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長編 r+ 洒落にならない怖い話 ヒトコワ・ほんとに怖いのは人間

明日、作るね rw+10,384-0707

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妹は、ハンバーグを作るのがうまかった。

特別な材料を使っていたわけではない。玉ねぎを細かく刻んで、合い挽き肉に混ぜて、手のひらで何度も空気を抜く。焼く前に真ん中を少しへこませる。そんな普通の作り方だった。

ただ、俺が部屋から出てこない日でも、妹は皿に二つ乗せて、ドアの前に置いてくれた。

「冷める前に食べなよ」

そう言って、足音だけを残して行く。

俺には、妹しかいなかった。

妹には彼氏がいた。弘道という、線の細い男だった。少し不安定なところはあったが、俺みたいな引きこもりにも普通に話しかけてくれた。車で外へ連れ出してくれたこともある。

だから、妹が泣きながら「捨てられた」と言ってきた時、俺は妹のためというより、自分のために腹を立てた。

弘道に電話をして、会う約束をした。

喫茶店に来た弘道は、別人みたいになっていた。顔に青あざがあり、首元には爪で引っかいたような跡が残っていた。右腕は吊られていて、彼は珈琲カップにも触ろうとしなかった。

「階段で転びました」

そう言ったが、目は合わなかった。

少し遅れて女が来た。

徳子と名乗った。きれいな女だった。白い服が似合う、雑誌から抜け出したような顔で、笑うと歯並びまで整っていた。

けれど、席に着いた瞬間、テーブルが細かく震えた。

最初は地震かと思った。

弘道の膝が震えていた。

徳子は俺の話をほとんど聞かなかった。弘道の代わりに答え、弘道の代わりに謝り、弘道が口を開こうとすると、笑ったまま彼の足を踏んだ。

帰り際、徳子は言った。

「もう連絡しないでくださいね」

言い方は丁寧だった。

その夜、妹に「もう関わるな」と伝えた。

妹はうなずいた。俺も、それで終わったと思った。

終わらなかった。

数日後、弘道から電話が来た。声が震えていて、泣いているのか笑っているのか分からなかった。

「少しだけでいいから、家に入れてください」

妹が毛布を持って外へ走った。

門のそばにいた弘道は、ほとんど裸だった。裸足で、背中に古い傷と新しい傷が重なっていた。首には、何かを強く巻かれていたような赤い跡があった。

弘道は玄関に入るなり、土下座した。

「すみませんでした。すみませんでした」

それしか言わなかった。

妹は弘道を抱きしめて、「あなたは悪くない」と繰り返した。

その日の夕飯に、妹はハンバーグを作った。

弘道は一口食べて、泣いた。妹も泣いた。俺はその光景を見ながら、久しぶりに家の中が人の家みたいだと思った。

それからしばらく、弘道はうちにいた。

両親は仕事で海外に出ていることが多く、家には俺と妹と弘道だけだった。妹は大学を休みがちになり、弘道は外へ出なくなった。俺は買い物も配達で済ませ、電話はなるべく取らないようにした。

徳子からは何度も電話が来た。

最初は泣いていた。

「弘道を返してください。お願いします」

次は笑っていた。

「そこにいますよね」

最後には、低い声で俺の名前を呼んだ。

俺は電話線を抜いた。

翌朝、犬小屋の前で妹が叫んだ。

うちの犬が死んでいた。

その時、俺は警察に電話しようとした。けれど妹が止めた。弘道が見つかったら、また連れて行かれる。徳子の父親は危ない人だと、弘道が言っていた。警察にも知られたくないことがあるのだと。

