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勝手口の家 r+4,646

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三歳の頃の記憶が、私のいちばん古い記憶だ。

木枯らしの吹く夕暮れ、公園のブランコにひとり座っていた。
鉄の鎖が軋み、耳がちぎれそうに冷たい。手も足もかじかんで、呼吸すら痛かった。
それでも帰れなかった。
家に戻ったら、母に怒られるから。
夕飯前に汚れたら怒られる、勝手に帰ってきたら怒られる、寒いと泣いたら怒られる。
祖母が迎えに来てくれるはずだと信じていた。いつも来る公園だから、きっとすぐわかると。

風に揺られているのか、ブランコに揺られているのか。
どちらでもいい。身体の感覚がだんだん麻痺して、心だけが冷えていく。
このまま死んだら、叱られずに済むんじゃないか。そんな考えすら浮かんでいた。

母の顔を、私はよく覚えていない。
いつも怒っていたから、表情を見ないようにしていたのだと思う。
声を出して笑っただけで怒られる。飲み物をこぼせば手の甲を叩かれる。
気が済むまで殴られ、冬には裸で水をかぶせられた。
お尻に安全ピンを突き刺され、背中は灰皿にされた。

父はテレビを見ながら夕飯を食べていた。
母に蹴られた私が横で泣いていても、まるで音が聞こえていないかのように箸を動かす。
そして「お母さんの言うことをちゃんと聞きなさい」とだけ言う。

唯一、私を庇ってくれたのが祖母だった。
折檻のあとで薬を塗ってくれる。私を抱いて眠ってくれる。
母の代わりに殴られて、足を引きずっていた日もあった。
怖かった。自分のせいで祖母まで傷つくのが何よりも怖かった。
祖母を嫌いになられたくなかった。
だから祖母の足に湿布を貼りながら、私は必死に訴えた。「私が殴られるから、大丈夫だよ」と。

その夜も、祖母と布団を並べて寝ていた。五歳くらいの時だ。
ふと目を覚ますと、祖母がいない。トイレにでも行ったのだろうと思い目を閉じた。
でも、戻ってこない。
まさか、母に何かされたのでは……。
不安が膨らみ、布団を抜け出した。襖の外をじっと見て、物音を立てぬよう、足音を殺して歩いた。

台所にも、トイレにも、居間にも、祖母はいなかった。
玄関の靴を確かめに行こうとして、ふとカーテンの隙間に気づいた。
庭に誰か立っていた。
恐る恐る覗くと、そこに祖母がいた。無表情のまま、じっと私を見つめている。
ほっとした。置いていかれたのではなかった。
でも、何かが……おかしい。

すぐにわかった。
祖母の手に、犬の首がぶら下がっていた。
舌がたれた中型犬の首。地面には、ちぎれた胴体が転がっていた。
祖母の足元も、手も、赤く染まっている。
黙ったまま、祖母は首と胴を抱えてどこかへ行ってしまった。

布団に戻った私は、震えながら神様に祈った。
「祖母を、元に戻してください」
神様なんていないと知っていたけれど、それしかすがるものがなかった。

翌朝、目を開けると、祖母が隣で眠っていた。
しばらくじっと見つめていると、祖母はゆっくり目を開けて言った。
「おはよう、おなか空いたかい?」
私はこくりと頷いた。祖母の髪から、生臭い匂いがした。でも気にしないことにした。

それからだ。
家の中を、狐のような、犬のような、獣の影が歩くようになったのは。
母の背中、父の肩、居間の天井。どこにでもいた。
誰にも話さなかったが、ある日、祖母にだけ打ち明けた。

祖母は嬉しそうに目を細めて、「それは何をしてるんだい」と聞いた。
私は答えた。
「父と母にくっついていて、二人とも気分が悪そう。夜中に母が叫ぶことが増えた。父は独り言を言ってる」

祖母は満足そうだった。その頃から、祖母は私に言いつけるようになった。
「玄関から出入りしちゃいけないよ」
理由は聞かなかった。祖母の言うことなら、なんでも守る。

勝手口を使うようになってから、両親はさらに異様になった。
服が汚れ、爪の間に垢が詰まり、箸も使わなくなった。
母は包丁を振り回し、父は何か呟きながら部屋を這いまわる。

そういえば、もう何年も叩かれていなかった。
母の目には、私の姿が映っていないのだと思った。
父の視線も私を素通りしていた。

七歳の時、役所の人たちが来て、両親を連れて行った。
祖母は丁寧に頭を下げていたけど、みんなが帰ると私に微笑んだ。
私も微笑んだ。
これで本当に、祖母と二人だけになれた。

十三歳の時、祖母が脳梗塞で倒れた。
寝たきりになり、言葉も不自由になった。
家にいた獣たちは、みんな祖母の体にまとわりついていった。
そのことを告げると、祖母はかすかに笑って「きっと返ってきたんだねぇ」と呟いた。

十五歳の春、祖母は亡くなった。
全身に湿疹と蕁麻疹ができ、掻き毟りながら、うわごとのように私の名前を呼びながら。

医者は死因を「動物アレルギーによる蕁麻疹の悪化と窒息」と説明した。
「動物は飼っていなかったんですよね?」と聞かれて、私は「はい」とだけ答えた。

今も、私はあの家に住んでいる。
勝手口から出入りし、祖母の部屋に毎晩手を合わせている。

家の中には獣がいる。
以前より数が増えている気がする。
祖母の姿も見えるようになった。
這い回る祖母。毛皮のように黒ずんだ、四足の祖母。

それでも、怖くはない。
祖母は私のために、たくさんのことをしてくれた。
私のそばにいてくれる、それがどんな姿であっても。

私は嬉しい。
心から、嬉しいのだ。

……だから今日も、生臭い布団にくるまって、目を閉じる。

祖母の爪が、私の髪を優しく梳くのを感じながら。

(了)

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