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短編 奇妙な話・不思議な話・怪異譚 n+2025

かわって ncw+204-0120

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茨城県南部の湿った風が、車の窓から吹き込んでくる。

七月半ばの筑波は、緑とアスファルトが混じり合った独特の匂いがした。父親の転勤に伴う引っ越しは、中学三年の夏という最悪の時期に決まった。助手席の父親は煙草を吸い、後部座席の私と弟は、流れていく街並みを黙って眺めていた。

新居は、古い住宅街の奥にあった。昭和五十年代に建てられた木造モルタル二階建てで、外壁は灰色にくすみ、雨だれの跡のような黒い筋が縦に走っている。庭には膝丈まで伸びた雑草が生え、プラスチックごみやビニール紐が絡みついていた。人が住んでいた痕跡だけが、妙に生々しい。

一階の掃き出し窓のガラスは放射状にひび割れ、一部が欠けていた。管理会社のいい加減さが、その一枚で分かる。

玄関を開けた瞬間、湿ったカビと古紙が混じった空気が鼻にまとわりついた。昼間なのに家の中は暗く、廊下の奥まで光が届かない。床板は一歩ごとに軋み、壁紙は黄ばんでいた。

「和也、二階だ。荷物運べ」

父の声に従い、段ボールを抱えて階段を上る。手すりはべたつき、触れるのを躊躇わせた。二階には南側の六畳と、北側の四畳半があるはずだった。

廊下の突き当たりで、足が止まった。

そこにあるはずのドアがなかった。

代わりに、壁一面を覆い尽くす茶色の矩形があった。布製のガムテープが縦横斜めに幾重にも貼られ、建具の輪郭を完全に消している。端はめくれ、古い接着剤が黒く糸を引いていた。修繕というより、何かを閉じ込めた跡だった。

弟が後ろで息を呑んだ。

「兄ちゃん……なにこれ」

触れると硬い。叩くと乾いた音が返るが、その奥に空洞があるのが分かる。テープの継ぎ目から、わずかに冷たい空気が滲み出ている気がした。

父を呼ぶと、眉をひそめて管理会社に電話をかけた。担当が来るまで待てないと言い、爪でテープを剥がし始める。

バリ、バリ。

乾いた音と共に、古い糊の匂いが立ち上る。三人で無言のまま剥がし続けると、中央にドアが現れた。ノブはなく、あったはずの穴はパテで埋められている。枠との隙間もコーキング剤で塞がれていた。

父が苛立って、ドア下部を蹴った。

パテが崩れ、ぽっかりと穴が開く。そこから埃を含んだ空気が流れ出した。

弟が覗き込み、動かなくなった。

「……音がする」

低い、擦れるような音。何か重いものが、床を引きずるような。

そのとき管理会社の男が来た。柳と名乗り、壁を見るなり目を逸らした。

「ああ……そこは、その……」

説明は曖昧で、「音に敏感な前の住人が塞いだ」とだけ言い残し、部屋の中を確認しようとしなかった。

その夜、私たちは一階で寝た。弟が二階を拒んだからだ。

「目が合った」

弟は夕食中、ぽつりと言った。

「暗い中で、何か動いた。白い……指みたいな」

私は何も言えなかった。昼間、穴を覗いたとき、見えはしなかったが匂いを感じたからだ。湿った布と古い畳、それに生臭さ。生活の匂いだった。

深夜、尿意で目を覚ました。弟がいない。廊下へ出ると、二階から音がした。

ズリ……ズリ……。

階段を上る音ではない。あの塞がれた部屋の前を、行き来しているような。

見上げると、踊り場の闇の中で、剥がし残したガムテープが内側から押され、揺れていた。夕方、父がベニヤ板で仮止めしたはずの場所だ。

ガムテープが、じりじりと音を立てる。

メリ……。

四隅の一本が切れ、板がわずかに浮いた。そこから流れ出した臭気は、昼間の比ではなかった。

「……にいちゃん」

背後に弟が立っていた。失禁している。

「あれ、入ってくる。僕たちの場所、取られる」

次の瞬間、二階で大きな音がした。板が外れた音だ。

ズリ、ズリ。

這う音が階段に近づく。

父を起こし、三人で廊下に立つと、音は止んでいた。父が懐中電灯で照らすと、踊り場には外れた板だけが転がっている。

「風だ」

そう言いながらも、父は一人で二階へ上がった。

「和也、来い」

呼ばれて上がると、例の部屋のドアが、内側から開いていた。隙間から溢れているのは、黒い細いもの。庭に落ちていたビニール紐と同じだった。

突然、家中の電気が消えた。

闇の中、懐中電灯の光の先で、何かが這い出てくる。白い腕。床を掴み、身体を引きずる。

掠れた声がした。

「かわって」

その声は、私の声だった。

父が転げ落ち、光が消え、私は取り残された。伸びてきた手が頬に触れる。湿って、冷たい。

ガムテープの粘着が顔に押し付けられ、呼吸が塞がれる。

次に目を覚ましたとき、私は狭い闇の中にいた。四方は柔らかく、何層ものテープで固められている。

外から声がする。

「この壁、変ですね」

父の声が答える。

「塞いだままにしましょう」

私は叩くが、喉から出るのは、ズリ……ズリ……という音だけだった。

向こう側で、私の声が言う。

「早く行こうよ」

光が閉ざされる。

それから、私は待っている。

誰かが、この壁を開ける日を。

[出典:56 :本当にあった怖い名無し:2012/10/01(月) 22:43:51.23 ID:hWz1xoxm0]

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