小学5年生の頃、アメリカでワールドカップが開催された。
その影響もあったのか、幼馴染の康雄とよく近所の公園でサッカーをしていた。ある日、「たまには別の公園でやろう」という話になり、自分たちの行動範囲外にある、行ったことはないが存在だけは知っている公園に行くことになった。
その公園は昼間でも薄暗く、じめじめしていて、どことなく神社の敷地を思わせる雰囲気だった。俺も康雄も、その薄気味悪い雰囲気を気に入り、かなり遠いにもかかわらず自転車でたびたび遊びに行くようになった。
数回目の訪問の日、康雄とその2歳下の弟、孝俊と一緒に遊んでいると、50歳くらいのおっさんが近寄ってきた。髪は長く黒々としていたが、深いシワにボロボロの歯、涎のような臭いがしていたのを覚えている。そのおっさんと何を話したかは覚えていないが、その日、三人でおっさんの家に行くことになった。
おっさんの家は公園のすぐそばで、通された部屋の窓からは、さっきまで遊んでいた公園が見えた。部屋にはテレビがあり、康雄が勝手にスイッチを入れ、チャンネルを変えていた。俺はそのおっさんの様子から、知的障害者だと思っていた。康雄も同じで、後日「あのおっさんは知的障害者だよな」と言っていた。
そのおっさんは「ビデオがあるから見よう」と言い出し、康雄からリモコンを受け取って画面を切り替えた。テープはすでにセットされていて、すぐに再生が始まった。それはかなり古いビデオで、東京オリンピックにまつわるドキュメンタリーだった。競技や結果も含まれていたため、オリンピック終了後数年してから当時を振り返る形式のものだったのだろう。
ナレーションは最初、普通の男性の声だったが、20分ほど経つと音が飛び、画面が暗転した。しばらくして画面が戻ると、ナレーションが子供の声に変わっていた。それは素人臭く、後から加工されたことが明らかだった。「これ、おっちゃんの子の声」とおっさんが嬉しそうに言う。俺たちは当たり障りのない返事をしたが、この古いドキュメンタリーを編集して自分の子供の声を入れる意味不明さと気味の悪さに、鳥肌が立った。
康雄も孝俊も、同じようにおっさんに対して警戒している様子で、顔が引きつっていた。それでもビデオは延々と続き、結局1時間半くらい見せられていたと思う。その間、おっさんはビデオを熱心に見るふりをしながら、俺たちの顔を満足そうに眺めていた。
日も暮れ、「親が心配している」と言い訳をして、俺たちは半ば逃げるようにその家を出た。帰り道で「もうあの公園には行けないかもしれないな」と話した。その後、あのおっさんのことが頭から離れなかったが、実際に公園へは近づかなくなった。
数日後、事件が起きた。康雄が夜8時を過ぎても帰宅せず、康雄の母親が俺に心当たりを尋ねてきた。真っ先に浮かんだのはあの公園とおっさんだったが、あれ以来俺も康雄も近づいていないし、失踪当日も康雄は弟の孝俊と近くの池でザリガニ釣りをしていたという。康雄は孝俊に先に帰るように言い、その後行方不明になったらしい。
池は天気次第ですぐに干上がるような浅いもので、当日も膝下程度の水位だったため、水難事故とは考えにくかった。警察が即日池さらいを行ったが、何も見つからなかった。俺はあのおっさんが関係していると思ったが、大人たちには言い出せなかった。おっさんが知的障害者である以上、関係がなかった場合には差別問題に発展する可能性を恐れたからだ。
翌日、意を決しておっさんの家を訪ねた。緊張しすぎてどういう経緯で家に上がり込んだのかよく覚えていないが、結果として家に入ることに成功した。おっさんは満面の笑みで「ビデオを見よう」と言い、リモコンを操作して画面を切り替えた。
そこで俺は、さりげなく「康雄は来てない?」と聞いてみた。「前に一緒に来てたやつなんだけど」と補足すると、おっさんは「知らない、来てない」と心底無関心そうに答えた。しかし画面が切り替わると、再び嬉しそうな顔になり、「お待ちかねのモノが始まったぞ」とばかりに画面を指差した。
再生が始まったのは、前回と同じ薄気味悪い東京オリンピックのドキュメンタリーだった。例の子供の声のナレーションをまた聞くのかと思うと憂鬱だった。そして前回と同じ場面で、音が飛び、画面が暗転した。ナレーションが切り替わる瞬間だと身構えていたものの、その直後、心臓が飛び出るほど驚いた。
画面から聞こえたのは、康雄の声だった。前回の子供のナレーションが、明らかに康雄の声に置き換わっていた。パニックに陥った俺は、意味がわからず混乱した。康雄の声は少し震えていたのを今でも覚えている。腰が震え、立ち上がるのもやっとの状態で逃げ出そうとした俺に、おっさんは満面の笑みを浮かべて、「これ、おっちゃんの子」と言った。
