長野県の山あいの町に、古びたコンビニがある。
幹線道路から外れ、夜になると車通りも途絶える場所だ。あれは、以前そこで働いていた同僚から聞いた話で、もう十年以上前の出来事だという。それでも、夜勤に入る若いバイトの間では、今も小声で語られているらしい。
その店には、奇妙な決まりがひとつだけあった。
「おおいさん」と名乗る客が来たら、目を合わせるな。
理由は誰も教えてくれない。ただ、初日の引き継ぎで必ず言われる。それだけだ。冗談だと思って笑う者も多いが、数か月も勤めると、誰もその言葉を軽く扱わなくなる。
ある夜、Kという男が後輩と二人で夜勤に入っていた。深夜一時を回り、客足も途絶え、二人はバックヤードで廃棄前の弁当をつつきながら煙草を吸っていた。
監視モニターには、雑誌コーナーにたむろする三人の中学生が映っていた。後輩はレジ前に立ち、視線だけをモニターに向けている。万引き防止のためだ。
Kが何気なく画面を見ていると、妙なことに気づいた。
後輩が、誰もいないレジに向かって、何度も頭を下げている。
直後、バックヤードを呼ぶブザーが鳴った。Kは反射的に、何かやらかしたなと思い、売り場に出た。
レジ前には、小太りの中年男が立っていた。表情は笑顔だが、どこか輪郭が曖昧で、声だけがやけに残る。
「こんにちはー。おおいさんです」
その名を聞いた瞬間、Kの背中を冷たいものが走った。忘れかけていた警告が、一気に蘇る。
後輩が、視線を伏せたまま小さく言った。
「出ました……。目、合わせないでください」
二人は、視線を落としたまま応対した。タバコ、ガム、から揚げ。注文はどれも普通だった。会話も成立している。ただ、視界の端で、男がこちらを覗き込もうとする気配だけが続いていた。
会計が終わる直前、男が明るい声で言った。
「どっちかの命、ちょーだい」
冗談だと受け取るには、声が平坦すぎた。二人が言葉に詰まると、男は続けた。
「じゃあ、あそこの三人のうち、一人でいいや。いのち、ちょーだい」
雑誌コーナーの中学生たちは、こちらに気づいた様子もなく、笑いながらページをめくっている。
Kは丁重に断った。後輩も、震える声で繰り返した。男はしばらく黙り込み、それからレジの上に、何かを置いた。
細い針金を、雑に丸めただけのようなものが三つ。
「じゃあ、ぜんぶもーらーおっと」
そう言って、男は去った。
翌日、店長に話すと、顔色が変わった。
「何か、置いていったか」
針金細工を見せると、店長は強い口調で言った。
「次に来たら、必ず返せ。触るな。数も動かすな」
その晩から、違和感が始まった。
バックヤードに置いたはずの針金細工が、翌朝には位置を変えている。向きが揃っていたり、床の端に寄っていたりする。誰も触っていないはずなのに、少しずつ様子が変わっていく。
誰かが数えようとすると、気分が悪くなり、途中でやめてしまう。見ること自体を避ける者も出てきた。
数日後、一つだけ、形が崩れた。
その夜、店の近くの交差点で事故があった。バイクとトラックの衝突で、同乗していた中学生が一人、即死だったという。
トラックの運転手は、こう言っていた。
「前に……誰か立ってた気がして……」
翌晩、おおいさんが来た。
レジ前に立ち、何かを手にしていたと、居合わせた者は言う。店長も、先輩も、その場で声が出なくなった。
先輩が震える手で監視カメラを確認した。
映像には、少年の身体だけが映っていた。首のないまま、レジ下を這い回り、何かを探すように動いている。
男の姿は、どこにもなかった。
それ以降、その店でおおいさんの話をする者はいなくなった。ただ、近隣の別の店舗で、深夜にあの声を聞いたという噂は、今も消えていない。
「こんにちはー。おおいさんです」
もし聞こえてしまったら、目を合わせるな。
理由を考えた瞬間から、もう、関わっているのだから。
[出典:530 本当にあった怖い名無し sage 2010/07/22(木) 01:22:38 ID:Py3Z2MhG0]