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横に置いたはず rw+521

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山間の寒村で聞いた話だ。

昼でも山影が落ちる集落では、箸を白米に立ててはならないという。

理由は誰も言わない。

ただ、

呼ぶな。
開くな。
触れるな。

その三つだけを、ゆっくり繰り返す。

数年前、都会から若い夫婦が越してきた。

古民家を改装し、井戸を塞がず、庭の杉を切り払い、風通しをよくした。
村は歓迎した。表向きは。

ある夕方、隣家の老婆が台所の窓越しに見た。

炊き立ての白米の上に、箸が真っ直ぐ立っていた。

それだけだ。

翌朝、夫婦の家の裏の崖下にある古い井戸の縁が濡れていた。

雨は降っていない。

足跡があったという者もいる。
なかったという者もいる。

誰も確かめに行かなかった。

その夜から、家の中で足音がしたらしい。

ぺた……
ぺた……

畳の上を、素足が歩くような音。

夫婦は村の年寄りに相談に来た。

「変なことが起きる」と。

その時、誰かが尋ねた。

「箸はどう置いた」

夫は答えなかった。

答えられなかったのか、覚えていなかったのか、
最初から立てていなかったのか。

三日後、妻は家の中で倒れていた。

目は開いていたが、何も見ていない。

ただ、天井の隅を見つめている。

そこに何かあったのかどうかは、
誰も知らない。

夫は家中の米を捨て、食器を壊し、井戸に板を打ちつけた。

引越しの朝、手伝いに入った若者が床の間で白米の丼を見つけた。

箸が立っていた。

黒ずんだ指のようなものが巻きついていた、と言う者もいる。

ただの煤だと言う者もいる。

その家は今も空き家だ。

夜になると、井戸の縁が濡れていることがある。

外へ向かう足跡がある夜もあれば、
家の中へ向かっている夜もある。

どちらが本当かは、誰も言わない。

男は最後にこう言った。

「箸はな、立てるから通るんじゃない」

それ以上は言わなかった。

それ以来、白米を見ると箸の向きを確かめるようになった。

横に置く。

それで済むと思っていた。

今夜。

ひとり暮らしの部屋で、炊き立ての白飯を前にする。

箸は、確かに横に置いた。

自分で置いた。

ふと目を離した瞬間、蛍光灯がわずかに明滅する。

カタン、とどこかで何かが倒れる。

丼を見る。

箸は横のままだ。

ほっとする。

だが、足の裏が冷たい。

畳が、濡れている。

ぺた。

その音は、
あなたの背後から聞こえたはずだ。

丼の中の箸が、今どちらを向いているかは、
まだ確かめていない。

(了)

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