その言葉を聞いた瞬間、恐怖が限界を超えた。小便を漏らしながら玄関へ向かって走り、自転車に飛び乗ってその場を逃げ出した。最短距離で家に帰らず、大きく迂回して向かったのは、あのおっさんに自分の家を知られるのを本能的に恐れたからだ。家に着くと、即座に母親に一部始終を話した。しかし母は半信半疑の様子だった。
母に促され、康雄の家に電話をすると、康雄の母親がすぐに家に駆けつけてきた。公園でおっさんに話しかけられたこと、家に行きビデオを見せられたこと、ナレーションがおっさんの子供の声だと言われたこと、さらに今回のビデオではそのナレーションが康雄の声に置き換えられていたことを涙ながらに説明した。
康雄の母親は興奮状態で泣きながら聞いてくれた。そして「警察に電話して!」と叫び、母から子機を奪い、110番通報をした。通報の際に混乱して康雄の家の住所を伝えてしまったため、三人で急いで康雄の家へ向かうことになった。途中、康雄の母親が「刑事さんにも電話しなきゃ」とつぶやき、舌打ちするのが聞こえた。
康雄の家に着くと、間もなくパトカーが到着した。パトカーの中で警官に事情を説明したが、詳しい話は警察署で改めて聞かれることになり、俺と康雄の母親、遅れて来た母の三人で警察署に行った。警察署では同じ話を何度も繰り返し説明した。
その日の夜遅く、ようやく家に帰り、父に事情を話した。すると父は「あそこは部落だ」と言い出した。ほかの部落とは少し異なり、保守的で独自の互助会のような組合を作り、古くから近隣の集落と揉め事を起こしていたという。また、あのおっさんの名前が大城で、うちの家系と同じくらい古くからその地に住んでいる一族だと教えてくれた。
その時、電話が鳴り、康雄の母親からの連絡で、康雄が池の近くで警察に保護されたという知らせを受けた。時間が遅かったため、俺は家に残され、両親だけが康雄の家に向かった。次の日、両親から聞いた話では、康雄は非常に疲れた様子だったという。その後康雄は一か月間学校を休んだ。その間、俺は康雄と会わせてもらえなかった。
警察署にも何度か呼ばれたが、新たな情報は何も得られなかった。母が聞き出した話によると、警察が大城の家を捜索したものの、康雄が滞在した痕跡も、あのビデオテープも見つからなかったという。
一か月後、学校に復帰した康雄は外見上特に変わった様子はなかった。ただ、保健の授業中に突然号泣し教室を飛び出したことがあったと聞いた。その事件以降、クラスメートの間で心ない噂や中傷が広まり、康雄は六年生に上がる前に転校していった。
登校再開後すぐ、俺は康雄に直接「あのおっさんは本当に無関係なのか」と聞いた。しかし康雄は激怒し、聞き取れないほどの罵声を浴びせてきた。それ以来、康雄との距離を置くようになった。ほどなくして康雄の母親が離婚し、康雄と孝俊を連れてこの地区を離れた。それが康雄との最後の関わりとなった。
大学生になった俺は、ずっと引っかかっていた康雄の失踪事件について改めて調べることにした。特に、あの部落と大城という男について知りたかった。部落の組合に電話をかけ、「郷土史の中の部落差別を研究しているので、話を聞かせてほしい」と頼むと、意外にも快く承諾してくれた。
指定された住所を訪れると、初老の男性が対応してくれた。その人物は非常に親切で、話しやすい雰囲気だったが、俺は単刀直入に質問を投げかけた。「康雄の失踪と大城という男は無関係なのか? そもそも大城とは何者で、今どこにいるのか?」
初老の男性は困惑した様子だったが、以下のような話をしてくれた。
・康雄の失踪と大城の関係はない。警察の家宅捜索や大城の転居が同時期だったのは偶然である。
・大城は高齢の知的障害者で、行政保護を受けられなかったため、組合が生活を支援していた。
・大城の転居先は遠方の施設だが、場所を教えることはできない。
・現在、大城はすでに亡くなっている。
俺は期待していた情報が何も得られなかったことに失望し、話を終えた後、無礼を詫びて帰ろうとした。その時、初老の男性が何気なく話してくれたことがあった。それは「5年ほど前、康雄の母親が組合事務所に怒鳴り込んできて、宥めるのが大変だった」というエピソードだった。
その話を聞いて、俺の中で康雄の失踪と大城の関係が完全に消えることはなかった。今でも、康雄の失踪に大城が関わっていたのではないかという疑念が拭えない。そして、康雄がどこで何をしているのかもわからない。だが最近、あの東京五輪のドキュメンタリービデオのナレーションとして、康雄がいまだに「捕らわれたまま」なのではないかと考えてしまう。
(了)
[出典:123: 本当にあった怖い名無し 2009/07/05(日) 05:12:08 ID:xeP25AoL0]