今なら分かる。

その場で通報するべきだった。

けれど、その時の俺は、証拠を残すことしか考えなかった。写真を撮り、血を洗い、壊れた犬小屋を業者に直させた。家の中にいる三人だけで、なかったことにしようとした。

なかったことにはならなかった。

夜、門のチャイムが鳴った。

モニターには、知らない男たちが三人映っていた。

「弘道君、いますよね」

俺がいないと答えると、男たちは門扉を揺すり始めた。

「監禁してるんじゃないんですか」

大声だった。近所に聞こえるように、わざと叫んでいた。

妹が警察を呼んだ。男たちはパトカーの音が近づくと逃げた。

警察は男たちを追わず、うちに来た。

俺は玄関先で適当な説明をした。弘道のことは話さなかった。妹が後ろで首を振っていたからだ。

警察が帰ったあと、弘道は廊下に座り込んで、何度も頭を壁にぶつけた。

妹はそれを抱き止めた。

俺は見ているだけだった。

二週間ほどして、少しだけ落ち着いた。

電話は止まり、門の前にも誰も来なくなった。妹は弘道と近所まで出かけるようになった。俺は反対したが、妹は「このまま家の中にいたら、弘道が壊れる」と言った。

その日、妹は俺のために弁当を作ってくれた。

ハンバーグが二つ入っていた。

「帰ったらまた作るから」

妹はそう言って出て行った。

夜八時過ぎ、妹からメールが来た。

弘道がいない。

それだけだった。

電話をかけると、妹は泣きながら「あの女だ」と言った。俺はタクシーで向かった。駅前のロータリーで妹を見つけた時、妹は自分の腕を抱えて震えていた。

弘道は、その日から消えた。

警察は事件として扱わなかった。成人男性が自分の意思で出て行った可能性がある。そう言われた。

弘道の母親にも連絡がつかなかった。大学では、しばらくして自主退学の手続きが出ていた。アパートの大家は、きれいな女が来て、部屋の片付けも修繕費も全部払っていったと言った。

名前は覚えていないらしい。

「感じのいい人だったよ」

大家はそう言った。

その日から、妹は少しずつ壊れていった。

電話が鳴ると飛び起きる。男の声がすると吐く。俺が弘道の名前を出すと泣く。けれど、ハンバーグを作る日は少しだけ普通に戻った。

ある夕方、買い物中の俺に妹から電話が来た。

声が明るかった。

「明日、ハンバーグ作るね」

俺は嫌な感じがした。

「どこにいる」

「びっくりさせてあげる」

電話はそこで切れた。

妹はその夜、見つかった。

詳しいことは書かない。

見つかった時、妹は声をなくしていた。病院で医者にいろいろ聞かれたが、妹は何も答えなかった。子供のように毛布を握って、俺を見るたびに首を横に振った。

両親は帰国した。

父は俺を殴った。母は泣いた。二人とも、数日後にはまた仕事へ戻った。

妹は別の病院に移った。

今の妹は、時々笑う。こちらの言葉にうなずくこともある。友達とは少し話すらしいが、俺の前ではほとんど声を出さない。

ただ、病院の食事にハンバーグが出ると泣く。

カレーでも泣く。

から揚げでも泣く。

妹の友達は、そんな時、弘道の写真を見せる。妹はそれを見ると泣き止む。写真の弘道は、まだ傷のない顔で笑っている。

あれから何年か経った。

ある日、妹の友達たちと一緒に、妹を遊園地へ連れて行った。車椅子を押して、園内をゆっくり回った。妹は観覧車を見上げて、子供みたいに手を叩いた。

その帰りだった。

売店の前で、徳子を見た。

白い服を着ていた。

昔と同じように、きれいだった。

徳子は小さな男の子の手を引いていた。三歳くらいだろうか。男の子はチョコのついた口で笑い、徳子のスカートを握っていた。

俺は固まった。

妹の友達が俺の視線に気づき、すぐに妹の車椅子を反対へ向けようとした。

けれど、妹はもう見ていた。

妹は徳子ではなく、男の子を見ていた。

男の子がこちらを向いた。

俺は息が止まった。

笑い方が、弘道に似ていた。

妹はゆっくり手を伸ばした。声にならない声を出した。徳子はそれに気づき、俺たちのほうを見た。

一瞬だけ、徳子が笑った。

それから男の子の手を引いて、人混みの中へ消えた。

妹はその日から、またハンバーグで泣かなくなった。

病院に戻ってから、妹は久しぶりに俺の前で口を開いた。

小さな声だった。

「明日、作るね」

妹はもう料理なんてできない。

それなのに、次の日の朝、病室の枕元に、小さな紙包みが置かれていた。

中には、冷えたハンバーグが二つ入っていた。

看護師に聞いても、誰が持ってきたのか分からなかった。

妹はそれを見て、うれしそうに笑っていた。

俺は今でも、あの男の子の顔を思い出す。

弘道に似ていた。

でも、笑った時の目だけは、徳子にそっくりだった。

[出典:27:2008/03/17(月) 03:08:29.19ID:wHS5Cfto0]

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