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ぺた…ぺた…… r+521

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山間部にある、とある寒村で聞いた話。

昼でも薄暗い山の影に抱かれた集落には、今も明治の面影を残す古びた家屋が点在している。舗装された道路から外れ、鬱蒼とした杉林を抜けた先にぽつんと現れるその村では、外来者の姿は珍しく、よそ者が立ち入ると、畑仕事の手を止めた老婆たちが無言でこちらを見つめてくる。

その村には、食卓にまつわる奇妙な風習があった。箸を白米に立ててはならない。突き刺すことは即ち、〈招き入れること〉だという。誰を、とは誰も言わない。ただ、呼ぶな、開くな、触れるな、という三つの言葉が、何度も念仏のように繰り返される。

村に住む七十代の男が語った。

「昔、よそから来た若い夫婦がいた。県外から移住してきたってな。都会の暮らしに疲れたとかで、古民家を改装してな。あんときゃ、村も歓迎ムードだったよ」

しかしその夫婦が越してきて半年ほどしたある日、些細なことから噂が立った。夕方、隣家の婆が台所の窓からふと目にしたのだという。夕食の支度をしていた妻が、炊き立ての白米に箸を真っ直ぐ突き立てた姿を。

「言えばいいものを、言えなかった。ほら、都会の人って、そういうの笑うじゃろ?“昔の迷信でしょ”ってな。だから言えんかったんじゃ」

それから数日後、奇妙な出来事が起こる。夫婦の家の裏手、山に面した崖下に古い井戸があったのだが、朝になるとその井戸の縁に、濡れた足跡が残されるようになった。まるで誰かが井戸から上がってきたかのように。

最初は狸か鹿だろうと笑っていた夫も、二晩続いた雨の夜、寝室で濡れた足音を聞いたという。畳の上を、ぺた……ぺた……と誰かが素足で歩く音。妻を起こして部屋中を調べても、誰もいない。ただ、寝室の襖が微かに開いていた。

「それでとうとう、村の年寄りに相談に来たんだよ。“何か変なことが起きてる気がする”ってな。でも、その時点で、もう遅かった」

三日後の朝、妻が一人、家の中で白目をむいて倒れていた。脈はかろうじてあったが、目を開けても何も見えていない様子で、声も出さず、ただ天井の隅ばかりを見つめていた。医者を呼んでも原因不明。脳にも異常はない。だがそのまま、口を利くことはなかったという。

夫は気が触れたように、家中の米を捨てた。炊飯器を壊し、食器棚を燃やし、井戸に板を打ちつけた。その後、二人は村を離れた。引越しの朝、手伝いに行った若者が、床の間に奇妙なものを見つけたという。

白米の上に突き立てられた箸。その箸に、黒ずんだ指のようなものが巻きついていたのだと。

「その家は今も空き家じゃ。誰も近づかん。ええ、わしもよう行かん。だってあの井戸、今も夜になると……濡れた足跡が戻ってきよるって、そういう噂が絶えんのじゃ」

話を終えた男は、ちゃぶ台に置かれた白飯の丼を指差し、静かに言った。

「箸を立てるんは、死者への合図なんじゃ。よう覚えとき。あれはマナーなんかじゃない。あの形があの世への通路なんじゃ」

耳の奥に残る、ぺた……ぺた……という濡れた足音。

それ以来、食卓に白米が並ぶと、どんなに疲れていても箸の向きに気をつけるようになった。横に置く。それだけで何かを防げる気がする。意味なんて、もうどうでもいい。ただ、本能がそうさせる。

……そして今夜。ひとりの大学生が、ふとした気まぐれでその話を思い出す。

ひとり暮らしのアパートの、小さなテーブルの上。炊きたての白飯に、わざと箸を突き立ててみた。心のどこかで、そんな話は作り話だと、子ども騙しだと笑っていた。

しかし、部屋の蛍光灯がふっと明滅し、外からカタン、と何かが倒れる音がした。

……そして彼はまだ知らない。自分の足元に、畳が濡れ始めていることを。

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