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【語り継がれる怖い話】カン、カン……【前編・後編】#6,842-0525

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私は、あの音を聞いた家には長くいない方がいいと思っている。

そう言うと、たいていの人は笑う。金属が鳴っただけで大げさだと。でも、私には分かる。あれは音そのものが怖いのではない。音が鳴ったあと、家の中の誰がそれを聞いたことにされるのか。それが怖いのだ。

小学生の頃、私は母と姉と妹と一緒に、小さなアパートに住んでいた。古い二階建ての建物で、玄関を入ると短い廊下があり、右手に台所、奥に居間、その隣が寝室だった。夜は家族四人で畳の部屋に布団を並べて寝ていた。

その晩、母は熱を出して早めに横になった。姉が「電気、消してきな」と言い、私は少し得意になって家中の明かりを消して回った。台所、風呂場、廊下、最後に居間。真っ暗になった部屋を背にして寝室に戻った時、自分が大人の代わりをしたような気分になっていた。

だから、なかなか眠れなかった。

隣の布団では姉がこちらに背を向け、妹は母のそばで寝息を立てていた。私は天井の木目を見ていた。目が闇に慣れてくると、木目が少しずつ別のものに見えてくる。そのうち、遠くで小さく音がした。

カン、カン。

最初は、外の階段を誰かが上がっているのだと思った。うちのアパートの階段は鉄でできていて、夜に人が歩くとよく響いた。けれど、続きがなかった。足音なら、何段も鳴るはずだった。

また、鳴った。

カン、カン。

今度は居間の方から聞こえた。私は布団の中で固まった。気のせいにしようとしたが、隣の姉が低い声で言った。

「聞こえた?」

それで、気のせいではなくなった。

姉はゆっくり起き上がり、私にも来いというように顎を動かした。私は首を振ったが、姉はもう寝室のふすまを開けていた。廊下は真っ暗で、台所の窓から外の街灯が少しだけ入っていた。姉の背中について居間の手前まで行くと、また音がした。

カン、カン。

居間の中からだった。

姉が台所の壁に手をつき、少しだけ顔を出した。私は姉の肩越しに中を覗いた。

テーブルの上に、人が座っていた。

白い着物のようなものを着た女だった。こちらに背中を向けて、正座していた。長い髪が腰のあたりまで垂れている。背筋がまっすぐで、動かない。テーブルの上に人が正座しているというだけでおかしいのに、その姿は妙にきちんとしていた。

私はそこで叫んだ。

自分でも、なぜ声が出たのか分からない。ただ、叫んで、姉を押しのけるように寝室へ逃げた。母を叩き起こし、「居間に人がいる」と泣いた。母は熱でぼんやりしながらも起き上がり、姉を連れて居間に向かった。

女はいなかった。

テーブルの上にも床にも、何もなかった。窓も鍵がかかっていた。母は怒るより先に疲れた顔をして、「夢でも見たんでしょ」と言った。私は姉に助けを求めた。姉も見たはずだった。

姉はテーブルを見たまま、小さく言った。

「女の人がいた」

母の顔色が変わった。けれど姉は、それ以上何も言わず寝室に戻った。

翌朝、私は姉に昨日のことを聞いた。姉は朝食の箸を置き、私を見ないまま言った。

「あんたが大きな声を出したから」

それだけだった。

その日から、姉は私とあまり話さなくなった。喧嘩をしたわけではない。無視というほど分かりやすくもない。ただ、私が何かを聞くと返事が一拍遅れた。二人で留守番をしていても、姉は必ず居間の明かりをつけたままにした。テーブルには物を置かなくなった。食事の時だけ使い、食べ終わるとすぐに拭いた。

私はあの夜のことを、少しずつ忘れたふりをした。

中学生になった頃、姉は県外の高校へ進学して家を出た。家の中は静かになった。母は仕事で忙しく、妹はまだ幼く、私は受験勉強を理由に自分の部屋にこもることが増えた。

ある夜、机に向かっていると、また音がした。

カン、カン。

鉛筆の先が止まった。

八年も経っていなかった。たった数年だった。それなのに、私はその音を忘れていたことにしていた。音は居間の方から聞こえた。寝室では母と妹が寝ている。起こしに行こうとしたが、足が動かなかった。

また鳴った。

カン、カン。

私は廊下に出た。居間のふすまは閉まっていた。指をかけると、ふすまの向こうで、何かが待っている気配がした。私は少しだけ開けた。

テーブルの上に、あの背中があった。

白い着物。長い髪。正座したままの、まっすぐな背中。昔と違ったのは、その女の肩がほんのわずかに上下していたことだった。笑っているのか、息をしているのか、分からなかった。

私が声を出す前に、女が言った。

「まだ四人なのね」

それは、脅すような声ではなかった。母が人数を数える時のような、何でもない声だった。

次に気づいた時、私は自分の布団にいた。朝だった。母に聞いても、妹に聞いても、何も知らないと言われた。寝ぼけたんだろう、と妹は笑った。私はそれ以上言えなかった。

それから家を出るまで、私はなるべく居間に一人でいないようにした。進学を機に一人暮らしを始めた時、心底ほっとした。実家から離れれば、あの音も、あの背中も、置いていけると思った。

けれど、離れたのは私だけだった。

大学に入ってしばらく経った年の盆に、母から帰ってこいと連絡があった。姉も戻るという。私は断るつもりだったが、電話の向こうで妹が「一回くらい顔見せなよ」と言った。その声が妙に疲れていて、結局帰ることにした。

