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短編 奇妙な話・不思議な話・怪異譚 n+2025

笑い声の向こう n+

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大学一年の春、ふとした瞬間に思い出す出来事がある。

あれを「錯覚だ」と片付けられれば、どれだけ気が楽だっただろう。

最近まで、二LDKの少し手狭なアパートで家族三人で暮らしていた。
私の部屋といっても、机とゲーム機でいっぱいで、寝るときは両親と川の字になって同じ部屋に布団を敷いていた。
キッチンを挟んで、片方がリビング、もう一方が寝室。間取りが単純だから、私が自室でゲームをしていても、リビングで話す両親の声は鮮明に届く。

その日常の中に、説明のつかない異物が混ざり込んでいる。
それは――両親が時折、不可解な言語で会話を始めることだ。

テレビの音は確かに日本語なのに、それよりも大きな二人の声だけが異様に聞こえてくる。
東北の訛りをさらにフランス語に寄せたような……いや、もっと湿っぽく、唇の動きがだらしなく崩れていく音。
耳を凝らしても、意味のある単語は一つも拾えない。
「ふにゃにゃ……むにゃふにゃ……」
「にゃむ……ふにゃ……ははは」
そんな調子で、低く楽しげに響く。

奇妙なのは、自分が同じ部屋にいる時にも、その言葉が始まることだ。
一つのこたつを囲み、私がゲームの画面に集中していると、不意に会話が始まる。
ハッとして二人を見ると、なぜかそこで会話は途切れ、代わりに普通の日本語で明日の予定やテレビの感想を口にする。
二人とも、焦っている様子など微塵もない。

条件はほぼ決まっている。
お笑い番組の盛り上がった瞬間、笑い声が部屋を満たす時。
普段は無口な母が、まるで別人のように饒舌になり、父の声には不自然な抑揚が混ざる。
そして、その調子でいつも同じような「何か」を話しているらしいが、内容は全く掴めない。

この現象が始まったのは、私が小学校低学年のころだ。
自分の部屋でゲームをしていると、突然リビングから呼ばれた。
いつもなら「風呂に入れ」か「ゲームは終わり」くらいしか言わないのに、その日は妙に優しい声で「リビングまで来い」と。

部屋に入ると、両親は顔を見合わせてニヤニヤ笑っていた。
笑顔の形は知っているはずなのに、その時のそれは、悪だくみを思いついた子供のようで、どこか薄気味悪かった。
テレビはやはりお笑い番組。けれど、室内には別の熱気があった。

父が紙と鉛筆を差し出し、「一番小さな電車を描いてごらん」と言った。
意味がわからない。
「は?何それ」
そう反発しても、「まあいいから描け、ほら早く」と促される。
母は相変わらず無言でニヤニヤとこちらを見つめ、視線は私の手元に固定されている。

居心地の悪さに耐えきれず、私は紙の中央に小さな点を一つ描いた。
「これが一番小さい電車だよ」
父はそれを見て、ますます笑みを深め「へぇ〜こう描くんだ」と言った。
私は苛立ち、意味を問いただしたが、「さあねぇ」とだけ返され、もう興味は紙にしかない様子だった。
母も最後まで何も言わず、ただその点を覗き込んでいた。

そこから先の記憶は曖昧だ。たぶん気分を害して、自室に戻ったのだろう。
ただ、その日を境に、あの奇妙な言語を耳にするようになったのは間違いない。

十年以上経った今でも、その日のことは鮮明に覚えている。
両親に尋ねても、「そんなことあったっけ?」と本気で首をかしげる。
むしろ「なんで一番小さい電車なんて描かせたんだ?」と逆に聞いてくる。
笑ってごまかすだけで、真剣に答えたことは一度もない。

最近になって思うのは、あの不可解な言語は、両親の意識の奥底から滲み出しているものではないか、ということだ。
笑い声に紛れるのは、もしかすると無意識の漏洩だからかもしれない。
そして――もしあの日、私が点ではなく別のものを描いていたら、何かが違っていたのかもしれない。

そんなことを考えていると、背筋が薄く冷えていく。
あの日以来、両親と同じ布団で眠るたびに、私は目を閉じたまま耳を澄ますようになった。
夜、暗闇の中で、低く湿った声がすぐ隣から聞こえてくる。
言葉の意味は、やはり一つも分からない。
ただ、時折、私の名前らしき響きが混じる気がする。

あれは錯覚なのか。
それとも、ずっと同じ家に暮らしてきたと思っていた二人は、すでに別の何かに取って代わられているのか。

そんな疑問を抱えたまま、今日もまた川の字で眠る夜を迎える。

[出典:778 :1/3:2006/03/10(金) 20:13:01 ID:+5GdGyIg0]

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