もあったが、使えるわけもない。
……どこか安心したのかもしれない。誰もいない確信が逆に落ち着いた。
一番マシな家の玄関前に腰を下ろし、虫除けをかけて寝ることにした。
地べたよりはマシだと思った。
睡魔が、ゆっくりと全身を包みこんでいく。
……ミシッ。
微かな音で目が覚めた。
耳をすます。家の中から……「ミシッ……ミシッ……」
床を踏むような、一定の間隔で鳴る軋み。最初は家鳴りかとも思ったが、明らかにリズムがある。
気配ではなく、存在の音だった。
玄関の上半分のスリガラスを通して中は見えない。
でもそこに、「何か」が居るのはわかった。
耳をガラスに近づける。
ミシッ……ミシッ……
ああ、間違いない。誰かが中を歩いている。
この廃墟に?
そんなはずはない。
緊張で額に汗が滲む。
ゴトッ。
背後、少し離れた家の方から音。慌てて顔を向けるが、何も見えない。
そのときだった。
正面にある斜面下の家の窓を、黒い影が横切った。
すぐまた戻る。往復している。
歩き回っているのか?いや、探しているのか?
背後からの足音も止んでいた。代わりに、スリガラスに何かが張り付いた。
顔。
白い顔が、ガラスに押し当てられ、目だけが俺をじっと見ている。
声を出そうにも出ない。体が金縛りに遭ったように硬直して動かない。
月が雲の切れ間から顔を出し、村全体が仄かに照らされる。
見えた。
井戸。
蓋が外れ、倒れている。そして……その中から、顔。
目だけを出して、俺を見ている。
家の窓にも、スリガラスにも、何人もの顔が張り付き、無数の目が俺を凝視している。
「うわぁっ!」
叫び声が漏れた瞬間、体が動いた。金縛りが解けた。
ヘルメットを抱え、暗闇を無我夢中で走った。
月の光だけを頼りに、来た道を逆に戻る。
何度も転びそうになりながら、脇腹が痛みだすまで走り続けた。
そのまま、夜が明けるまで歩き続け、ようやく人気のある町へとたどり着いた。
バス停に座ったとき、涙が出た。
そのまま始発の高速バスで帰った。
バイクは引き上げてもらい、廃車。俺もあちこち打撲だらけ。
あれは夢じゃない。
後日、撮った写真を確認した。霊らしきものは写っていなかった。
ただ――
何枚かの写真の隅、半壊した家屋の裏。フラッシュに浮かんだものがあった。
墓石。しかも、十柱以上。
村の背中に、墓地があった。
そりゃ、出るよな。
俺が寝てたの、たぶん、その真下だった。
(了)
[出典:27 本当にあった怖い名無し 2009/09/06(日) 19:00:53 ID:rYkHSOAHO]