東日本大震災の直前、福島の沿岸部、原発から十キロほどの町で暮らしていた。
あのときの胸騒ぎは、今でもうまく言葉にできない。理由もないのに、ただ恐ろしくて、逃げ出したくてたまらなかった。
たぶん、これは誰に話しても信じてもらえない。でも、あのとき私はたしかに、何か「見た」し、「感じた」のだ。
震災の半年前から、地面が頻繁に揺れた。ガラス戸がガタガタと鳴り、観葉植物の葉がかすかに震えるたび、無意識に息を止めていた。
三ヶ月前には震度四、二ヶ月前には震度五弱。……あれは予兆だったのかもしれない。
けれども、揺れのない日常に慣れすぎて、人間は本当に危機の寸前まで気づかないものなのだと、あの時は思い知らされた。
震災の前日、三月十日のことだった。昼前、洗濯物を干していた私は、何の前触れもなく、突如として猛烈な不安に襲われた。
息が苦しくなり、足が震え、まるで見えない手に喉を掴まれているような感覚だった。
なぜかはわからない。頭では「大丈夫」と思っているのに、心の奥が叫び声をあげていた。
怖い、ここにいちゃいけない、逃げなきゃ――。
いても立ってもいられず、涙を流しながら夫に電話をかけた。
「怖いの、どうしようもなく怖い。お願い、今すぐここを出たい……」
夫は混乱していたようだが、私の異常な様子にただならぬものを感じたのだろう。
「わかった。今すぐは無理だけど、東京の実家に行く準備をしておいて」
そう言ってくれた。
電話を切ってからも胸のざわつきはおさまらなかった。けれど荷造りをしているうちに、少しずつ気持ちが落ち着いてきた。
夕方、帰宅した夫と顔を合わせるころには、あの恐怖はまるで幻だったかのように引いていた。
「週末、東京で気晴らししよう」
夫がそう言ってくれたので、私は笑って頷いた。
けれども――あの安堵も、ほんの束の間だった。
翌日の午前、天気はどこか白んでいて、空気が妙に静まり返っていた。
風もなく、雲の流れも鈍い。
私はいつものようにベランダに出て、洗濯物を干していた。
そのときだった。背後から、ばさっ……ばさばさっ……という羽音が聞こえた。
振り返ると、三羽のカラスが屋根の上に集まっていた。
カーカーと鳴き交わすこともなく、ただ沈黙のまま、狭い塀の隙間に向かって急降下している。
まるで、何かを狙っているように。けれど、そこには何もいなかった。人影も猫も虫すらも。
それなのに彼らは、何度も屋根から飛び立っては、同じ場所に飛び込んでいた。
不思議に思い、見入っているうちに、あることに気づいた。
カラスたちの羽音が、どこか妙だったのだ。
空気を切り裂く音ではなく、まるで濡れた布を振るような、重く粘ついた音。
あれは……本当にカラスだったのだろうか。
いや、あの時はまだ、私自身が正気だったと思い込もうとしていた。
それから一時間後、地面がうねるような轟音と共に、町全体が崩れ始めた。
ガスの臭い、遠くで何かが燃える音、あちこちから上がる悲鳴。
そして、電波の向こうで流れ続ける「原発」「爆発」「放射線」という言葉。
私たちはすぐに避難し、東京へ逃れた。
それから八年間、仮住まいを転々とした。
当時の家にはもう戻っていない。あの土地は、いまだに草が伸び放題で、時間だけが腐ったように停滞している。
ご近所の人たちも、それぞれ散り散りになってしまった。
けれど、一度だけ帰ったことがある。震災から三年ほど経った頃、家の中を片付けるために、夫と一緒に立ち入った。
玄関は風化していたが、居間のカレンダーだけが、三月十一日を指したまま、止まっていた。
埃をかぶったカーテンの隙間から、あのベランダが見えた。
……カラスの羽音がしたような気がして、私は思わず肩をすくめた。
あの不安感は、あの羽音は、なんだったのか。
ただの偶然と言われれば、それまでなのだろう。
けれど、私は今でも夢に見る。あの三羽の黒い影が、何度も何度も、空から地へと突き刺さるように落ちていく光景を。
それはまるで、何かを呼び寄せている儀式のようだった。
あの日、あの場にいて、私はたしかに「何か」に触れてしまった。
だからきっと、私の中のどこかに、あの音がまだ残っているのだ。
そして、これを書きながら気づいた。
あの日、夫が帰ってきたとき、玄関に入る前に足を止めて、空を見上げていた。
「……カラス、三羽いたよな」
そう、ぽつりと呟いていた。
私はそのとき、何も返せなかった。
声が出なかった。
カラスは、私だけが見ていたわけじゃなかったのだ。
それを思い出したのは、つい昨日のことだった。
[出典:954 :可愛い奥様:2020/01/15(水) 16:53:23.01 ID:FsPOxuh30.net]