俺が十八か十九の頃の話だ。
生まれ育った家は山の中の田舎にあり、夜になると人通りが消え、虫と風の音しか聞こえなくなるような場所だった。
そこに、不釣り合いなほど新しいバス停がぽつんと建っていた。
壁のない東屋がきちんと組まれていて、どこかの観光地にでも置かれていそうな立派な造りだったのに、利用者の姿を見たことがない。山の奥の誰も通らないような道に、妙に清潔なバス停がある。それがずっと気になっていた。
ある晩、仲間と集まっているときにそのバス停の噂を耳にした。
「なあ、あのバス停な……ちょっと前に近所の婆さんが焼身自殺したらしいぞ」
茶化すように言ったのは友人の一人だ。
屋根ごと燃えたから建て直したらしい、という説明を付け加えられたとき、俺の記憶にもその噂話が蘇った。確かに、炎に包まれて死んだ老人のことを耳にしたことがある。
友人はにやにやしながら俺に目を向けた。
「お前、幽霊とか一切信じてないんだろ?肝試しに行ってみねえか」
挑発だった。俺は子供の頃から「幽霊なんて存在しない」と公言していた。だからこそ格好の標的になったのだろう。
その日は男女七人が集まっていた。女の子もいたから余計に虚勢を張りたくなり、気づいたら俺は口にしていた。
「じゃあ今から行くか」
時刻は午前二時。
外は月明かりも乏しく、車二台を連ねて暗い山道を進む。やがて視界の奥に、白っぽく光を返す東屋が浮かんだ。
車を適当に停め、皆でバス停に入る。
「なんか拍子抜けだね」
女の子の一人が笑った。新しくて清潔すぎて、肝試しに似つかわしくない。
俺たちはコンビニで買った菓子を広げ、しばらくは普通の寄り合いのように過ごしていた。
ところが、友人の一人がぽつりと口にした。
「なあ……あそこ、気持ち悪くねえか」
指差す先を見ると、バス停の周りを覆っている竹藪の中に、ひとつだけ竹が生えていないぽっかりとした空間があった。
月光に照らされ、黒い穴のように見える。
「確かに変な感じするな」
「最初から気になってたんだよ」
女の子たちは少し怯えた様子で声を潜める。
俺は格好をつけるように言った。
「じゃあ俺が見てくるよ」
「やめなよ!」と誰かが制止する。声は震えていた。
けれど俺は笑って手を振った。「大丈夫、大丈夫」
足元の土を踏みしめ、藪をかき分けながらその空間へ近づいていく。
湿った土の匂い。虫の声が不自然に途絶える。
そこに立って周りを見回したが、何もない。
「ほら、何もねえよ!」
皆に向かってそう叫んで、肩をすくめて見せたときだった。
「おいっ!戻ってこい!!」
背後から友人の声。怒鳴り声に近い。
「なんだよ、冗談だろ」
笑って返す俺に、さらに声が重なった。
「いいから走れ!ヤバい!!」
六人が一斉に動き出し、女の子たちは泣き叫びながら車へ向かっている。
その光景を見た瞬間、胸の奥に冷たいものが走った。
「何やってんだよ!」と叫びながら俺も駆け出す。
後ろからは誰かのすすり泣きと、必死の足音。
車に乗り込んだときには全員が半狂乱の状態だった。
エンジンをふかし、山道を下る。誰かが「ヤバい、ヤバい……」と繰り返し、女の子は「助けて!」と泣き叫ぶ。
俺はただ無我夢中でハンドルを握っていた。
だが突然、ブゥーンと音を立ててエンジンが止まった。
同時にライトもオーディオも、電気系統が全て落ちる。真っ暗な闇の中、車はただ下り坂を滑っていく。
「なんだよこれ!!」
「止まんない!」
ブレーキが効かず、必死にハンドブレーキを引いてなんとか停車する。
皆が口々に「歩こう」と言い出し、泣き叫ぶ女の子を支えながら車を降りる。
先に歩き出した友人たちはすぐに姿を消し、やがて引き返してきて、俺たちは二台の車にすし詰め状態で山を下りた。
ようやく開けた場所に出て停まったとき、友人の一人が俺に言った。
「お前……本当に何も気づかなかったのか」
俺は息を荒げながら答えた。「何がだよ」
「お前が藪の中に入った時……お前の右側に婆さんが立ってたんだよ」
ぞっとして声を失った。
「皆も見たのか?」
問いかけると六人全員が頷く。
「俺が叫んだとき、婆さん……ゆっくり手を上げてたんだ」
「私……見たの。包丁みたいなのを持って、あなたに向かって……」
女の子の声は震え、泣きながら搾り出されていた。
夜が明け、別の仲間を呼んで車を取りに戻ると、何事もなかったかのようにエンジンはかかった。
あの竹藪の空間を覗くと、落ち葉に半ば埋もれるように小さな地蔵が立っていた。
今でもあの瞬間を思い返すと、背筋が凍る。
俺には何も見えなかった。だが、六人全員が同じものを見たという事実だけが、重くのしかかっている。
――もしあのとき振り返っていたら、俺にも見えたのだろうか。
そして見えてしまったら、今ここにはいなかったのかもしれない。
[出典:979: 本当にあった怖い名無し 2016/08/03(水) 23:33:51.96 ID:6I4LHXmC0.net]