この話をすると、たいてい相手は黙る。
途中で視線を逸らし、空気を確かめるように息を止める。語られている内容より、語っているこちらの輪郭が、少しずつ削れていくのがわかるからだと思う。
今でも、あの夜の匂いを思い出すと胸がざわつく。石炭の煤を含んだ金属的な冷たさと、焦げた小麦粉の匂い。あれは記憶ではなく、体に染みついた反応だ。
大叔父は、終戦から数年後に帰国した。玄関の引き戸が開いた瞬間、家の匂いが変わった。醤油や味噌の匂いが押し流され、代わりに凍りついた空気が流れ込んだ。家は変わっていないのに、内部だけが別の場所と繋がったようだった。
二階の奥が大叔父の部屋だった。暖房は使わず、毛布を重ねて眠る。寝息は浅く、時折、唸り声のような呼吸が天井越しに漏れてきた。夜の物音はすべて遮断され、そこだけが異様に張り詰めていた。
食事の時間が苦痛だった。大叔父は俯き、飯を団子のように丸め、少しも残さず噛む。その音が硬い。石を砕くような咀嚼音を聞くたび、自分の茶碗の中身が急に汚らしく思えた。
朝方だけが例外だった。薄い灰色の光の中、仏壇の前で、聞いたことのない音の連なりを低く唱える。その時だけ、人の形をしていた。
冬に入ってから、奇妙なことが始まった。大叔父が、裏庭の古井戸のそばで何かを食べるようになった。小さな塊を口に運び、黙々と噛む。祖母が止めても聞かなかった。
やがて、小麦粉が少しずつ減っていることに気づいた。鍵をかけても変わらない。夜中、納戸に鈴を仕掛けても鳴らない。それでも減る。
その頃から、深夜に音を聞くようになった。「コリッ」「コリコリ」という、小さく硬いものが砕ける音。二階の奥から、一定のリズムで続く。
ある夜、私は階段を上り、大叔父の部屋の戸に耳を当てた。音と一緒に、匂いがした。焦げた粉と金属の冷たさ、そして土の匂い。乾いた、凍った土の匂いだった。
戸に手をかけた瞬間、空気が縮んだ。見られている感覚が、皮膚を刺した。私は何も見ないまま逃げ戻った。
翌朝、部屋の隅の畳の上に、白い粉の塊が残っていた。小麦粉ではない。骨を砕いたような硬さだった。
その夜から、音は近づいた。壁の内側、床下から、私の呼吸に合わせて聞こえる。眠れず、食べられず、家の中に居場所がなくなった。
耐えきれず、裏庭へ出た夜がある。月のない夜だった。古井戸のそばに、大叔父の影がしゃがみ込んでいた。
呼びかけると、影が振り向いた。顔は見えないが、目だけが鈍く光っていた。口元で、「コリッ」という音がした。
白い塊が見えた。土色で、砕けると細かな破片が光った。それが何か、考える前に理解してしまった。
大叔父は立ち上がり、近づいてきた。耳元で、初めてはっきりした言葉を言った。
「お前も、いずれ、わかる」
吐息に、あの匂いが混じっていた。そこで意識が途切れた。
目覚めた朝、すべては元通りだった。音も匂いも消え、大叔父は静かに部屋にいた。
数年後、彼は亡くなった。部屋を片付けた時、畳の下から小さな麻袋が出てきた。中には、土と白い粉が混ざった硬い塊が残っていた。
捨てられず、机の引き出しにしまった。
さらに年月が経ったある夜、理由のない空腹に襲われた。引き出しを開け、袋に手を伸ばす。
口に入れたかどうかは、はっきり覚えていない。
ただ、「コリッ」という音と、金属的な冷たさと、焦げた粉の匂いが、確かに口の中に広がった。
それ以来、夜になると、土の匂いが恋しくなる。
[出典:844 :あなたのうしろに名無しさんが・・・ :03/08/22 14:18]