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焦げた産声 r+2,056

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あれを夢だと切り捨ててしまえば、どれほど気が楽だったか。

だが、なぜかあの晩の匂いだけが、どうしても消えない。焼け焦げた布団、甘ったるい胎児の羊水、そして……焦げた母の髪のにおい。

きっかけは、昨日のテレビだった。
産院で取り違えられた男の特集。真面目に育てられ、しかし四十年後、自分が“間違った家”にいたことを知るという話。
「人間、育ちだ」なんて言葉で終わらせるには、あまりに重たい現実。
画面の向こうで記者が言葉を選んでインタビューしていたが、俺の胸の中では、鈍くて重い金属の扉が、ギイ、と開いた。

俺の名前は妖子(ようこ)という。
女の名前だ。
男にこの名前をつける親はいない。
戸籍上は“洋司”だが、俺を知る人間は皆「ヨウコ」と呼んでいた。
中性的な顔立ちと、薄く高い声と、何より――母の強い願いが込められていたらしい。

俺が育った家は裕福だった。大正期の洋館をそのまま住まいにして、黒光りする椅子と、細工のある窓と、無駄に高い天井が特徴だった。
父は何かの顧問をしていて、実業よりも人脈で金が回るような世界の住人だった。
母は華族の血を引いていたとかで、眉の描き方ひとつで女中を叱責するような女だった。

だが、あの家の記憶はあまり暖かくない。
部屋の中には妙な冷たさがあった。どれほど暖房を焚いても、窓から射す陽は、薄く、ただ白いだけだった。

十六の春、あの家を出た。
理由は単純だった。ある日突然、父と母が、他人のように俺を扱い始めたのだ。
小言ひとつ、目線ひとつ、どこかに「拒絶」の香りがあった。
俺は荷物をまとめると、飼っていた猫にだけ別れを告げ、あの屋敷から去った。
そして、戻ることはなかった。

けれど先週、一本の電話がかかってきた。
「お母様が倒れられた」と、屋敷の女中の孫を名乗る女からだった。
いまさら行く義理などない。そう思ったが、妙に手が勝手に動いて、気づいたら電車に乗っていた。

屋敷はあのころと変わらず、門の鉄柵すら錆びていなかった。
玄関を開けると、昔のままの重い空気が出迎えた。
応接間のソファに座ると、女中が、息をするようにお茶を出してきた。
「お母様、お二階でお待ちです」
老いた声に促されるまま、階段を上った。
赤い絨毯、軋む木の段差……昔より音が大きくなった気がする。

母は寝台に横たわっていた。
顔は小さく痩せていたが、あの目だけは生きていた。
「妖子……やっぱり来たのね」
やっぱり、とは何だ。
口には出さなかった。

「ずっとね、ずっとあの子に……許してほしかったの」
母の言葉は、独り言のように続いた。
俺の顔を見ているようで、見ていない。
何の話だと問う間もなく、母は目を閉じてしまった。

その夜、女中から茶を飲まされた。
味に覚えがあった。
あれは、幼いころよく母が「おなかを温めましょう」と言って出してくれたやつだ。

……だが、体が動かない。
視界がぶれ、口が動かない。
まぶただけが重く閉じ、真っ暗な部屋に吸い込まれていった。

目が覚めたとき、体の下は畳ではなく、冷たいステンレスの台だった。
周囲には見知らぬ白衣の人間たち。
俺を指差して、誰かが言った。

「こっちが本物の“妖子”よ。処理するなら早くして」

処理? 何を言っている?

と、そのとき気づいた。
自分と、もう一人、同じ顔をした女がいた。
髪の流れ、骨のかたち、目の光。まるで鏡を見ているような……いや、俺よりも、あの家にふさわしい何かがあった。

女は俺を見下ろして言った。
「ごめんなさいね。でも私は“本物”なの。あなたは……お母様の妄想が産んだ幻」

幻だと?

何を言ってる。俺は確かに……あの家で、あの部屋で……

気づけば、手足が縛られていた。
隣の台にあった注射器が、ぬるりと近づいてきた。
誰かの手が俺の頭を撫でる。

「もうすぐ、終わるから」

* * *

――そして俺は、再び目覚めた。

今は地方の小さな病院で働いている。看護助手の肩書だが、実際には何でも屋みたいなもんだ。
名を変えた。姿も変えた。
もうあの屋敷の者として生きることはない。
だが、時々、夢を見る。

暗い部屋で、同じ顔をした女が、俺を見下ろしている夢。
母の声が、あの台の下から響いてくる。

「いい子にしてたら、また……ね」

おれが“本物”だったかどうかは、もう誰にも分からない。
でも、ひとつだけ確かなことがある。
俺が今、生きていて、そして――向こうはもう、死んでいるってことだ。

どうしてそうなったかって?
言ったろ?
夢だと切り捨てられたら、どれほど楽だったかって。

……

いや、本当は、ずっと笑っていた気がする。
焦げた匂いの中で、あの女が。

[出典:444 :本当にあった恐い名無し:2005/05/24(火) 00:26:20 ID:6+2sKBzV0]

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