これは、ある匿名掲示板の書き込みをもとにした、実話とも噂ともつかない「近道法」にまつわる話だ。
とある地方の町。そこには子どもたちの間で「近道法」と呼ばれる奇妙な方法が伝わっていた。地元の川に架かる橋と、その先にある神社を使ったものだ。ルールは以下のようなものだった。
- 神社の前の橋を歩いて渡る。
- 渡りきったら、後ろを振り向かずに後退(バック)で橋を戻る。
- 再び振り向かずに橋を歩いて渡る。
- 最後に神社を全力で走り抜ける。
この一連の手順を踏むと、通常は徒歩30分ほどかかる駄菓子屋の近くまで、10分もかからずに到達できるという。何の変哲もない川沿いの道が、子どもたちだけの秘密の近道に変わる瞬間だった。
不思議なことに、この方法を使うときには、いくつかの「禁忌」が存在した。例えば、神社を歩いて抜けてはいけないことや、夕暮れ時に背後の気配に振り向いてはいけないこと。特に夕暮れ時、鳥居を抜けた瞬間に感じる「気配」が恐ろしいものだと言われていた。
ある夏の日、投稿者が小学5年生のとき、近道法を一人で試みた。その日は夕方5時頃、空が少し赤みを帯び始めたころだった。鳥居の前で一瞬ためらいながらも、勇気を振り絞って神社を駆け抜けた。しかし、鳥居を越えた瞬間、背後からぞわりと肌に這い上がるような感覚がした。汗ばむ気温の中、急に冷気が背中を叩いたような錯覚に襲われた。
耳に響くのは、自分の荒い息遣いと心臓の鼓動だけ。小学校のグラウンドから聞こえていたはずの野球部のノックの音も、気がつけばまったく聞こえない。境内には猫ひとつ、鳥ひとつ見かけたことがない理由を、その瞬間に理解した気がした。背後で何かが「動いている」気配がある。だが、振り向くわけにはいかない。
足は無意識に前へ進み、次第にダッシュとなった。「振り向いてはいけない」という暗黙のルールが心にこびりつき、恐怖がさらにスピードを押し上げた。その瞬間、鳥居の下を抜けたはずの背後で、石のざらつきが響くような音が耳に届いた。
大人になった後、その「近道法」を再び試みたが、普通に神社を通り抜けただけだった。「あれは子どもだからこそ通じたのだろうか?」と思う一方で、幼い頃の記憶がよみがえる。鳥居を抜けた直後のあの冷気と気配、そして背後から響いたざわざわと這う音。それが幻覚や気のせいとは思えないほど鮮明に心に残っている。
ある日、近所の古老にその話を聞いた。すると、神妙な顔でこう言われた。
「あの神社は昔から異界との結界だとされていた。近道法は、あちらの世界のものと接触しないようにするための術なんだろう。振り向いていたら、おそらく今ここにはいなかったかもしれないよ」
異界との境目。何かと何かの接点を跨いでいたのは確かだ。しかし、それが神秘で終わるのか、あるいはさらなる恐怖を孕んでいたのかは、知る由もない。
あの日、あの鳥居を抜ける直前、背中に感じた「ぞわり」とした冷気。それが、今もなお、夏の夜にふいに思い出される。
(了)