化学を研究している理系の自分だが、昔から占いやオカルトといったものには不思議と興味があった。
ただし、霊感はないと思っていたし、今年の夏休みまではその手の体験とも無縁だった。
振り返ると、それが幸せだったのかもしれない。
大学のゼミには菊地という同級生がいた。
東北出身で、物静かで上品な雰囲気の人だ。
自然と親しくなり、彼女の人となりを知るにつれて、菊地が霊感の強い人間だということも分かってきた。
遊びに行ったアパートの部屋には、整然としたモノトーンのインテリアの中で異様な存在感を放つ大きなお札が飾られていた。
さらに、よく当たる謎の占いをしたり、何かを見た話をよく聞かせてくれたりもした。
ただ、奇妙な行動を取ることもあった。
例えば、誰もいないと思ったら木に抱きついていたり、蜘蛛に話しかけたりすることも。
しかし、理系の学科にはオタク系や個性的な人間が多かったし、菊地は学業成績も優秀だったため、みんな「ちょっと変わっている」と思う程度で普通に付き合っていた。
そんな菊地に誘われ、去年の夏休み、ゼミの仲間4人で彼女の母方の実家に遊びに行くことになった。
山奥の村で、最寄り駅から車で30分以上山道を進むような場所だ。
庭先に熊が出ることもあるという。
今は祖父母が二人で暮らしている家だが、近くに湯治場もあるし、菊地が「おいで」と誘ってくれたので、田中、佐藤、そして自分の4人で出かけた。
家の裏には低い山がそびえ、その中腹には菊地が「山を守ってくれている」と話す祠や御神木があった。
夏だというのに山を登る途中、空気が冷たく感じられたのを覚えている。
祠や木を見て「ひぐらしの世界みたいだな」と田中と佐藤がはしゃいでいたのが印象的だった。
山を下る際、細いわき道を見つけた。
「あの先は行ったことがないし、絶対に行ってはいけないと言われている」と菊地は言った。
それを聞いた田中と佐藤は興味津々で、「肝試しに行こう!」と盛り上がったが、菊地が珍しく強い口調で止めたので、その場では諦めて帰った。
しかし、翌日、事件は起こった。
菊地と自分が下の村に買い出しに行っている間に、田中と佐藤が例のわき道の先に行ってしまったのだ。
戻った時、二人は「別に面白くもなんともなかった」と話していた。
問い詰めると、道の先には大きな廃屋が一軒あっただけだという。
その話を聞いた菊地の顔色が変わり、突然田中と佐藤を殴りつけた。
「何てことをしたんだ!」と怒鳴る菊地を見て、普段温厚な彼女しか知らない自分たちは呆然とするしかなかった。
その後、菊地は祖父母に報告し、聞いた祖父は「かみ屋敷に行ったのか?」と青ざめた。
「かみ屋敷」とは、その廃屋の呼び名らしい。
祖父は菊地に「お前が何とかしてみろ」と言い、菊地の家に伝わる儀式が始まった。
廃屋に立ち入った田中と佐藤は奥の座敷に通され、神棚のようなものが祀られた場所に座らされた。
その神棚は普通のものとは異なり、榊の枝に囲まれた小さな稲荷像が収められていた。
菊地は白い着物を羽織り、脇差を手にして現れると、何やら不思議な祈祷を始めた。
菊地の祈りの声が次第に大きくなり、最後には奇声を上げて脇差を畳に突き立てた。
その場はそれで終わったが、空気はどこか不穏だった。
翌日、祖父母に礼を言って東京に戻ると、そこから不可解な出来事が続いた。
東京に戻った後、自分に異変が起きた。
それまで霊感ゼロだったはずの自分が、頻繁に金縛りにあうようになったのだ。
それもただの金縛りではない。
身体の上に四足の犬のようなものが乗っている感覚があり、酷い獣臭が漂っていた。人間の幽霊とは違う気配を感じた。
菊地に相談すると、彼女はどこかからお札を持ってきた。
それは彼女のアパートに飾られているものと似た、独特な雰囲気を持つものだった。
菊地は「これを鬼門に置いておけ。決着がつくまで粗末にしてはいけない」と厳しい口調で言った。
その通りにすると、不思議と金縛りも獣も現れなくなった。
菊地は田中と佐藤にも同じお札を渡そうとしたが、二人は夏の一件以来、菊地を避けるようになっていた。
「あの人は怖すぎる」と言い、耳を貸そうとしなかった。
最終的に二人にはお札を渡すことができず、菊地に伝えると彼女は「そう」と短く返すだけだった。
それ以降、何も言わなくなった。
その後、田中と佐藤の周囲で次々と不幸が訪れた。
田中は両親が事故死し、妹が謎の中毒死。
佐藤も入院中の母親が急死し、父親が投身自殺。
兄が水死するという不幸に見舞われた。
さらに二人の親戚たちも次々と亡くなり、短期間で家族や親族が立て続けに命を落としたのだ。
田中は精神的に追い詰められ、大学を中退。
佐藤に至っては、ある日突然アパートから姿を消した。
佐藤のバイト先の同僚によると、「シフトの日に無断欠勤して、翌日にはアパートからも消えていた」とのことだった。
ご両親も探していたらしいが、実家にも帰っておらず、佐藤の行方は今も分からないままだ。
一方、菊地はその件についてほとんど触れず、普段通りに過ごしていた。
しかし冬休みのある日、彼女から「もう一度村に来てほしい」と頼まれた。
正直、あの体験を思い出すと気が進まなかったが、田中と佐藤のこともあり、彼女と共に村に向かった。
冬の山村は雪に覆われ、美しい景色が広がっていた。
菊地の祖父母も以前と同じく温かなもてなしをしてくれた。
しかし、自分が持参したお札を見た途端、祖父は悲しそうな顔で「駄目だったか」と呟いた。
そして、菊地の家に伝わる村の言い伝えを語り始めた。
菊地の母方の家は、村で山の神を奉る役割を担っていた。
ただし、その役目は元々別の家に属していたという。
その家族は山頂近くの廃屋、つまり「かみ屋敷」と呼ばれる場所で暮らしていた。
だが、数代前に「獣憑き」と呼ばれる怪異がその家で起こり、家族の中で次々と死者が出た。
山の崖から転落死した者、淵に身を投げた者、毒に侵された者――たった二年で一家は途絶えたという。
その後、菊地の家が役目を引き継ぐことになった。
役目を担うにあたり、菊地の先祖の夢枕に白い獣が現れ、ご神体が埋まっている場所を告げた。
言われた通り掘り出したものが、今も菊地の家の神棚に祀られている「小さなお稲荷さん」のような物だという。
そして、夢枕の白い獣は「かみ屋敷に立ち入ってはならない」とも警告した。
それ以降、かみ屋敷は村人たちにとって禁忌の地となったが、それでも時折、生活に困窮した者が立ち入って物を漁ろうとした。
その度に、その家から死人が出て、最終的に家系が途絶えるという悲劇が繰り返されたという。
祖父の話を聞きながら、自分は田中と佐藤がたどった運命を思い出していた。
菊地が「転落、水、毒が出た」と言うと、祖父は重い表情で「そうか」と呟き、祖母は深いため息をついていた。
かみ屋敷に足を踏み入れた者の家系は、三人が最初の獣憑きと同じ死に方をすると断絶する――それが村に伝わる恐ろしい因果だった。
ただ、家族に外から来た者がいればその人だけは助かる可能性があるとも言われていた。
佐藤は失踪したままで、田中も音信不通。
自分は菊地との付き合いを続けているが、あの出来事は今も心に影を落としている。
(了)