実家は変わっていなかった。母は思ったより元気そうで、妹も普通に見えた。姉は少し痩せていたが、久しぶりに会うとすぐに私の方へ来て言った。

「あの時、無視しててごめん」

私は何のことか一瞬分からなかった。姉は居間のテーブルを見ていた。昔と同じ位置に置かれていたが、上には何も載っていなかった。

「あの音、うちでも鳴った」

姉の家では、仕事から帰った夜に風呂場の方から聞こえたらしい。カン、カン、と二回。あの時と同じ音だった。姉は靴も履き替えずに部屋を飛び出し、同僚の家に逃げた。すると、同僚の家の風呂場からも鳴ったという。

「見たの?」

私が聞くと、姉は首を振った。

「見てない。見ちゃいけないと思ったから」

その言い方で、私は昔の言葉を思い出した。

あんたが大きな声を出したから。

姉は続けた。

「お母さんのこと、美香から聞いてないの?」

妹に聞くと、妹はあっさりうなずいた。

「夜中に出ていくんだよ。たまにね」

「どこへ?」

「そこ」

妹は窓の外を指した。アパート前の道を少し行ったところに、古い電柱が一本立っていた。昼間は何の変哲もない電柱だった。貼り紙の跡があり、根元に雑草が生えていた。

「見たいなら、今夜起きてなよ」

その言い方が嫌だった。怖がらせようとしているのではない。妹は、当たり前の予定を伝えているだけだった。

夜中の一時過ぎ、玄関の方で小さく音がした。私は妹に肩を叩かれて目を覚ました。母が玄関に立っていた。寝間着の上に古いカーディガンを羽織り、なぜかブーツを履いていた。鍵は持っていなかった。母は一度もこちらを見ず、ゆっくり外へ出ていった。

私と妹は後を追った。

母は電柱の下で立ち止まり、そこを中心に回り始めた。最初はゆっくりだった。やがて歩幅が一定になり、だんだん速くなった。顔は見えたり見えなかったりした。街灯の下を通る一瞬だけ、母の表情が浮かぶ。昼間の母ではなかった。怒っているようでも、苦しんでいるようでもなかった。ただ、何かをこぼさないよう必死に保っている顔だった。

私は声をかけようとした。妹が私の腕を掴んだ。

「だめ。途中で止めたら長くなる」

「長くなるって、何が」

妹は答えなかった。母は同じ速さで回り続けていた。

「あと十分くらいで終わるから、戻ろう」

私は妹を見た。

「なんで分かるの」

妹は困ったように笑った。

「いつもそうだから」

その時、電柱の根元で音がした。

カン、カン。

母は止まらなかった。妹も驚かなかった。私だけが息を飲んだ。

家に戻ると、居間は真っ暗だった。私は反射的に明かりをつけようとした。壁のスイッチに指が触れた瞬間、耳元で音が鳴った。

カン、カン。

居間のテーブルの上に、女がいた。

背中を向けて、正座していた。昔と同じだった。ただ、今は分かった。女は私たちの家に現れたのではない。最初からそこに座っていて、私たちがその周りで暮らしていただけなのだ。

私はスイッチを押した。明かりがついた。

テーブルの上には何もいなかった。

だが、テーブルの表面に、丸く濡れた跡があった。人が正座していた場所だけ、薄く水を含んだように暗くなっていた。

玄関が開く音がした。母が戻ったのだと思った。けれど足音は一人分ではなかった。廊下の向こうから、母の足音と、その少し後ろをついてくる軽い足音が聞こえた。

私は振り向けなかった。

背後で妹が言った。

「お姉ちゃん、なんで明かりつけたの」

その声は、私のすぐ後ろではなかった。居間の中、テーブルの方から聞こえた。

次に目を覚ますと、私は姉の部屋に寝かされていた。朝だった。母は台所で味噌汁を作っていた。妹はテレビを見ていた。姉だけが、私の枕元に座っていた。

「見た?」

私は答えられなかった。

姉は膝の上で両手を握っていた。

「あの時、あんたが叫んだから、私が見ないで済んだんだと思ってた」

私は姉を見た。

「でも違った。あれ、見た人じゃないんだよ。声を出した人でもない」

姉はそこまで言って、黙った。

その日の夕方、家族でこのアパートを引き払う話をした。母はぼんやり聞いていた。妹は反対しなかった。ただ、引っ越し先の候補を見ながら、ぽつりと言った。

「でも、お母さんはここじゃないと回れないよ」

誰も返事をしなかった。

それから一週間後、私は不動産屋に同行して、母と妹の新しい部屋を見に行った。築年数は古かったが、日当たりはよく、駅にも近かった。居間は六畳で、まだ何も置かれていなかった。白い壁と、空の床だけがあった。

担当者が窓を開け、明るいですね、と言った。

その時、部屋の真ん中で音がした。

カン、カン。

担当者は気づかなかった。母は窓の外を見ていた。妹は、何もない床の中央をじっと見ていた。

私は聞かなかったことにした。

その日の夜、姉から短いメッセージが届いた。

「今、うちの風呂場で鳴った。見てない」

続けて、もう一通来た。

「あんたは、今どこにいる?」

私は返事を打とうとして、手を止めた。

自分の部屋は静かだった。窓も閉まっていた。机の上には何もない。けれど、画面を見ている私のすぐ後ろで、誰かが正座しているような気配だけがあった。

それ以来、私は夜に金属音を聞いた時、振り向かないようにしている。

一度だけなら、気のせいにできる。

二度鳴ったら、誰が聞いたことにされるのか、もう分からない。

(了)

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